その声は・・・

前回の日記の、お花の写真からのヒーリングをお受け取りくださりありがとうございます。
もし良かったら何度もお受け取りください。
日々チャージしていきます。
また時期を見て更新したいと思います。
昨夜寝ていて、突然言葉が聞こえて目が覚めました。
その言葉に驚いてしまい、そのあとしばらく眠れませんでした。
聞こえた言葉は「核の冬」。
とても大きな声で頭の中で響きました。
いったいなんなんだろうとびっくりして、
確かに聞き覚えのあるその言葉について思いをめぐらせました。
自分でもすっかり忘れていました。
先日の日記で、88年に原発がバックボーンの芝居をしたことがあると書きましたが
玉川大学の演劇専攻に在学中、学内で旗揚げした劇団の最初の公演は
1986年、アートシアター新宿という劇場で
「黄昏時の伝説~終末を楽しく迎える方法」
という芝居でした。
核による汚染によって人間が滅びようとしている中、
政府はパニックや反乱を制御するために
終末を楽しく迎えるキャンペーンという政策を行っています。
365歩のマーチにのって、終末はみんなで迎えれば恐くない、みたいな洗脳をします。
不条理な設定です。
政府の人間はもちろん自分たちの身の振り方は準備してあります。
なんだったのかは忘れましたけど。
それに危機感を抱いた反政府のグループは
プレアデス星雲に人類が移住可能な星を探しにいきます。
家族を捨て、人類の希望のために
コールドスリープとワープを繰り返して旅するというもの。
私はその宇宙船の乗組員、聖(ひじり)さんの役でした。
一方地球では、愛の使者や黒い闇という存在が暗躍し
恐れを逃れるためにただ踊るだけの人や
日常のドラマを続けるために必死の人、闇と戦おうとする人、政府に取り入る人など、
いろいろな人が出てきます。
人間がそれぞれの立場から、生きる意味を模索し、対立が起こり、戦いがあります。
その中で、必死に生きる人の思いが交錯し、
多くが死に、仲間を葬りながら私が言うせりふは確か、
「子供を作るのよ、たけだくん。」だったような気がします。
やがてはその地球も「核の冬」という現象に見舞われ
地上は氷河期に入り死の灰とともに人類は絶滅します。
しかし、その氷河の中にも生命の息吹は残され
そこから地球創世のときのように時間をかけて進化をし
何億年がたち、やがて、最初の人間が生まれる、というところまでが描かれていました。
若くはちゃめちゃな芝居だったのですが
見てくれた人から「ナウシカみたいだった」という感想が多く聞かれました。
私は演出助手をつとめ、台本の清書もして
その裏書に確か、参考文献「核の冬」と記したのです。
それ以来核の冬という言葉を思い出したことは多分一度もにありませんでした。
20歳になりたてのときのことです。
核の冬は、放射能の死の灰によって太陽の光が地上に届かなくなり氷河期になるという説で
80年代に発表されています。
それが25年もの歳月を経てなぜ夢枕に思い出されたのかわかりません。
この芝居がそういう設定だったことさえ思い出すことがなかったというのに。
潜在意識の記憶のどこかから出てきたのでしょう。
それにしてもさらに驚いたのが
その芝居で政府がしていた荒唐無稽なキャンペーンが
まるで今行われている隠蔽や情報操作、洗脳、マインドコントロールと
重なって見えることです。
その芝居を通して私が感じたのは
それでも人は美しい、ということでした。
やがてはすべてが過ぎ去っていきます。
残すものは本当は何もないのです。
敵対した相手も、かかわりを持たずにすれ違っていった人々も
やがては魂のふるさとへ帰る仲間です。
誰もが創造活動をしている同じ劇団の仲間のようなものです。
ただ、遠く宇宙の記憶に、私たちは何かを刻んでいきます。
意識し、選択し、刻むことが私たちにはできると思うのです。

波動をあげていきましょう

このお花の名前をご存知の方、良かったら教えてください。
去年主人が患者さんからいただいて、先日からかわいいお花を咲かせています。
今日は久しぶりにこの写真から
ヒーリングを受け取ることができるように設定いたします。
心が外界に傾くと、とたんに波長が乱れてしまい
そうなると集合意識の影響をどんと受けてしまうようです。
お疲れの時、心が落ち着かない時、意識が散漫な時、不安や恐れに侵入されてしまった時など
また、内なる愛と光とひとつになりたい時、瞑想のお供に、
お受け取りいただけたらと思います。
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写真のお花を見ながら心で宣言してください。
「私は今からヒーリングエネルギーを受け取ります」もしくは
「私は今から愛と光を受け取ります」と、お願いします。
1分くらいお花を見ていてください。
その後目を閉じて、眉間辺りから光が入り、ハートまで降りて広がるのを感じてください。
実感がなくても、そうなってる、と認める感じで大丈夫です。
2~5分ほどそうしてお過ごしいただければOKです。
良い一日がみなさんに訪れますように。

後悔のない生き方

幼いころからの母の教育で
「後悔しないように生きなさい」と言われて育ちました。
父は「人生は魂が見ている一瞬の夢だ。好きなように生きて納得して死にな。」
と言います。
その父と母の作った家庭(今は離散しながらも助け合う宇宙家族)は
決して平穏でも温かく優しくもなく、波乱万丈で時に悲惨ですらありました。
親の言いつけを守ろうと思ったわけではないのだけれど
子供なりに真実の言葉については常に考えて生きてきた。
きつすぎて傷つきすぎたこともあったけれど
後悔しない生き方、についてはようやく結論めいたものにたどり着きつつある。
私は今沖縄でかなり幸せに平和に平安に満たされて生きている。
ほっといたら、本当に幸せなまま、満ち足りて生きられそうな感じもあるのだが
この度東日本の震災と原発の問題が起こってからは
かなりの意識とエネルギーをそこに投入している。
調べると沖縄には原発がない。
電力は沖縄電力が管轄で、沖縄では節電しても島外へはもちろん電力を送れない。
地震も、去年の初めに震度4の揺れがあって
引っ越したばかりの我が家は結構ゆれて
新築の床に傷がついた。
その程度だ。
その規模の地震は100年ぶりだったそうだ。
経済活動面としては、沖縄は全国に助けがほしいほど壊滅的に貧しい。
がんがん稼いでがんがん寄付をしたいところだけど、がんがんとはいかない。
そもそも夫婦とも、がんがん稼ぐための仕事についていないのでそこは無理しない。
物資はある。
ガソリンが高いのは痛いところだが
イオンの棚のお菓子や酒屋さんのお酒の棚が
ごくたまにスカスカしていて、震災の影響で、というお詫びの紙が貼ってある。
水の買いだめはおやめください、とも書いてある。
とても恵まれている。
その上私はスピリチュアルというものを信じているので
何があっても、何がなくても、魂があれば、大丈夫だと思っている。
魂があれば、みんな大丈夫、と思う。
でもそんなふうに人間はなかなか思えないし
どう思おうとどう考えようといいから
みんなが幸せになる切符(魂)を間違えて捨ててしまったり
どっかに置き忘れてしまわないように
呼びかけていたいと思っている。
何を失ったとしても、それだけは失わないようにがんばろう、と思っている。
原発の問題がどうしてこんなに気になるのだろうと時々考える。
もちろん震災以前に反対活動などしたことはなかった。
1988年に原発をバックボーンにした劇団の芝居で主演した。
それから、その2年後には核戦争をバックボーンにしたに芝居をプロデュースして
脚本を書き、やはり主演した。23歳のとき。
個の自由との対比として、最も強力でインパクトのある対立を描きたくて選んだ。
そう、今はっきりとわかるが
戦争と核(原子力)は、個の自由という権利と完全に相反するものなのだと言える。
どちらも、私たちをいやおうなく束縛し、運命付けてしまう。
そして家族や愛するものを超え、遠く未来にまで修復しがたい傷を負わせるものだ。
その根拠がこれだけ明確にわかっているものは数少ないかもしれない。
そういったものに対して拒否を示すことは、気づいた者の責任でもあると思う。
それぞれの人に理由はあると思う。
でも、はっきりと言うけれど
少なくても原子力発電は、あなたの利益にはなり得ません。
それよりも失う可能性のほうが大きいと思います。
なぜなら原子力という国策は、国民の利益を最初から尊重していない。
国民から生活や、健康や、命や、尊厳や、信頼などというものを奪うというリスクの上に
一部の利権と国家同士の駆け引きのために存在しているものだと言えます。
あなたの豊かな生活のためには安全な原発しかない、というのは
マインドコントロールだったのです。
これは、未来の歴史が必ず証明するだろうと私は思います。 
少なくてもこの1ヶ月のあいだにさえ
政府やその周辺の学者たちが、国営放送や公共の電波に乗せて発表してきたことが
ことごとく嘘、いつわり、隠蔽であったことが明らかになり
反核イデオロギーのヒステリー、不安をあおるデマとさげすまれた人たちの情報が
ことごとく事実であったことが物語っています。
今日も御用学者さんたちが陳謝という記事を読みました。
でも、あれは過失だったのでしょうか。
多くの人が決定的で致命的な被害を被るを前提での発言や策だったはずです。
それでしたら、確信犯です。謝罪で済む話ではないはずです。
私は日々不安や恐怖を感じているかというと、
そんなことはありません。
頭は結構使っていますが、心は相変わらず静かな日々です。
放射能や汚染が恐いから対策のために情報を調べているのでもありません。
もちろん沖縄と言えど影響はありますし
チェルノブイリで実際に起こっている長きに渡る被害、
癌や奇形の子供を見ると恐ろしく感じます。
もうすでに、みんなの大事な大地も空も海も、おそらく人も相当被爆してしまいました。
でも一番恐いのは、一部の特権階級の人たちが、
人々に自由な選択をさせないよう、操作し続けることと
自由な選択をするために、人々がもっと知ろうとしないという
すべての命と世界に対して無関心で無責任な態度を取り続けることです。
そんなことでは、後悔しないよう生きることなんてできっこないし
(後悔するしないは自由ですが)
人間がこの世に生まれてくる意義さえ危ぶまれます。
それは人間を動物化するだけでなく、家畜化することになるからです。
私は家畜ではなく人間であり魂ですが
同時にこの今をともに生きる人間たちとも共同体です。
ゆえに個々の自由と尊厳に明らかに反するものである、戦争と核、
その温床である原子力発電というものを、人間の名において拒否したいと思います。