ブログのお引越しをしました。

AZU WORLDへのご訪問、ありがとうございます。

何度か引っ越ししてはこちらへ戻ったりして、そのたびにお手数をおかけしましたことをお詫びします。

 

この度本格的にお引越しをいたしました。このページはまもなく完全に閉じさせていただきます。

AZU WORLDは http://azworld.hateblo.jp

になりました。そちらで2006年からのすべての記事をご覧いただけます。

 

新アドレスのほうでさきほど「瞑想会のご報告です。」をアップいたしました。

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今後ともブログAZU WORLDをどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

(AZU WORLD since2002)

AZU拝

 

 

 

世の中は今

インナーチャイルド②へ行く前に、今日はちょっとしゃべりたいことがあります。

年末に見たウーマンラッシュアワーというコンビの漫才があまりに面白くて痛快だったので、時々動画をチェックしていました。
それまでまったく存在も知らなかったのですが、ネタを作っている村本くんという青年は以前から政治や社会問題に興味があったみたいです。

それで彼がコメンテーターをしている番組をちらっと見たのですが、これがもう、ひどくて、衝撃を受けてしまいました。
想像以上にテレビがひどいんだな、と改めて感じました。

ひどいというのは、村本くんがひどいのではなくて、仕切っているアナウンサーとか他のコメンテーター(t)のやりくちです。
偏見と悪意に満ちた先導、というふうにどうしても見えてしまいます。

あんなものを公共の電波に垂れ流されたらどうしたって人間は知らない間に洗脳されてしまうだろうな、と、暗澹たる気持ちになります。

なかでもものすごく私が気になったことを書きます。

内容というのは、村本青年が「朝まで生テレビ」に出てしゃべったことを、アナウンサーとtが批判しているのですが、要は、村本が尖閣諸島をいらないなどと発言したのは許されない、絶対言っちゃいけない、という言い分です。

いらない、といった発言そのものが言ってはいけないことだ、と、アナウンサーもtも刺すように責めているいるのが伝わってきます。

さらに、私の中ですごくひっかかったのはtのこの発言です。

「村本のあの発言は日本国民全体を深く傷つけた。日本のご先祖様が2000年にわたって、命に代えて守ってきた領土なんだから!!」

なんか、正論ぽくかつ、人道的っぽく、かつ、美しいことを言っているふうに聞こえるように言い切った、という感じで。

日本のご先祖様が命に代えて守ってきた領土。

その言葉に萌えるんだろうか、日本人。

それからずっと考えて、なにがどう引っかかったのか、ようやく自分の中で言葉がみつかりました。

* * *

日本には基本的人権の尊重というものすごく尊い理念がある。

それこそ、数千年にわたる権力者の支配から人民が勝ち取ってきた平等という権利だと思う。
主権は国家ではなく個々の人間にあり、法の下に平等である。

それはあえて言うなら、国家のための利益より、一人の命が尊い、という理念だ。
地球ひとつと人間ひとりのいのちの重さは同じなんだよ、なんていうたとえをちょっと前は普通に聞かされた。
いのちを取られるくらいなら領土なんかいらない、といった村本くんが図らずも、たぶん純粋な思いからした発言はつたないかもしれないけど別にそんな大それたことじゃないと思う。
それは、「領土のために戦争をしてたくさんのいのちを犠牲にするということが正義なのだろうか」という投げかけだったのだろうと、自然に思う。
それは間違いだったよね、と私たちは教わったしそれを信じてきた。

私は、時に肉体のいのちよりももっと大事なものが人間にはあると思うし、普段からそのような発言をしている。
ついこの間も書いたばかりだ。
でもその、時に肉体のいのち以上に尊いものは、たったひとつだけだ。

村本くんがつたないながら、ある意味自分を飾るものや守ることを捨てて挑む姿勢には、そのたったひとつのものの片鱗があると感じられる。

もし私が、2000年にわたってご先祖様たちが命と引き換えに私たちに残してくれたものをして受け取るなら、私はそこから人権の尊重と人間の尊厳を受け取りたい。
彼らの多くが残したかったものは領土じゃない、平和や、人権や、愛だったと感じられる。そうじゃないのだろうか?

愛という目に見えないものを、すべての人が優先していいのだ、それがそれぞれ、すべての人に与えられた最低限であり最上の権利なのだ、と、かたちに残してくれたもの、それが人権だと思う。

そんなこと、みんな肌で感じて、恩恵を受けて、それをもとに信頼を築いて社会や生活が成り立ってきたと思っていた。
今一度私たちはそれを選びなおさなくてはならない時期に来ているのだろう。
ものすごく重大な局面に立っていると改めて思う。

かけはし

みなさんこんばんは。
今日で一年のセッションを納めさせていただきました。

沖縄へ来た当初は年末年始の区切りもなく、元旦からアチューメント、というようなペースだったこともありました。
今は少し落ち着いたペースでさせていただいています。
いつも内面のエネルギーと対話しながら、またみなさんからいただくエネルギーとご相談しながら、日々を送らせていただいています。

年末に来て「自分の内面のエネルギーとの関係」というテーマを持ってきてくださるお客様が重なりました。

「自分らしく生きる」とか「本当の自分をみつける」などと言葉にするイメージと、実際に自己のエネルギーとおつきあいすることの間には若干のギャップがあるように思います。

究極の本当の自己は真我と言われる部分ですから個性なんかのない世界です。魂に男女の区別がないように。

でも私たちの肉体レベルにはもちろん個性があり、みんな違っている。

私自身、自分とはなんだろう、と頭でどんどん考えているうちに、結局それは、他人との違いのことなのかと勘違いしたこともありました。
実際は真逆で、本当の自分になる(戻る)というのは、肉体として身に着けた様々な違いを振り落としていくこととも言えます。

なぜそのようなことになっているのか、というのが、意識の仕組みを探求していくとよくよくわかります。

そうして日々セッションを通して、また家族との関係を通して、自分と向き合うことを通して、そして瞑想によってもたらされる真の自己とのふれあいを通しての気づきをまた自身の人生の創造に、セッションに、還元させていただいています。
その気づきは時とともに大きく深く、そして細やかになっていっているように感じます。

RUACHと、私AZUとのお時間をお選びくださったみなさんおひとりおひとりに、そしてそこまでの導きに、感謝を禁じ得ません。
そこで分かち合うことができたものの大きさ、深さにいつも新鮮な喜びと驚きを禁じ得ません。

その感謝と喜びと驚きの背後にいつも、神の気配を感じることができます。
それは安堵と希望を私に与えてくれます。

つい十数年前、私はまだ地球に着地すらできていませんでした。
何十年も肉体を授かっていながら、まだ生きる覚悟ができていないまま生きていたようでした。

今私は地球に生きることを心から感謝できます。
その感謝が永遠のものだということが理解できます。

限りある命が完全燃焼すると、おそらく無限になっていけるのです。

そのプロセスを、お手伝いできることが本当に幸せです。
ひとりのなかに真実にともった光は、闇を照らし、すべての人の光につながります。
あなたの中の光に感謝します。