世の中は今

インナーチャイルド②へ行く前に、今日はちょっとしゃべりたいことがあります。

年末に見たウーマンラッシュアワーというコンビの漫才があまりに面白くて痛快だったので、時々動画をチェックしていました。
それまでまったく存在も知らなかったのですが、ネタを作っている村本くんという青年は以前から政治や社会問題に興味があったみたいです。

それで彼がコメンテーターをしている番組をちらっと見たのですが、これがもう、ひどくて、衝撃を受けてしまいました。
想像以上にテレビがひどいんだな、と改めて感じました。

ひどいというのは、村本くんがひどいのではなくて、仕切っているアナウンサーとか他のコメンテーター(t)のやりくちです。
偏見と悪意に満ちた先導、というふうにどうしても見えてしまいます。

あんなものを公共の電波に垂れ流されたらどうしたって人間は知らない間に洗脳されてしまうだろうな、と、暗澹たる気持ちになります。

なかでもものすごく私が気になったことを書きます。

内容というのは、村本青年が「朝まで生テレビ」に出てしゃべったことを、アナウンサーとtが批判しているのですが、要は、村本が尖閣諸島をいらないなどと発言したのは許されない、絶対言っちゃいけない、という言い分です。

いらない、といった発言そのものが言ってはいけないことだ、と、アナウンサーもtも刺すように責めているいるのが伝わってきます。

さらに、私の中ですごくひっかかったのはtのこの発言です。

「村本のあの発言は日本国民全体を深く傷つけた。日本のご先祖様が2000年にわたって、命に代えて守ってきた領土なんだから!!」

なんか、正論ぽくかつ、人道的っぽく、かつ、美しいことを言っているふうに聞こえるように言い切った、という感じで。

日本のご先祖様が命に代えて守ってきた領土。

その言葉に萌えるんだろうか、日本人。

それからずっと考えて、なにがどう引っかかったのか、ようやく自分の中で言葉がみつかりました。

* * *

日本には基本的人権の尊重というものすごく尊い理念がある。

それこそ、数千年にわたる権力者の支配から人民が勝ち取ってきた平等という権利だと思う。
主権は国家ではなく個々の人間にあり、法の下に平等である。

それはあえて言うなら、国家のための利益より、一人の命が尊い、という理念だ。
地球ひとつと人間ひとりのいのちの重さは同じなんだよ、なんていうたとえをちょっと前は普通に聞かされた。
いのちを取られるくらいなら領土なんかいらない、といった村本くんが図らずも、たぶん純粋な思いからした発言はつたないかもしれないけど別にそんな大それたことじゃないと思う。
それは、「領土のために戦争をしてたくさんのいのちを犠牲にするということが正義なのだろうか」という投げかけだったのだろうと、自然に思う。
それは間違いだったよね、と私たちは教わったしそれを信じてきた。

私は、時に肉体のいのちよりももっと大事なものが人間にはあると思うし、普段からそのような発言をしている。
ついこの間も書いたばかりだ。
でもその、時に肉体のいのち以上に尊いものは、たったひとつだけだ。

村本くんがつたないながら、ある意味自分を飾るものや守ることを捨てて挑む姿勢には、そのたったひとつのものの片鱗があると感じられる。

もし私が、2000年にわたってご先祖様たちが命と引き換えに私たちに残してくれたものをして受け取るなら、私はそこから人権の尊重と人間の尊厳を受け取りたい。
彼らの多くが残したかったものは領土じゃない、平和や、人権や、愛だったと感じられる。そうじゃないのだろうか?

愛という目に見えないものを、すべての人が優先していいのだ、それがそれぞれ、すべての人に与えられた最低限であり最上の権利なのだ、と、かたちに残してくれたもの、それが人権だと思う。

そんなこと、みんな肌で感じて、恩恵を受けて、それをもとに信頼を築いて社会や生活が成り立ってきたと思っていた。
今一度私たちはそれを選びなおさなくてはならない時期に来ているのだろう。
ものすごく重大な局面に立っていると改めて思う。

かけはし

みなさんこんばんは。
今日で一年のセッションを納めさせていただきました。

沖縄へ来た当初は年末年始の区切りもなく、元旦からアチューメント、というようなペースだったこともありました。
今は少し落ち着いたペースでさせていただいています。
いつも内面のエネルギーと対話しながら、またみなさんからいただくエネルギーとご相談しながら、日々を送らせていただいています。

年末に来て「自分の内面のエネルギーとの関係」というテーマを持ってきてくださるお客様が重なりました。

「自分らしく生きる」とか「本当の自分をみつける」などと言葉にするイメージと、実際に自己のエネルギーとおつきあいすることの間には若干のギャップがあるように思います。

究極の本当の自己は真我と言われる部分ですから個性なんかのない世界です。魂に男女の区別がないように。

でも私たちの肉体レベルにはもちろん個性があり、みんな違っている。

私自身、自分とはなんだろう、と頭でどんどん考えているうちに、結局それは、他人との違いのことなのかと勘違いしたこともありました。
実際は真逆で、本当の自分になる(戻る)というのは、肉体として身に着けた様々な違いを振り落としていくこととも言えます。

なぜそのようなことになっているのか、というのが、意識の仕組みを探求していくとよくよくわかります。

そうして日々セッションを通して、また家族との関係を通して、自分と向き合うことを通して、そして瞑想によってもたらされる真の自己とのふれあいを通しての気づきをまた自身の人生の創造に、セッションに、還元させていただいています。
その気づきは時とともに大きく深く、そして細やかになっていっているように感じます。

RUACHと、私AZUとのお時間をお選びくださったみなさんおひとりおひとりに、そしてそこまでの導きに、感謝を禁じ得ません。
そこで分かち合うことができたものの大きさ、深さにいつも新鮮な喜びと驚きを禁じ得ません。

その感謝と喜びと驚きの背後にいつも、神の気配を感じることができます。
それは安堵と希望を私に与えてくれます。

つい十数年前、私はまだ地球に着地すらできていませんでした。
何十年も肉体を授かっていながら、まだ生きる覚悟ができていないまま生きていたようでした。

今私は地球に生きることを心から感謝できます。
その感謝が永遠のものだということが理解できます。

限りある命が完全燃焼すると、おそらく無限になっていけるのです。

そのプロセスを、お手伝いできることが本当に幸せです。
ひとりのなかに真実にともった光は、闇を照らし、すべての人の光につながります。
あなたの中の光に感謝します。

ロック!をめぐる雑文

2日くらい前にたまたまYouTubeで「はっぴいえんど」の動画を見た。その少し前には「ムッシュかまやつ」周辺とスパイダース関連の動画で「日本のロックはここから始まった」と言われていたが、はっぴいえんどもそう言われていた。

私は1966年に生まれた。66年生まれには少しだけ思い入れがある。

まず、この年は60年に一度の丙午(ひのえうま)という干支にあたる。この年に生まれた女性は気性が激しく夫を食い殺すという言い伝えから出生率が前後の4分の3ほどになっている。だから子供の頃はなんとなくゆとりで育っている。受験戦争のさなかにあって実際なんとなくのんびりしていたし、競争が苦手で個人主義的な仲間が多かった。

1966年はまた、人気絶頂のビートルズが来日した年として有名だ。後にも先にもビートルズが来日したのはこの時だけだ。私たちは圧倒的な迷信をものともしない両親の意志とロックの新しい風と共に地球にやってきた。なんてね。

だからと言って音楽の中で特にロックを意識したことはない。ものごころつく頃にはロックは音楽のジャンルの一つとして認識されていたし、7~80年代はアイドルと歌謡曲が花盛りだった。そして何より、テレビというスーパースターの全盛期だった。

テレビを好きじゃないなんていう人に出会うこともなかったし、ある時期まではテレビなしの生活を想像するのもこわかったくらいだ。お茶の間の中心にはテレビがあり、その上そのテレビからは四六時中、父の声が流れていた。そう、父の生業はテレビでしゃべることだった。我が家ではテレビはよその家庭以上の地位を占めていたはずだ。

私は歌が好きだった。しゃべり始めるのと同じくらいの時期からマイクに向かって歌っていた。2歳で鼻濁音を使って歌い、3才ではマイクを独占してMCもこなして歌っていた。そういう録音テープが父によって残されている。ピンキーとキラーズの恋の季節(68年)とか、黒猫のタンゴ(69年)なんかを。

父は当時、同人舎プロダクションに所属していた。のちにうちに遊びにきた声優のおじちゃんからよく「美緒ちゃん、事務所のデスクの上でピンキーのふりまね付きで恋の季節をじょうずに歌ってかわいかった、でもそのデスクでおもらししたんだよ」と言われた。幼稚園生の頃にはそんな記憶も忘れていたので「へえ、わたしそんなことしたんだ」と思いながらもう一度レコードを聴いて恋の季節を覚え直したりしていた。

テレビによって与えられる音楽を喜んで受け取り、それらを真似て歌った。私にとっての音楽とは時折父と母が好きでかけている洋楽がほんのちょっとと残りのほとんどを占めるテレビの世界だった。

自分が仕事にしていたジャズは、多分母の影響で耳と心になじんでいるものがベースだ。仕事のためにもちろん多少の掘り起こしをしたけれど、どちらかというと自分が歌いたいもので、歌えるもの、を探すという感じだった。

つまり私にとっての音楽とは、与えられたものに反応しているに過ぎないレベルの世界だった。全体像なんてつかみようがなかったし、つかもうという発想すらなかった。

演劇に関してはちょっと違う。私は一応大学の演劇専攻に通っていた。通っている間は勉強もろくにせずにただ演じたいという欲求をかなえることに必死だった。けれど3年で中退し、その後真剣に演劇を続けていこうと思ったとき、急に知りたくなった。演劇とはなにか、またその成り立ちというものを。それで結構真剣に学校のおさらいをやったのだ。

ポップスのジュリーや映画のショーケンが大好きで、ムッシュかまやつのわが良き友よが好きで、堺正章は西遊記とかでなんとなく好きで、というのはその時々、ばらばらに好きになる場面があってそうなったけれどその人たちの源流がグループサウンズにあることは自分には関係がなかった。その世界は過ぎたものだったから。

細野晴臣はYMOのベースの人という認識しかなかった。中学1年のお昼休みに校内放送でながれたTOKIOとそれを聴きながらお弁当を食べているクラスメイトの顔と教室の空気が忘れられない。

中学に入って合唱コンクールの自由曲の候補にフォークソングを提案してくる同級生にはたいていお兄ちゃん、お姉ちゃんがいて、アイドルではない歌手をよく知っている。今思えば雑誌というものに歌詞とコードが載っているのを見かけたことがある。お兄ちゃんがいる友人のおうちで。

高1の夏休みのバイト先で聴いてちょっと惹かれたナイアガラトライアングルとその後もずっと好きな佐野元春。でも大瀧詠一と細野晴臣のつながりは知らない。

右肩上がりの日本のポップで優雅なテレビCMの多くは大瀧詠一に作られたり歌われたりしていた。

そしてなにより、テレビから絶え間なく流れるヒットソングの中でもとりわけグッとくる詞はほとんどが松本隆という作詞家のものだった。聖子ちゃんの新曲をドキドキしながら心待ちにしたり、妹と一緒に「いいと思ったらやっぱり松本隆か!」なんて子供ながらにテロップの作詞:松本隆に「またやられた!」なんて思ったりしていた。

でも松本隆がいったい何者なのか、まったく知らなかった。

歌番組で森山良子の歌を聴き(ざわわとかそういうののもっとずっと前です)この人の歌い方好きだ~と思ったらムッシュのいとこだったりジャズマンの子女だったりする。

でも依然としてすべては点と点。テレビの世界ではこれはほんものだと言われていたものが明日にはただの売り物になってしまう。売り物は人気が落ちると価値も落ちてとたんに色褪せていく。なんだか昭和のテレビっ子は与えられたもので満足し、飽きたら新しいものをあてがわれ、とっかえひっかえいろんなものに夢中になり、でも本当の価値がなんなのかなかなかよくわからなかったのです。

しかしこんな私も新世紀の文明の利器、パーソナルコンピューターによって、自ら進んで掘り起こすことが可能ということを少しずつ覚えました。

ムッシュかまやつとその周辺のミュージシャンの話、そしてはっぴいえんどのメンツのお話はそれはもう魅力的だ。私が掻き立てられるのは、彼らは音楽の全体像を掌握していて、自分たちがその最先端にいることを自覚していることだ。まだ日本にないものをアンテナを伸ばして掴み、体現する。そこにいながらそれをやっていることを知っているというところなんだと思う。

根掘り葉掘りするうちになんだかちょっと、それまでのほうぼうに点在していた点と点の間がやや埋まり、日本の音楽シーンの流れる雲みたいなのが、私にもちょっと垣間見れた。というか、これまでもや~っとしていた雲の中にいたのにかたちや流れが見えてきてものすごく興奮し、気づいたことを夫に向かってとうとうとしゃべり尽くした。

夫とは10年ひと世代違うので、点と点の話をすると音楽は特に話が合いません。が、全体の雲の話は盛り上がる。これは楽しい。

結局のところ、音楽シーンというのはその世界で生きる人々の人間関係図でした。松本隆と細野晴臣と大瀧詠一は大学生の頃に学校の枠を超えて出会って知り合って仲間になっており、はたちそこそこの男子が時空を超えて愛される音楽を作っている。そのこともすごいですが、その地図が広がったり狭まったり薄まったり濃縮したりの線を描きながら世界が作られています。

太田裕美と松田聖子と寺尾聡と南佳孝と斉藤由貴とマッチと薬師丸ひろ子と桑名正博は同じ人の書いた詩を歌ってそれぞれ多くの人の心に歌を残しています。そう思うと世界はなんだかずっとシンプルです。

私はそれらのヒットソングをよく知っていて今もそらで歌えますが、点の奥に流れるものが見えないと、やっぱり世界は縮まらない。すべてがばらばらに並んでいて、自分との関係性がわからないし、その価値もわからない。それは私が生きるこの世界についてとまったくおんなじなんだなあとつくづく思います。

私たちの生きるこの世界は、意識のエネルギーという雲の中にあります。一見、個々に人がいて、それぞれ独立した脳を持ち、アイデンティティーを持ち、その中にある価値観に従って生きているように見えます。でも私たちは本当は意識のエネルギーの関係性の中に生きています。脳はその横のつながりを感知しています。時には感情といううねりで、時には思念で、そして無意識的な感覚で、またそれよりも深く大きな、愛のエネルギーによって、常にやり取りをしています。

それぞれのエネルギーの特性と作用がわかりさえすれば、この世で人間が引き起こす現象を理解できます。そうすると、その世界とのかかわり方がおのずとわかります。自分をどう扱えばいいか、どう捉えればいいかがわかります。

それはすなわち、自分とは何なのか、自分をいかに生きるか、と同じ意味です。

人間関係を作る元は、自分自身との付き合い方にあります。自分というエネルギーが今何をしているのかに気づくことからその付き合いは始まります。

あてがわれたものに反応している人生から、自ら掘る姿勢への転換は何よりも大事なのだと思います。それはそのまま、潜在意識という混沌の中で夢をみている状態からの目覚めを意味します。難しいことではなくて、自分とは何者だ、という問いにあと半歩踏み込んでみる勇気なのだと思います。

そこにはずっと親密でエキサイティングで広大な平和があります。ぜひナビゲートをご依頼ください。