人間ってほんとにすごいのよ

「RUACH AZUによるヒプノセラピストのための講座」を開催中です。

ベーシック講座なれど、これまでの経験からの発見、学び、気づきをなるべくお伝えしたいがゆえに、膨大な情報量となっています。全身全霊を傾けて受け取ってくださる受講者さんに、またこのような導きを成就させてくださった大いなるものに感謝ばかりです。

究極、煮詰めれば煮詰めるほど言いたくなるのは「人間ってほんとにすごいのよ」ということです。
私がどうしても伝えたいと思う動機はそこに在るのかもしれないなと思います。

まだまだみんなきっと、自分の中の壮大なエネルギーにびっくりできますよ。
人生の中で、生きてるうちに体験してほしい、みつけてほしい。
みつける旅を始めてほしい。内面の世界の旅を。
潜在意識の探索はもちろん自己を知るための宝庫だけど、それは神をみつけるための作業に他ならない。
その奥の本質、(超意識、宇宙意識)ってところまで、みんなが目を向けるようになったら、世界はあっという間に変わるだろう。

それでなくても、私が出会う人はすばらしい人ばかり。
だから、世界はよくなるに決まってる、としか思えない。
いろいろと良くないニュースが目に付くけれど、本当に世界を動かしているのは、意識のエネルギーのほうだから。

今日も自分を磨きます。
壮大なすべてを内包するエネルギーの一部として、「それ」とひとつであるものとして。

感謝とともに
AZU拝

完璧な今を生きる

みなさんこんにちは。
今日も、長年のおつきあいをいただいている方からいただいたご質問への返信を掲載させてください。

正直、上手に書けているとは思えませんし、もっと簡潔にわかりやすい書き方がたくさんあると思っていますが、今の自分なりに精いっぱい、ある意味必死(笑)に書かせていただきました。

いただいたご質問は、「どんな状態でも完璧」と言われる概念についてです。難しいですよね!

以下、私からのご返信です。気がついたところを少し加筆させていただいています。

「どんな状態でも完璧」という概念は、何を、どの視点(次元)から観るかによって全く意味が違います。

まずどこからみても完璧なのは神だけです。

「状態」というのは移り変わるものなので、そもそも完璧ではありません。例えば「正しさ」というものも、状況によって変わるのであれば本当の正しさではありません。つまり本当に正しいものというのは真理だけですよね。

生きるということは変化するということです。この世界での真実は変化するということだけだと思います。

変化とは今の状態から次の状態へ移るだけなので、本質的な変化というものは確かに、本当は無いとも言えます。

そういう意味では、私たちは神という永遠無限の真理の中で、ただ移り変わるかに見えるものを体験しているに過ぎません。

それはある言い方で言えば、そのままで完璧です。でもそのことを、どんな状態であろうとそのままでいい、というふうには言えませんよね。

「どのような状態も完璧」の意味の一つは、今その状態であることが今のあるがままであって、それ以上も以下もない、ということではないでしょうか。完璧にそれでしかないのです。そして変化というのは、今の完璧な状態から次の完璧へと移り変わるだけ、という意味です。

私が(以前にお話した)他者(セッションであればクライアントさん)の内に対して観る完全、というのは状態ではなく本質で、魂と内なる神のことです。この場合の完璧は、それ自体が本当の意味での全き愛です。全き愛とその人の「状態」との間の壁がどこにあって、その人が今どういう状態に「陥って」いるのかな、という観方をします。

魂と神に対して開いていない状態はすべて陥っている状態です。そしてすべての人は、みな等しくどこか陥っています。陥っていなければそれはすでに完全に神と一体ですよね。

私が相手の方に見る魂や神は、自分の中に観るのと同じ程度にしか見えません。ですから私は、自分の中に日々神を観ることを求めます。

ご質問に対しての端的な答えとしては、自分の中の神をみつけることがすなわち、世界の完全さと出会うことになります。神をみつけるには、深い瞑想が必然となります。それ自体が答えです。

セッションでは私は自分の分と、相手の方の分を両方、神にお願いします。

まずはその壁を互いがはっきりと観ることができますように、そしてそれが本当に必要なのか、必要がないものなのか、明らかに気づけるようお導きください、そして、不要なものであれば、それを手放せますように、さらにその壁や鎧の代わりにあなたが護ってくださいますように、というふうに。

陥ったところには必ず影である闇と無知があり、それを維持するための恐れがあります。私たちはそれらから、自由になる努力が必要です。それが、内に神を宿す私たちの必然であり使命だと思うからです。そうしなければ、愛を生きたことにはならないと思うからです。

その努力にあたって人が変化する時、今の状態を受け入れることができないままに次に移行しようとしても、その人の世界では、不完全さから次の不完全さへ移行するだけになってしまいます。物理次元を主体に観ているとみなそれをやっています。

意識(スピリット)が主体の世界での法則はこうです。

今があるがままの100%であることを認めると、次の、別の100%へ移行できるようになります。つまり、変化の中にいて、常に新しい完全な自己へと移行できるようになります。

その時に人は初めてあるがままに、今にいる、ということがわかるようになります。完璧な今にあって初めてこれまでのすべてが完全であったと悟るのです。

つまり、「どんな状態でも完璧」というのは、今という完全さに目覚めた瞬間の中にだけ存在することなのであり、この世、幻想世界での現象を示してはいない言葉だと思います。つまり、神をみつけたときにだけ在り得るのだと。

自己に取り組むワークというのは、今を完全に認めることに他なりません。その作業があって、私たちは次への変化を進むことができます。それらの工程は自分の枠の中にある自己意識だけでは不可能なのです。必ず、それ以上の意識、つまり超意識以上の、魂、神という意識が伴ってこそ可能になります。それで初めて、不完全から不完全への移行という幻想を退け、完全から完全への移行が可能になるのです。

魂の連帯に、今日も感謝いたします。
AZU拝

天使とのつきあい方

今日は、長年のお付き合いをさせていただいているお客さまからいただいたご質問への答え、を掲載させていたきます。
長いセッションの積み重ねの体験があると、お互いの共有する理解の中で、私自身が自由になれて、深い内容について触れることが容易になります。これは私自身のしあわせです。

いただいたご質問は、AZUさんご自身は天使やマスターにどのようにお願いをしていますか、という内容です。

昨今では波長の法則が認知されるようになり、高い波動は高いものを、低いものは低いものを引き寄せる、ということが広く知られるようになりました。確かに、この物理次元の法則はまったくもってそのようになっています。
それが認知されることはすばらしいことですが、そのために、自分の本当の状態を自分にまで隠す、というようなことをしている人をよく見かけます。いいことを引き寄せたいがために、本当は悲しいのに、それを思考で片付けて、ないことにするような態度です。

私はそれを本末転倒だと思っています。それは、自分をよりよく変える道を逆行するようなものです。

より良き未来を創るのは、自分の意志に他なりません。そしてそれはいつも未知です。
私たちが既に知っている良いことというのは、現状の自分にとって都合のいいことなのです。
でも、本当の良きことというのは、私たちが未体験の奇跡からやってきます。それは、神からの贈り物です。
神からの重要な贈り物というのは私たちにとってだいたい、都合のよくないものです。予期できないような道を辿って届くのです。

波長の法則を知って、神からの贈り物を期待する人は、もっと、もっとと贈り物を求めるようになっているように見えます。
でも、私たちは本当は、神からの最上の贈り物を受け取る準備をすべきです。それはときには過去にあげた自分の成果を手放すことです。

恵愛するヨガナンダ先生は「神からの贈り物を求めるのではなく、神そのものを求めなさい」と言います。スピリチュアルを信奉する人はぜひ、そうしていただけるといいと思います。

以下のメッセージは、そういう生き方を選ぶすばらしさにすでに気づかれた人に向けて書かれています。

 

天使って、人間界ではいろいろに捉えられていますが、ほとんどは自分の思いの投影だと思います。私も実体としてどんな存在かと言われると、これ、というふうにはわかりません。でも、いる、というか、ある、ということはわかっています。
私のイメージでは、より高次元の意識の層みたいなものです。定義するなら、高次元であり人間として生きたことがないエネルギー、だそうです。

マスターは、人間として何度も転生して、そして人間をマスターしたエネルギー(魂)と言われていますよね。

私のお話をするのであれば、私が自分を明け渡していいのは「神」だけと強く思っています。「神」というのは、より高いものではなく、完全でありすべてです。

神は波動すら持たないと喩えられています。点、みたいですよね。点には面積も体積もない、とされています。神は全宇宙の点みたいに私は思っています。点は、すべてのどこにでも存在できます。

その神の次の次元には意識が存在する。もう少しこの次元に降りてきていただくと光や愛や叡智や完全なる生命力として姿を現してくださる。神の息吹のようなものです。それは聖霊と呼ばれます。

そうなると、私たち人間にもそれを捉えられる可能性が出てきます。
私たちの魂は本当はすべてを知っていますが、知覚で捉えるのはとても難しいです。知覚はからだベースでそれを理解しようとしますから。つまり体験的に知っているものの範疇で判断しようとするのです。

生き物は生まれてこの方、からだベースで生きるよう訓練されてしまっています。でも、待てよ、魂は知っていたはずなのに。では、魂に訊いてみよう。それが瞑想ですよね。(魂は、神に準ずる意識で、個々に備わっています。)

祈りは、そこへつなげてください、というお願いです。聖霊を通じて、神や魂そのものと直接つなげてください、という。

そんな私たちの姿勢があると、天使やマスターは喜びます。自分たちと近い波動を感じて引き寄せられます。
天使も、マスターも、神の波動が好きなのです。自分たちもそこへ近づきたくて仕方ない存在だからです。

ですから、ともに神に歩み寄ろう、明け渡そう、という意識と連帯し、協力し合い、助け合います。そう、これは助け合いです。仲間の誰かが前進したり、またはつまずいて学びを深めたりすることで、互いに影響し合えるからです。

彼らは神に歩み寄りたい意識を無条件に助けます。ですから、彼らにはただ、お願いすればいいのです。彼らは無条件の愛を体現したいのです。

私たちはその助けを受けることでまた、無条件の愛を実体験できます。お互い様です。

世間でいろいろ言われているのは、自分なりの考え、つまり次元の枠のなかで高次元を考えているからです。例えば、神に歩み寄ろう、自分を明け渡そうという決意無く、ただ漠然と天使にお願いしようとしても、本当は何をお願いしていいかわからないと思います。それで、こんなお願いはOK、こんなのはNGとか、そんなふうに分けなければならなくなります。例えば、自分が心地いいものをください、不快なものはいりませんとか。または、そんな低次元のお願いは通らない、とか、欲になるとダメ、とか。確かに自分をよく知る段階で、それは体験すべき道ではあります。

でも本当は、目的がはっきりしていなければ、天使も手伝いようがないのです。それでも彼らは無条件の愛を体現したいから、ある程度どんなお願いにも応えます。でも今度は、受け取る側に疑問が出てしまいます。「こんなになんでも叶えてもらうだけでいいのかしら。そんなはずないけど」と。

それで、真理の探求が始まるなら天使も本望なはずです。より良い目的をみんなが探し始めれば、それで無条件の愛は目的が果たせています。

私はいつも、「最高次元の根源なる神よ」と心の中で呼びかけ祈り始めます。天使やマスターたちはその私の祈りを全部聴いています。そして私の本当の望みを知っている神の意志に沿って私を護ったり導いたりしてくれます。

私にとってのピンチというのは、それらの信念(直覚)がぐらぐらとするときです。自分がとんでもなく間違ったところにいるような感じがしたり、愛という次元から外れてしまったように感じるときです。○○さんもそうではないでしょうか。

それは一番の試練ですよね。

そんな時こそ、お願いをします。そういう時は一番のピンチですから、お願いの仕方などまったく問題ではないと私は思います。普段から祈りと瞑想をしていればいるほど、それが届くことを知っています。

マザーテレサは、本当の愛は傷つくものだ、と言います。それは、愛が弱いものだという意味ではなく、本当の愛を求め、体現して生きようとすれば、肉体に近い次元の心は痛みを感じるということだと思います。多くの人が、覚醒すれば痛みを感じない、と誤解をしていますが、覚醒というのはより繊細になることですので、実際はますます神の助けを必要とするようになるのです。そしてますます、自分を神に明け渡せるようになります。

もし天使(無条件の愛)が、重い波動のものを救えないとすれば、地獄にいる人はどうやって救われればいいのでしょうか。最も困難で苦しみにある人は、どうやって光をみつけるのでしょう。一ミリも光が差し込む余地のないほど重たい苦しみにあっても、それを救うのが天使の仕事です。そうやって人はどこで何をしていても、光を見ないことはできません。ただ顔を少し上げるだけで、それはそこにあって、手を伸ばせば触れられてしまいます。願いというのはそこに手を伸ばすことです。

やってみてください。そして、神が望むのであれば、そのカオスの中で、ただ自分であり続けるという訓練を受けて立ってください。受けて立とうという決意によって、神は次のレッスンを準備し始めます。