社会科、補足。


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なんと、今日も1位でした。

昨日のブログの補足です。

小泉さんが総理だった時代にしたことでとても重要なことを書き忘れていました。それは、自衛隊のイラク派兵です。

イラクが大量破壊兵器を保有しているとしてアメリカが攻撃しましたが、今では「イラクに大量破壊兵器はなかった」と公に認められています。どうであろうと戦争には近づきたくありません。

日本を限りなく戦争へ近づけた総理は過去には小泉さん、今は安倍さん。

戦争にはスポンサーが必要であり、その巨大スポンサーは常に、どっちが勝っても儲かるように投資していると言われています。

小泉さん、安倍さん、どっちが勝ってもどっちも負けないのではないかしら、と思えてきます。「取り引き」のにおいを感じてしまうのです。

宇都宮さんは前回都知事選で大差ながら2位でした。山本太郎さんも2回めで当選しました。もしかしたら、宇都宮さん封じの当て馬なのかも、と、ふと思いました。そうなんです。自分がマイノリティなので、宇都宮さんに人気があるのをつい忘れていました。でも今日母と電話で話したら普通に「宇都宮さんしかいないんじゃない」と言われ、そうかと思いだした次第です。

以下、リンクを貼っておきます。yahooのニュースなので数日でリンク切れになるかもしれません。拝啓 小泉純一郎様 「脱原発」語る貴方が答えるべきこと

私は小泉さんがもし本気で脱原発、本気で細川さんを応援するならこの点に触れ、改心を語るのが一番効果がある気がするのですが。そうしない限りは他意がある疑いを拭えないと思えます。とても聞きたいところです。

喉から手が出るほど結果がほしい脱原発。だからこそ、丁寧に本当を紡いでいきたいものです。次世代の誰が見ても明らかであるように。より崇高な選択をみんなでしていけるように。

しろうとの社会科。


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今朝方、初めて1位になっていました。

私は社会の中ではとってもおかしな位置で生きてるおかしな人なんですが、周囲にはすてきな人ばかりです。

現在日本国民が死活問題として抱えている原発。選挙の度に大きく揺れます。

今東京都知事選があって、どれくらいの人が関心を持っているのかわからないけれど、私はとても関心を持っています。沖縄は名護が基地にノーという結果を出しだばかり。もちろん手放しにそれが嬉しいわけではありません。それで当面生活がいい方に向かわない人もたくさんいて、きっと困っているでしょう。でもそういうこともまたみんなで助け合える社会に向かっていければと思う。なにしろ沖縄の人は、戦争がすべてをぶち壊すということを身にしみて知っているから。

原発は戦争の道具、というのが私の知っていること。発電の問題にするのはすり替えだと思ってまったく信用していません。発電をどうするんだ、というのは詭弁です。戦争したい人が、別の発電を発展させなかっただけで、人類は別の方法をたくさん持っています。やればできます。現に今、原発は一基も稼働していません。

都知事選で細川さんが小泉さんの応援で脱原発を言った時、脱原発を望む人の反応は二手に分かれたように見えました。歓迎とノー。

私はというと、あまり信用しないほうがいい、と感じている一人です。

それに関してお怒りやお叱りの意見を目にするので、自分の思いを何度も何度も見直しています。

ちなみに多くのお友達やこれまで思いを共有してきた女性の多くは宇都宮健児さんを支持しているようです。多くが主婦。小さな子どもさんを持っていて、育児や食べ物や環境や、人間のエゴやスピリチュアリティ(愛)に感心を持って努力なさっている方たちだと思います。
そして少なくても共産主義、とか、正義、とかドグマ、ではなく、愛を探求なさっている方々だと思う。私もそのひとりだという認識です。

細川さんが脱原発を主張なさるのを歓迎しないわけではない。もちろん脱原発の人が増える事は歓迎に決まっている。しかし政治と政治家はおっかない。市民が表面を見てああだこうだと言うことを見透かした上でいろいろ戦略をこうじる。私たちはずっと長いことほとんどなにも知らずにコントロールされてきています。これは特に東京で暮らして来た私の感覚。

細川さんご本人はいい方のように見えます。でも私は小泉さんがこわいです。彼はとても人気のある総理でしたが、後になって勉強してみると、最悪な総理のひとりで日本の弱者を痛めつける構造を確立してしまった人。アメリカとの関係、またもっと裏の関係にも通じ大きな役割をし、力のある人だと私は認識しています。

もし私が悪の親玉だったとしたら、まず小泉さんと取引をします。彼は目的のためなら取引に応ずる人だと思います。プロですから。小泉さんに魅力を感じている人たちはそこがいいと思っているかもしれない。彼を利用するんだ、脱原発のために、と思っているかもしれない。ですが、いったい彼を誰が利用できるんでしょう。利用されて来たのは被権力者です。

これは本当に私の感覚でしかありません。しろうと感覚です。でももし、生命をかけた選択が迫ってきたとしたら、私は小泉さんの旗に近寄りません。家族にも、行かないで、と言うと思います。今のところ、そうです。脱原発をエサにさらに支配が深まるような取引をされたら、私たちはますます光から遠のいてしまいます。秘密保護法や改憲さえ通ってしまえば、原発なんていう隠れ蓑なしに、燃料商売、武器商売がもっと堂々とできるのです。

小泉さんが反自民、反安倍政権だという認識は本当なのでしょうか。反原発であっても秘密歓迎、改憲歓迎、戦争歓迎であれば、原発をなくして核兵器を保有となったら、と思うと恐ろしい限りです。私のクエスチョンはその点に尽きます。

細川さんが都知事選で脱原発以外を殆ど語らないのは本当にうまい戦略だと思います。ですが、本来それは都知事の仕事ではないです。確かに東京都は東京電力の大株主ですからスポンサーではありますが、どの程度力を行使できるのでしょう。私が悪の親玉で、「勝つ」ことだけを目的とするならそうします。でも誠実に仕事をしようとするなら、他の本来の重要な政策を語らなければと思います。

選挙は勝たなきゃ意味が無いというのも、詭弁だと私は思います。だって、ずっと負けてきたじゃないですか。大事なのは、多くの人が目覚めることです。そうしたら負けようがなくなります。そして今そうなりつつあります。これは、沖縄というお手本を見てください。勝ち負けじゃなく、結果に囚われずにずっと声をあげて来た人々のおかげです。どのような意見でも、声をあげてきた人がい続けたおかげです。被権力は権力を監視することが重要です。ここに勝ち負けはありません。人類の進歩は一見負けの積み重ねによってなされてきています。

長い戦いをして来た人にとってこれまでにない大物がこちらに微笑んでいるのは魅力だと思いますから反対はできません。ただ、また騙されちゃうんじゃないかと心配です。

そして、勝つにはこれしかない、これがわからないなんてバカだ、偽善者だ、非国民だ、という考えは痛々しいです。それだけがすべてだと思ってしまうと、世界は暗黒になります。

脱暗黒。脱戦争。そして、前向きな友愛と建設的な思考にはなんであれ神が後押ししてくれます。本当の勝利はどの道ずじを通ってやってくるか、人間にはなかなかわかりません。だから、いつ奇跡が来てもいいように、私たちはそこに向かって自己を開いているべきだと私は思うのです。

思想がなんであれ、人類に貢献している人は世界に大勢います。どんな小さなことでも。その思いのすべてが宇宙と地球と私たちを生かす神とともに働いています。

ノンジャッジメントと無条件の愛


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ノンジャッジメント。価値判断を手放す。ニューエイジ思想などでよく聞く言葉です。私たちは日常ありとあらゆる判断をしています。人生は毎瞬が選択の連続です。選択をするためには意識的にも無意識的にも判断をしなくてはなりません。ですからこの言葉の字面の意味だけで解釈してこれを実践してみようと思うととても大変なことになります。「勝手な思い込みによる判断をしない」などという注釈もあるようですが、ではどこまでが勝手な思い込みでどこまでが公正なのでしょう。実際人間の潜在意識は思い込みの領域です。本気で取り組むほど謎は深まります。

実際の取り組みにおいて、価値判断をやめよう、やめよう、というふうに力んでしまうのは人間なら当然のことだと思います。例えば正邪の裁きから離れるというのは、ただ離れようとする気持ちだけでは決してなしえないことです。離れていない自分を更に裁くことにもつながってしまいます。実際はそれに代わる更に高次の指針、基準が必要になります。そうすると、無条件の愛、という標榜が出てきます。

無条件の愛をあなたに送ります、などという言葉の虚しさ空々しさ。無条件の愛は念のように送れるものなのでしょうか。実際無条件の愛を実感することとはどんなものなのでしょう。

無条件の愛は、神の愛、高次元の愛です。神はジャッジしない。神は正邪の判断をくださない。あるがままのすべてである。無限で無条件ですべてでひとつです。私たちはそれを限りなく偏見や既成の観念を捨て去った眼で観じて、想像するしかありません。それを体験しようと取り組むのが瞑想することでもあります。

そして、神がもし人間という限りのある肉体を持って神のような性質を活かして生きるならどんなものになるのか、それはそれぞれの人が探求し行ってみて見つけるしかないのです。それを私たちは人間として想像し得る限りの霊的な理想として求めるしかありません。

価値判断を手放すには、霊的成長を前提とすることが当然のことながら必須です。神のように(神をお手本にして)生きてみようとする、つまりスピリチュアルに生きようと決めること以外、始めることができません。そうでなくて価値判断を手放すというのなら、無法者、破綻者になることと区別ができません。

しかし今の日本には神無きスピリチュアルが横行しています。スピリチュアルをなんとなく癒し系のようなものとして扱うもの、或いは霊的な指針やお手本なしになんとなく豊かに幸せになりたいという願望を叶えようとする都合のいいレクリエーションやビジネスの手段がたくさんあります。本質という核を持たずに、道標のないまま「より良さ」を追いかけることは、実は価値判断を助長することになりえます。目的地を告げずにタクシーに乗って走ってください、というようなもの。時間とエネルギーの浪費ばかりか環境(全体)に対する悪影響もあります。

ここでの価値判断における価値というのは、人間が生きてきたこの社会を合理化するために便宜上設けてきた良し悪しの価値観全体のことです。当然ある視点においてそれらはその時々で役に立ってきました。またよりおしゃれに、よりかっこよく、より洗練された、より豪華に、より美味しくなどの趣向における価値もあります。ですからそれら自体のすべてが否定されるべきものでも間違ったものでもありません。

しかし、その価値観を、愛という観点からもう一度見なおしてみるとどうでしょう。美味しさを追求する中に、愛情や、思いやりを込めることもできますし、利益や人々の賞賛を求めることもできます。また途中までは愛情と思いやりによって構築されたものがある時点でそれを失い、名声と利益だけがひとり歩きすることは往々にして起こります。その限度や臨界点を人間が常に点検し認識することは通常とても難しいことです。

更に、それを追随する者は、最初からその名声と成功という点に惹かれることもよくよくあります。選ぶ側も、それを見分けて選ぶことは難しく、いつもその観点から観ることをしていなければその物や結果だけで判断しがちです。

それは私たちが社会的規範や集合的無意識から来る価値から基準を設け、他者や物や自分自身を常に判断していることが原因です。そしてこの価値基準は、丁寧に見直されない限りは非常に曖昧で大雑把でありながら、すべての人、すべてのものごとをとても狭い枠の中に押し込めてしまいます。

「世の中は不公平だ。」「世の中は欺瞞に満ちている。」「世の中は危険で暴力的だ。」「世の中は何一つままならない。」そして私はそんな世の中に心底疲れている。
「私は普通のことが普通にできない。」「私は多くの人が普通にやり過ごすことをやり過ごすことができない。」「私は誰にも正しく理解されない。」そして私はそんな自分に心底疲れている。以前の私の心の声です。正邪や普通という基準に照らされ縛られた非常に窮屈な価値観です。

私たち人間は確かに未知をたくさん抱え、多くの誤解をし、無知な側面を持ち、手探りです。単なる心のつぶやきですら、私たちは人間社会の規範に基いて何かを裁いています。しかしそれでも希望を持ち、勇気に溢れ、立ち向かい創造することもできます。そして希望、勇気、創造は肉体保存の本能を超えた、人間の中にある神の資質のひとつです。

神という規範、高次の愛という観点から人間を眺めた時、私たちは悪ではなく無知なのであり罪ではなく誤りをしており劣るのではなく未だ知らない者です。そのような観方を内なる世界=自己と、外なる世界=その投影に対してするとき、私たちは価値判断から自由になっていると言えます。

つまり、社会の規範を自己のものとして受け入れ採用しながら同時にノンジャッジメントであるということは(無法者、破綻者でない限り)厳密には不可能なのです。社会の規範という既存の世界を手放し霊的な本質を世界の軸であると受け入れること、選ぶことで初めて私たちは無条件の愛の片鱗にも触れているのです。