家族のワーク

2013年もあとひと月ですね。昨年はアセンションという、何年も前から注目を集めた年でした。アセンションという言葉もスピリチュアルという言葉も知名度、市民権を得てきた一方、誤解や誤認や言葉のひとり歩きと言っていい現象もあり、進歩というのは本当に一歩一歩なのだと実感します。

厳密な意味で、私は「これがアセンションだ」と言えるような体験と実感をしました。きっとこんなだろう、という思い込みの予測なしに体験を見なおして見れば、きっと多くの次元上昇の証を見つけることができることと思います。

私にとってのアセンションは、家族と家族関係の中に最も色濃く顕現しました。

昨年春は父の喜寿のお祝いということで、妹が付き添って沖縄でお祝いするというイベントがありました。妹と父のツーショットの旅行、私と主人でホテルを用意し、そして何より私の心が、一片の曇りなく父への愛でいっぱいだったことが奇跡でした。これは私の家族の涙無くして語れない歴史を知らなければごく当たり前の光景ですが、私の内なる世界においてはすべてが奇跡でした。

父の心からも私や家族や世界への愛が溢れているのを感じることができました。私と父の間が「すべてわかっている」という感覚で埋め尽くされた至福の感覚でした。地上にありながら天国にいて、これがすべてだったのだ、という思いに満たされたのです。南城市のカフェのテラスで美しく眩しい海を眺めながら「お父さんこんなに幸せでいいのかい」と言った父の目や声やセリフのトーン(笑)を心で再現するといつでも天国が私の中で蘇ります。

そして、この年の秋に妹が結婚しました。私が結婚したのは40歳。きっと妹は私よりは早く嫁ぐのではと漠然と思っていましたが、妹は更に1年遅く41歳での結婚でした。私は子どもの頃に家族の不和から結婚というものに疑問を持ち、自分は結婚しないと決めていました。けれども意識の世界を探求し、愛、人間の幸せというものに取り組むにつれ、結婚の重大さに気づき始めました。また世間で言われている結婚というものと、実際の結婚というものの神聖さとのギャップにも気付かされました。父と母なしにこの世に肉体を持ってくることはできません。誰もが肉体の父と母を持ちます。戸籍がどうであろうと、呼び名がなんであろうと。そして私たちは、その父と母の世界観を通して愛と、そして神を体験し始めることを最初に選びます。

私はヒプノセラピストの仕事を通して、幼少期にインプットされる体験の記憶が人間の意識にどのように影響し続けるかを学び続けています。すべての舞台措置や人物設定は、そこから愛を体験し始めるために魂が選ぶのですが、それは必ずしも望む、という選び方だとは限りません。選ぶというのは、過去のデータ(カルマ)から今とこれからの魂の学びにふさわしい波長、波動で設定されるということです。ですからそれは個の感覚としては望ましく感じられないこともおおいにあり得ます。選んだからと言って、望んだとは言えないのですが、魂という高次元の人格があるとするなら、その高次元の人格はそれを望んだということです。

結婚は、この世で愛を学ぶためには最も近くて対等な鏡だと私はよく語ります。子どもの目から見れば「どうしてお父さんとお母さんはけんかばかりしているのに一緒にいるんだろう」というように思えても、近くて密接で同等な波長である互いは強く引きつけられる一方でよく反発もし、ぶつかり合いもします。互いはその解決を、相手が変わることに求めることが多いのですが、ぶつかってしまう時には自分が一歩下がって視野を広げるか、自分が一歩抜きん出て成長すると、膠着した状態から脱して、また互いに磨き合う流れに変えることが可能です。このようにして結婚という神聖な絆は洗練され高められる可能性を秘めた土壌となっているのです。

私は主人との結婚を切望して叶い、主人は結婚してからその良さ、素晴らしさを実感してとても喜んでくれました。結婚してからこの方、2人で行うワークは絶え間なく継続し、そしてその気づきと感謝と愛からもたらされるギフトは私たちにとってかけがえなく最上のものだと言えます。妹の結婚には長い物語がありますが、この物語もまるで奇跡のようです。結婚から1年を過ぎ、彼女が日々創りだされ満ちていく幸せを体験している様子がよくわかるのも私の何よりの幸せであり、人生への問いかけに対する応えでもあります。

それからつい先日には、主人の弟の結婚と挙式がありました。私と彼の関係を思う時、家族というものの神秘を私は感じます。本当の家族、きょうだいのような絆を感じるからです。元々主人と弟は仲の良い兄弟ですが、私に対しても絶大な信頼と尊敬を託してくれています。私と主人とのワークを彼はお手本にし、実践者となってくれ、リトリートツアーだと言って沖縄へ度々来てくれていました。その彼が生涯の伴侶と、愛と光と出会う旅を共にする決意をしたことは、これも私たちへのかけがえのない贈り物となりました。披露宴では主人と、義父と義弟がそれぞれスピーチをしたのですが、それぞれが本当に愛に満ちた言葉を贈り合っていて、これまでのすべてに感謝が満たされる体験でした。

主人の両親は、こんな私たちを見て最近では自分たちもワークに参加してくれます。ワークというのは要するに、自分と愛する人が幸せであるために、向き合い、話し合い、和解と修正に取り組むということです。自分の内側で感じていることを明らかにして、互いの誤解を解き、または関係を微調整し、整理し、新たな繋がりを築いていくことです。家族でこのような作業をすることは本当に素晴らしいことだと最近では確信しています。このことにより、家族に対する愛が格段に深まることが実感され、その実感は魂の充足そのものです。

私の家族のほうでは過去あまりに過酷な問題が多すぎて、半ば強制的にこのワークをしなくてはならない面もあり、また、時には機能不全により断絶せざるを得ない時期もありました。そんな時は個々が傷つきながら内面に取り組んで、時間をかけて乗り越えなくてはなりませんでした。しかし近年になり、その多岐に渡る互いの努力のすべてが導きであり、神からの応えを受け取ることだったのだという思いを家族で共有できるようにまでなったのです。

この秋には父の健康に大きな異変があり、久しぶりに家族で全力で取り組まなくてはならない局面がありました。しかしどんなときでも、互いが互いの幸せのために向き合うという姿勢からぶれることなく、協力が実を結んで大きな峠を愛とともに乗り越えることもできました。出来事は一見不幸に見えても、歩む足は神の懐の中にあります。

私と主人の家族のひとりひとりが、寸分の狂いなくこうでなくてはならなかったようにかけがえのなさを感じることができ、この一見偶然に見える現実がすべて神の絶妙なはからいだと信じざるをえません。妹のだんなさんのご家族へもきっとこの光は広がるだろうと楽しみにしています。

世界はこのようにして確実に変化するものだと感じています。世界を平和にしたければまず身内から、というのは喩え話ではなくて現実であり、また家族の関係を刷新していくことは意識的に取り組まなければ叶わない、とても高度なワークなのだと思います。家族関係は放っておけば、幼いころに信じた窮屈な絆によって繋がれています。結婚すれば情熱は薄れ、互いに窮屈な関係を維持する努力しかないように語られています。しかし真の関係性は常に刷新されていきます。この刷新を認識しあう努力こそが、関係性を光輝かせ、愛をエネルギーとして感じさせてくれます。その恩恵ははかり知れず偉大です。このギフトを思う時、私は神と天国を見たと、胸を張って語ることができます。

光のディフェンス

日本は今、非常に不安定で荒っぽいエネルギーに揺さぶられている状況だと思います。多くの方が不安やいらだちや無力感を、意識的にも無意識的にも抱えています。このエネルギーは私たち一人一人が意識的に向き合って浄化してあげるに越したことはありません。気づいた人から整理整頓、そしてお掃除することで世の中が少しでも明るくなり、明るくなればまた見通しができて、次なる気づきへと導かれます。

もし今、どうしていいかわからない、なにをすべきか、またなにに気づけばいいのか、とモヤモヤを感じている方は、どうか一番身近な問題をみつけて取り組んでみることをお勧めします。

身近というのは、一番はまず自分の内面です。内面に何かしら問題があるとお感じならそこに向き合うこと。次に自分自身の一番近辺の関係。家庭の中や家族との関係。保留にして先延ばしにしていて気になっていることなど。世界を平和にしたかったり社会問題が気になる時、けれども直接行うことが見つからなかったり直接行うことにパワー不足や虚無を感じるなら、外側でなく内側、もしくは最も身近な関係を見直すことです。

私たちの意識のシステム、認識のシステムは、内在するエネルギーを外側のスクリーンに投影します。そして、そのスクリーンに映しだされたものに対して反応します。その反応は内側にあるものが映し出されているだけですが、あたかも映しだされているものが原因であるかのように認識します。

私たちの悩みのほとんどは人間関係です。自己の欠点そのものが私たちを混乱させることはあまりありません。欠点によって、何かがうまく行かなくなると私たちは葛藤し混乱します。そのうまくいかないことというのは殆どの場合人間関係です。

ある人とうまくいかない、ということがあっても、その相手に対して、愛と信頼をもって丁寧に向き合うことができさえすれば、その問題は時間をかけたとしても解決します。うまくいかないという状況下にあるとき私たちは混乱し、本来の愛という自己の中心にいることができなくなります。ぶれる、というのはこのことです。ぶれないというのは動じないということではありません。愛という光の衣の中にいることを知っていてその場所からものごとを観たり聴いたり対処したりすることです。光の衣を着たままで動けるということです。

けれど私たちはなにかうまくいかないことがあると感じたとたんに、光の衣を脱ぎ捨てて、素手やもしくは戦闘用の鎧に着替えてものごとに当たります。風当たりは厳しさを増し、相手も同様に戦闘衣に着替えて挑んできます。

私たちは何かに対処する時、確かに向き合い、時に闘う必要があります。この闘いというのは、虚構との戦い、幻影との闘い、恐れとの闘いです。つまり闘う相手は自己の内側に在ります。その闘いをするのに、重たい、不自由な、足手まといになるような鎧をつける必要があるでしょうか。そのディフェンスは役に立たないばかりか自己を縛りつけ、能力を阻みます。

私たちは光の衣によるディフェンスを選ぶべきです。

この光のディフェンスは、闇を照らし、心を暖め、受け入れるスペースを生み出してくれます。理解する根気と、落ち着きと、勇気と、叡智を私たちに与えてくれます。

うまくいかない時、私たちがしなくてはならないのは、まず立ち止まり、ひと呼吸置いてからこの光を呼び出すことです。そして光にディフェンスをお願いし、それから実際に出来得る対処について考えます。第三者に助けを求めることが必要なこともあるでしょう。いずれにしても光の衣のディフェンスによる加護と導きを忘れずにいて、そして願うことです。

求める人すべてにこの光の衣は与えられています。しかし私たちはついつい求めることを忘れます。他者や自己にばかり求め、導きを願うことを忘れます。他者や自己にばかり求める時、人は与えられているものを忘れてしまいます。すでに持っているものが見えなくなり、与えられているという感謝も感じることができなくなってしまいます。

そんな時人は地獄にいます。けれどこの地獄にさえ無感覚になることができるのが人間の特技でもあります。地獄に気づかなければ地獄から抜け出すこともできません。点検し、ディフェンスして取り組んでみてください。

あとは具体的にしなくてはならないのは整理整頓です。混乱を解き、誤解を解くことができれば、あとはエネルギー的なお掃除が進み進化へと私たちを連れて行ってくれます。この作業のお手伝いが私の仕事と心得ています。コツを覚えてどんどんご自身でできるようになるまでサポートさせていただければ一生もののお供になると思います。

つぶやきました

先日フェイスブックにつぶやいたつもりが長くなって、せっかくなのでこちらにも上げておきます。推敲していない文章なのでお見苦しいところもありますが、以下転載。

☆彡☆彡☆彡

映画、『戦場のピアニスト』を公開時に映画館で見て以来11年ぶりにDVDで。
改めて本当にすごい映画だと思った。
二度目だし、シーンやセリフも結構覚えていたけれど、それでもすごく緊張しながら見た。
冒頭から、あれよあれよと市民が戦争に巻き込まれていく感じがあんなにリアルに描かれているものは少ないと思う。
ユダヤ人がじわじわと逃げ場を塞がれていき、まさかそこまで、まさかそこまで、そんなに長く続くわけがない、と思っているうちに収容所へ送られる。
収容所が今より良いところなのかどうかもわからないまま。
その場で射殺は当たり前。
抵抗も、質問すらもできなくなる。
完全なる家畜。家畜以下。
心や尊厳を持つ人間が、心や尊厳を持つ人間をそのように扱い、当たり前にことが進んでいく。
終戦を向かえると、支配者だったドイツ軍は捕虜になる。
心あるドイツ人も同様に収容される。
本当にクレージーなことだけど、人間は追い込まれるとああなる。
個々がどうであれ、ああなると思う。
勇気ある人や、心ある人は即殺される。
追い込まれてからでは遅い。
いったん戦争になると、平和な良識なんて全く通用しない。
憲法を国家の都合のいいように変えるのも、国民に秘密を作る法案も、結局は人間が尊厳を失う道に続いている。
家畜以下の道へ続いている。
まさかそこまでは、まさかそこまでは、とずるずる後ずさりをして、地獄へ落とされる。
殺す方も殺される方も結局は地獄だ。

これは酷い、市民や子どもの生命をどう思っているのか、と日本の現状に疑問を持っている人は多いけれど、生命のために政府が動くのであればもうとうに、まったく違う方向へ動いているだろう。国家は市民や子どもの生命を守るためにはまったく動いていないということに気づいて認めなくてはそこから先へは行けない。

憲法改定で、内容次第ね、という考えは一見正論だけど、本当は違う。
国家が国に有利に変えるということは市民にリスクが来ることと直結している。
政府は実利のない無駄なことをわざわざしない。
世論を騒がせるようなことでは特に。
例えば今は少しお金が増える人もいるだろうけど、そのうちに家族に地獄が入り込んでくるだろう。

秘密保護法って言われたら、終わった、と思わなくては次に行けない。
権力は被権力に対して隠したいことだらけだ。
そんなの当たり前だ。
とうとうそれをあからさまにやろうというのだから相当本気だということだ。

私たちひとりひとりがどんな意思を持つか、それが大事だ。
一番いいのは認識を共有することだ。
現状を把握し共有することだ。
そうしなければ、力を合わせることができない。

力を合わせなければ大衆は権力の流れに抵抗することすらもかなわない。
主義や方法ではない。
まず現状起こっていることを観て、それを共有することだ。
共有するためには知ること、考えること、そして伝えることだ。
伝えあうことができるのもいつまで可能かはわからない。
でもそれしかない。