それでも日本ってすばらしい国だと思う日々のこころ

毎日のニュースを読んでいるとびっくりしてどうしていいかわからなくなることがあります。
昨日は沖縄にも放射能汚染された瓦礫を受け入れましょうと
知事が首相に話したと報道されていました。
今全国で
「そんなこと言ってたら食べられるものないじゃない」という突っ込みが効かないほど
「それ、ほんとなんですけど」という状況になりつつあります。
沖縄の野菜も県外へ送られたり九州から入ってきていた野菜も減少しています。
でもそうやって、
少しでも安全なものが多くの人の手に届くのはすばらしいことだと思われます。
昨晩は瞑想から戻ったらふと、
ああもしアメリカ軍の基地が沖縄に戻ってきたら畑にするのがいいんじゃないかな、
これは名案、なんて思ったりしました。
沖縄に住んで3年余り、
基地問題で返還を強く望む声と直接出会ったことが未だありません。
運動の最前線に行ったことがないから、というものあると思いますし
積極的に尋ねるわけでもないので
多くの人がどんな風に望んでいるのか知ることはできませんが
主人の感触だと「基地がないと困る、現状維持がいい」と言われる、とのこと。
私の感触もそんな感じです。
ある若い女性は「そこに基地があるから。生まれたときからあるものだから、現状維持」
ときっぱりおっしゃいました。
それは基地が生活ととても深くかかわっているからで
もし基地がなくなったら
仕事がなくなる
土地を貸してお金を得ている人が困る
というのも大きな要因です。
それは原発が地域に金銭面の潤いをもたらすことで存在していた構造ととても似ています。
ある日基地があったために想像しなかった事態が起こったとき初めて
みんなが基地について疑問を覚えるのでしょう。
居住地にヘリが墜ちたり、兵士が暴行する、という風な
突発的な事故だけではみんなが動かされるわけにはいかないのかもしれません。
大変残念なことですが。
(けれど私は、基地に反対なのではなく
戦争とか暴力がいらなくなる世の中というか、人間の意識の進化を望んでいます。)
また実際の経済を見ていても
巨大な土地が返還されても大きな資本が恐らく沖縄にはそうないので
県外からの大企業が参入しない限りは
建設的な変化が見込まれないので希望もわかないのもわかります。
沖縄では個人商店が開業されてはあっという間につぶれるのが茶飯事です。
開業率廃業率ともにナンバーワンだと聞いたことがあります。
賛成する人は少ないと思うけれど
これからの日本に不足しとても必要となるのは安全な食べ物なので
ぜひ基地を取り戻して、沖縄のすばらしい野菜をたくさんつくってほしいな、と
非常に個人的な希望として私は思います。
汚染されていない食糧供給のためにも
瓦礫をわざわざ船で運んできて南風原や那覇で焼くなんてことは
しないほうがいいのでは、と思います。
沖縄は小さい子供がとーっても多いのです。
知事はぜひ県民を守る提案をして欲しいものです。
それでも、
日々こうして生きているまにまに心の中に浮かぶのは
それでも日本はいい国だなぁ、というフレーズです。
なぜかそう感て仕方ありません。
こうしていろいろなことを考える環境を与えてくれる国。
みんなが良くなるために、考えたり発言したりすることを許してくれる国。
ゆっくりと丁寧に生きることを許してくれる国。
そこには希望がたくさんあります。
日本という国に生まれたのは本当にラッキーでした。
できたら恩返しに、日本の恩恵を次の人たちへバトンタッチしたいものです。

この世で最もシュールでリアルな夢

こんばんは。
ごく最近、二月になってからのことなんですが
小学校の同級生だった男の子(45)が連絡をくれました。
その子は転校生で、六年生のときだけ一緒のクラス。
中学にあがるとき、隣の世田谷へお引越ししたので
一緒に過ごしたのは本当に一年だけたったのですが
このブログにも時々書いている、五・六年の担任の岩ちゃんのクラスでした。
その岩ちゃんが今年でご退任なのでみんなでお祝いしましょうというお知らせ。
その子はインターネットで昔の記憶を頼りに私をみつけてくれたとのこと。
連絡したのは私が一人目で、
他に二人くらい連絡先がわからなくもないけれど
とにかくその時点では、彼のアイディアを共有するのは私だけだったのです。
私は人生で何度かパラダイスを経験しているおめでたい人ですが
その最初のパラダイス、言わばこの世のパラダイスの原型をおしえてくれたのが
岩ちゃん(岩村繁夫先生・今もご活躍で本も何冊も出されています)と
六年四組の仲間たち、でした。
ここのところ、昨年から今年にかけてでしたが、その時一番の仲良しだった女の子二人と
頻繁に夢で会っていました。
二人とも中学のときに引っ越してしまって
それ以来、まったく連絡がとれていませんでした。
大人になるあいだ、自分の過去をどんどん脱ぎ捨てる過程で
私たちはばらばらになりました。
だから夢で会うとき、私たちは十二歳のままでした。
他にも夢に出てくる子たちは何人かいます。
私は永遠のいのちを信じているので(笑)今世で絶対会いたい、という風には
ふだんあまり思わないのですが
この二人の友達と夢で会った後にいつも
「もうこの子たちとこの人生で会うことはないのかな?」と
純粋に不思議に思うようになっていました。
私という心を作るにあたって
とても強く大きく影響を与えてくれた人がこの世に何人かいますが
この二人の女の子と夢で再会するにつれ
彼女たちが与えてくれたものの大きさを感じないわけにはいきませんでした。
一人は、まるで生まれながらに優しくたのもしくあったかいお母さんのような女の子。
もう一人は、感性豊かで、圧倒的なカリスマ性を持った女の子です。
カリスマの女の子と私は、コンビを組んで歌手になるために練習を重ねていたのです。
ちゃんとコンビ名まで考えて。
(私たちは二人ともとてもりっぱなソバカスがあったので
フレックルズという名前でした。)
私はその友達のどちらのおうちにも泊めてもらっていて
そのおうちで初めて
「どこのおうちでもお父さんってこわいわけじゃないんだ。
ご飯のときってお父さんとこうやって笑いながら食べるものなんだ」
ということを初めて体感しました。
今でもその優しい笑顔と会話を忘れられません。
お父さんの一人はお泊りからまもなく亡くなってしまいました。
私はこのころには学校の行事や児童会などの政治、ダンスに歌、お芝居、アナウンスなど
なんでも得意で、いつも学校中をかけまわり
「みんなのこと」を考えるのが大好きになっていました。
みんなが楽しいって本当にしあわせなんだ、ということを知っていました。
岩ちゃんはいつも私たちを大人のように一人前に扱ってくれ
自分で考えさせてくれ
等身大で正直になんでも言ってくれる人で
そして授業はいつも爆笑と興奮に満ちていて
そしてずっこけていて
ちからが抜けていて
最高でした。
五年生になって始業式で担任が発表され
岩ちゃんが私たちの並ぶ列の前に立って
さて、これから教室に行ってめんどくさい話しが始まるのかと思いきや
「今日はもうこれで解散。明日教室に行ったら適当に座ってろ。
四階の便所の前のくっさい教室だぞ。以上」と言って
にやっと笑って行ってしまいました。
私はとたんに人生に魔法が起こったと感じました。
明日からとんでもなく楽しいことが始まる予感でした。
恐らくクラスのみんなが感じたのではないでしょうか。
男の子たちは歓声を上げていたかもしれません。
この二年間は私にとって、本当に宝でした。
振り返ると、ではなく、当時からその事に気づいていました。
こんなことは人生にそうあるものではない贈り物なんだ、と。
このクラスで体験した奇跡は「全員が優しかった」こと。
いつも一人がみんなを、みんなが一人を、気遣っていました。
誰かが元気がないことを、みんなが自分のことのように考えることが習慣でした。
そのような習慣を与えてくれたのが岩ちゃんです。
転校生の男の子が連絡をくれてから
私の記憶はずっと鮮明になってきました。
潜在意識の記憶が十三歳で閉じられるというのは本当だな、と心底思います。
私はクラスの一人を思い出すと、その子の着ていた服の色や形や風合いまで思い出します。
人によっては二セットか三セットくらい思い出せます。
髪の毛の質とか、手とか、爪の形とかも、時間をかければ思い出せそう。
つまりそれくらい、私の中にみんなが生きているのです。
これは決してノスタルジーではなく
彼らは現実の脳細胞のように
今も生きて働いているのです。
そうして時にはなにかに気づかせたり、考えさせたり、笑わせたりします。
元気を出させたり、自分の中の才能や、エゴにも気づかせてくれます。
そう、この記憶がインナーチャイルドそのものなのです。
転校生だった男の子が私に
「いったいこれからどんなことが起こったら、オミ(私)は200%満足すると思う?」
と尋ねました。
私はこの頃はあまり欲を感じないので
この質問の答えを一晩考えなくてはなりませんでした。
今の欲望ではなく、恐らくチャイルドである小さいオミの心をたどって。
二人の友達にたどりつくことはもはや現実となっていました。
(そのうちの一人から今朝メールが来ました。カリスマのほうです)
岩ちゃんに感謝を伝えるのは、もはや当然のこと。
でも200%ってなんだろう。
そもそもすべてのことを100%と呼ぶと言うのに。
それで私は「私の中で恐らくそうはならないだろう、となかば受け入れていることで
しかしながらそのなかばあきらめつつ受け入れている事実が結果もしそうならなかったら
私の既成概念が大きく崩れ去るだろうと思えること」を見つけました。
「全員みつかること。
たとえ誰かが不幸であっても、会えない状況であっても、
もしすでにこの世を去っていたとしても、仲良くつながれなくても、
それでもいいから、全員がみつかる。」
もしそれが本当に、実際に起こったら、
私は過去の時間と経験に対する観念を大きくくつがえされると思う。
誰かがみつからなくてもそれは自然なことだと思う。
当然なことだと思う。
すべての人がこのクラスを愛しているわけではないし
会いたがっているわけではない。
でも、たった一人の転校生だった男の子のアイディアから
もしそうなったとしたら
私は過去のこの時のことを
単なる人生の一ページという風には見られなくなる気がする。
それは、更なる悠久の生命からつむぎ出された奇跡という
この世で最も美しい真実だとささやかれているものに
本当に出会ってしまうようことのような気がするのだ。
あまねく背後に常にある神に触れるように。
ひのえうま生まれの我々は総勢三十六名。
私の概念がくつがえるまでに「あと十四名だよ」とメッセージが来た。
新たに出会い始めている仲間たちはみな
「夢見ているみたい」という。
「記憶の中だけでなくて、本当にわたしたちはつながってたんだね」
という言葉をもらったとき
この子は私という意識の投影である親愛なる友だと感じた。
私たちはずっと、本当にひとつだったのかもしれない。
同じたまごから生まれて、少しだけそれぞれの旅をして
けれどどの旅もみんなが共有している。
すべては夢だ。
私たちが一つだった、という真実だけを除いて。

世界の変え方

「悩みがたくさんあったはずだけど、ひとつのことでぜんぶ解決しちゃった」
というとっても嬉しい言葉をお客さまからいただきました。
意識の仕組み=スピリチュアルに基づいてあるがまま=真実を見ていくと
そういうふうになります。
スピリチュアルカウンセリングでは
霊視とかサイキックの力で何かを解決すべく変えるのではなく
ご本人がより高い境地、より広い視野、より細密な視点に立つことで
真実がわかるようになります。
そうすると、自己の内側にある創造の源の美しい秩序に目覚めることができます。
「さっきまで好きじゃなかった自分の名前が、嫌いじゃなくなってる」
セッション前に書いていただいたシートのご自身の名前をセッション後に見て
そうおっしゃってくださった方がおられます。
まるで奇跡のようです。
自己受容、自分を愛するというのは
真実をあるがままに、なんの防御もなしに受け入れるのと同じことです。
それができてしまうと
「このままで世界は美しい」
「ありのままの自分でいいのだ」
という風になります。
その時人は今にいることができます。
自由であることができます。
今にいるというのは無限の中心にいるのと同じです。
自己の中心にいるというのは無限の中心にいるということです。
充分ではない自分でいるとき
人は既製品のものさしで自分を計って自己評価をくだしています。
タレントをしていたとき
いつもオーディションに行っていましたが、その時にはいつも
誰かのものさしにかなうようにしなくてはならないと感じていました。
するとこんなことになります。
若すぎる。年を取りすぎている。
背が高すぎる。低すぎる。太りすぎだ。やせすぎだ。
インパクトが強すぎる。弱すぎる。
かわいすぎる。かわいくない。
きれいすぎる。きれいじゃない。
個性的すぎる。個性がなさすぎる。
器用すぎる。不器用だ。
何でもこなせすぎる。こなしきれていない。
落ち着きがない。落ち着きすぎ。
極端すぎる。中途半端。・・・・
本当に四六時中そんな風に評価されます。
それで結局なにを目指しても必ず結果としてはいちゃもんがつくのです。
そしてなにより、そういう時の自分は自分から見て醜いのです。
じゃあどうすればいいかというと一番良かったのは、
私はこれでいいんだ、誰がどう思おうと、という風に開き直ることでした。
それで結果実際にパスすることもありましたししないこともありましたが
結果がどちらでも後悔ないのはやはり開き直れたときです。
開き直るというと言葉が悪いのですが、もっとスピリチュアル的に言うと
ありのままでいられた、ということです。
ありのままというのは、ありのままの自分を見てもらおうとか出そうと思った瞬間に
そうではなくなってしまいます。
そういう失敗はよくありました。
ですからもっと厳密に言うと、どんな自分も出そうとせずに
ただその時の自分の状態を認める、という感じです。
本当の自分なんてオーディションのときに出せるはずがないのです。
オーディションでなくても、会社や社会での人間関係はみんなそうです。
そこで素だとか自分の本質を認めてもらおう、なんて、おかしな考えです。
そうじゃないでしょうか?だれがそんなことできるでしょう。
またそれを必要とされているでしょうか。
ですからそうではなくて、今の状態や今の状況の自分を受け入れていきます。
緊張しちゃったらそれを、へんな感じになっちゃったらそれを、認めてゆるして手放します。
そうすると、その状況は過ぎていき、終わります。
それから新たな別の状況が訪れますが、
それを拒否したり隠したりせずに受け入れるのです。
それが必ずしも好ましい状態ではないかもしれませんが
拒否したり隠したりするよりは「新鮮な」状態でいられることは確かです。
新鮮というのは常に流れている状態です。
つまりエネルギーの流れに逆らわずに淀まずにいるので
いきいきしていて生命力があり結果魅力的なのです。
例えばオーディションではそういう人が注目を集めますし
社会というこの物理次元の世界ではそうです。
世界は本当は自分の意識の投影なので
こういう風に自分の中で自分をどう認識するかを変えるだけで
世界というスクリーンへの「映り」がすぐに変わります。
人に何かをして見返り(反応や評価)を待つ必要なんてありません。
ただ、自分に対して自分がみなした意識が鏡に映って放射されます。
自分が自分に与えた「エネルギー」が鏡に映って自分に還ってくるのです。
だから世界はすぐに変えられるのです。
この原則を身につけることができると
人間関係の悩みは消えてしまいます。
関係というのは相対的で幻想なので
本当に一瞬で雲散霧消します。
スピリチュアルとか真理、真実ってものすごく現実的なのです。