スピリチュアルであること

ヒプノセラピーを始めてから10年以上が経っているので(11年なんですね)
本当に不思議なことには慣れっこになっています。
時々われにかえると、あれ、これって普通だったらびっくりするよな、とか
奇跡なんじゃない?と思いながら洗濯物を干したりしている毎日です。
ですが、ヒプノセラピーそのものはふわふわした不思議ちゃん系のなにか、ではなく
きわめて厳格な原理と仕組みに基づいています。
瞑想というのは意識を科学のように捉えた癒しと内的進化の技法です。
時々、宗教とは関係ないですか?と訊かれることがありますが
少なくとも私は宗教とはまったく無関係です。
先日、セッション後に
「宗教やスピリチュアルなどと言われているものに疑念を持っていましたが
宇宙と繋がると言われていることの意味がわかりました。
幻想でもなんでもなくとても科学的な明確なものなんですね。」
とお話くださった方がいらして、その言葉がとても嬉しかったです。
科学的だと言われたからではなく
その方ご本人の中で明確に感じ取っていただけたということがわかったからです。
私にとってスピリチュアルとは
人間とはどんな生き物なのか、ということと同じです。
そこには中心があり様々な側面があります。
スピリチュアルはその核心に迫るものです。
人生を、その核心に触れ、受け入れ、核心とともに生きることは
平安であり至福であると私は思っています。

幸せになるために

私のしている仕事は
「個が幸せになる」ことのサポート。
幸せというと、かたちはそれぞれ違う、とか
感じ方の問題だ、と言われることが一般的には多い。
でも幸せというものを追求していくと辿り着くのだが
それはかたちの問題ではない。
感じ方というのはとても気まぐれなもので
ある時は「あれ」をサイコウ!と感じるけれど
別の時にはもうなんとも思わない。
その場合の感じ方をどうこうしても
幸せへの歩みは着実とは言えない。
あの人のここは好き、だけどここは嫌い、とか言うのが
愛ではないのと同じこと。
嫌いなものをじっと我慢することでもない。
無視するのでもない。
暗示をかけて好きになるように思い込むことでももちろんない。
そういう好き嫌いとか
いいわるい、ポジティブとネガティブという評価を超えて
愛というもので自己の内面が満ちていくように
積極的に変容に働きかけることがその方法だ。
その作業こそが内面の進化とか成長とか言われるものと同じであり
そしてそれでしか人は幸せにはならないと私は思っている。
人が何かを手に入れようとするのは
この、愛で自己を満たしたい欲求への代償行為のようなもの。
代償をたくさん得たとしても肝心の部分は決して満たされない。
王様は実は空虚でした、とか、大富豪はいつも不安でした、
とかいう寓話に代表されるのはこのこと。
それでも王様になってみたいんだ、とか
一度は大富豪とは言わなくても大成功してみたい、という願望に異論はないけれど
人間の欲望は一度みたされるとエスカレートしていくものらしい。
もういい、もう充分、やめます、と人がなかなかできないのは明らかだ。
けれども内面が満たされて幸せになったなら
願望を達成すること―内なる青写真を創造することに葛藤(罪悪感やら恐れ)がなく
また達成した後もそれに執着することなく手放すことも容易だ。
幸せであることは自由なのであり
潜在意識の記憶からくる概念や評価、執着から解放されている。
究極的に内面の自由を得ることを悟りという。
震災後、しばらくは原発の真実を伝えることに意識を投入した。
そのわけは、震災直後の日記に書いたけれど
誰にも間違って(心身ともに)死んだりしてほしくなかったからだ。
知らずに、うっかりと、見過ごしてほしくなかった。
私は健康長生きを目指しているのではなく
魂の乗り物であるこの人生を誰もが存分に生きることを願っている。
そんなこと願われても迷惑だと思われるかもしれないけれど、
この(3次元の)世ははかなく無常で
魂がこの短い人生で心底満足することなんて
本当に奇跡であることをいつも見ているからこそ
そう願わずにはいられない。
それで初心に立ち返り
私に与えたれたこの仕事に
あらためてエネルギーを投入しなおした。
高次のマスターに改めて問い直したら
あっさりと「癒し」なさいと言われたこともある。
また、原発のことも書くけれど(言いたいことはたくさんある)
でもこうやって私のブログを読みに来てくれる方々には
緊急の危機であることは伝わったみたいだし
嬉しいことではない事実も世間では少しずつではあるが明らかになりつつある。
あとはあきらめずに自分の中で一つ一つかみしめながら
真実を見つけては伝えること、
また歪んでいることを修正できるよう働きかけることを続けていきたいと思う。
それでも、私が迷いなく信じているのは
本当に厳しい条件の中にあっても
人は幸せになれるということ。
内面に取り組みそこへ入っていって働く(ワークする)ことで
傷と痛みは癒され、隔たりは統合され、記憶は浄化され、
私たちは光と愛とひとつになれる。

海中のプラーナ

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写真は南城市玉城の山の茶屋です。
南部でとてもいい雰囲気のカフェです。
みなさんお元気でしょうか。
先日は北部本部町の瀬底島で
ちょっとだけシュノーケリングをしました。
小さな子供が立って歩けるくらいの深さで
砂浜から数メートルと離れていないところなのに
驚くほど色とりどりの魚がいて、珊瑚がいっぱいでした。
あまりに魚がいるのでまるで深海にでもいるような気分になりますが
ふと立ち上がるとひざ上くらいの深さなので
だんなさんと、なにこれ~と笑ってしまいました。
でもその日一番の驚きは
水中めがねをして水中を見渡していると
これまでに見たことのないほどの密度のプラーナが見えたことでした。
だんなさんが「ほらほら!」と魚を指差して教えてくれるのですが
プラーナがじゃまして魚が見えないほどなのです。
何度もめがねをし直して潜り直すのですが
どうしたって圧倒的なプラーナが
まるであれです、3D映画のめがねでもかけているように現れて
一生懸命よけながら魚を見る感じなのです。
冗談のようなのですが。
そういえばわが町豊崎のビーチでも
顔にかけたタオル越しにプラーナが見えたのを思い出し
やはり母なる海の生命エネルギーって
本当にすごいんだな、と納得しました。
そうとしか言いようがないような
圧倒的な体験でした。
私は海では特にこわがりなのですが
だんなさんに強引にシュノーケリングを教わり
グァムのコンビニで購入したおもちゃで
何度か遊んでいます。
水中めがねというものをつけると
海は別世界で
いつも、見えすぎちゃってこわい、と最初はびびりまくります。
だんだん慣れてくると
めがねなしに水遊びしている人がもったいない、という気分になります。
あんな浅瀬に珊瑚やきれいな魚やおかしな生き物がわんさかいます。
知らずにいると、多分いろんなものをふんずけているはず。
珊瑚はふんずけられると死んでしまうそうで
あの形になるにはとほうもなく長い時間がかかるそうです。
今朝方、沖縄でも地震がありました。
からだに感じる揺れはまだ2回か3回しか体験していませんが
沖縄に地震が少ないのは
珊瑚礁が守っているからですよ、と
不動産屋さんが教えてくれました。
地震があると珊瑚のことを思い出し
ありがとうね、と言わずにはいられません。
みなさんも沖縄の海にエネルギーチャージにいらしてはいかがでしょう。
あのプラーナを見てしまうと
とてもリアルに確信を持ってそう言えてしまいます。
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