カニステル

我が家は朝一番に手作りジュースから始まります。
これは東京からずっとそうなんだけど
最近感動してるのは、カニステルのジュースのおいしいことったら。
カニステルはびわみたいな形状。
最初うまんちゅ市場でみつけて
パッションフルーツとか島バナナなんかと一緒に並んでいたんだけど
出初めは1つ100円くらいして
もう少し安くなったら買おうって思って待ってました。(チープな話しで申し訳ない。)
そしたら3個150円になったので、やった~ってゲット。
最近はもう少し安く買えて今日は小ぶりの6個で120円だった。激安。
(ちなみに島バナナって高くてまだ買ったことがない。
パッションフルーツはこないだ安くなってたので初めて買いました。
ほとんど食べるところがないんだけど、そりゃもういい香りでしあわせ感じます。)
だけどこれがずっと硬いままで、いくらなんでも時間が経ってるからって
硬いままちょっと食べてみたら、渋柿そのもので
ちょっとこれ、本当に食べられるようになるの?って心配になってたら
今度はいきなりぶにゃぶにゃに。
あれ、今度は腐っちゃうの?ってあわてて食べてみたら
ネットなんかに書いているように、かぼちゃとか芋の食感。
だけどなんとも言えない濃厚なおいしさで
そのままデザートですって出してもいいんじゃない?って味なんです。
で、うちの朝ジュースのベースはバナナ(沖縄はバナナ安くないんだよね~残念)と豆乳。
これにいろいろ足したり足さなかったり。
カニステルをたしてみたところ、これがもう、なんていうか
パティシエに紹介したい!って思わず叫んじゃうくらいのおいしさ。
バナナ豆乳カニステルをミキサーでシェイクしただけで
マンゴープリンとかなんとかムースとかのような
それも代官山のカフェとかイタリアンのデザートに出てきそうな
そういう感じになっちゃうのです。
うちで作るときはすぐ食べないとバナナが黒ずんできちゃうから
商品化するときはそこんとこに工夫が必要だと思います(笑)
ちなみにポリフェノールが抜群に多いらしいですよ。

いこかもどろか

昨日はいまるちゃん(さんまさんとしいちゃんのお嬢さん)がデビュー、なんてことで
ついついYtubeなんかで男女7人なんかを見ちゃったりした。
私が育った上でとても重要な人のうちの一人は大竹しのぶちゃんで
好きとかそういうのじゃなくて
私の中のスペースにこの人が住んでいる場所があって
数少ない私のよりどころみたいになっている。
そういう人はこの世に何人かいて
村上春樹さんはその一人で
あと、桃井かおりちゃんもそうだ。
生き方をずっと見守ってきて
やっぱ、そうだよね、とか
そっちいっちゃうの?とか
やっぱそうだったでしょ、とかやりながら
ずっと寄り添える人は私の中ではその3人。
3人とも一方的にしか存じ上げないんだけど
(だからこういうのって妄想だと思われそうだけど、それとも違うの)
金スマで、しいちゃんと会っちゃうのかな~と思ったけど
舞台中でおやすみだったのでそうはなりませんでした。
あそこで会ってもしょうがない気がして、それはそれでよかった。
で、男女7人夏物語と秋物語とかってもう20数年前のドラマってことなんですよね。
(86年だった)
私はもう大学生で芝居とか猛烈にやっていた時なんだけど
うちのだんなさんは全く知らなくて、
「トレンディードラマのガンソなんだよ、あれより前はそんな言葉なかったんだからね」とか
ちょっと語りました。
で、秋物語のころ、しいちゃんはすごく顔が変わって
(妹も私も何十回もビデオ見てるのでいろんなことがわかります)
今見てもやはり気になって、じーっと観察してしまったりします。
そしてさんちゃんとしいちゃんが離婚した時も
その理由とかバカみたいに妹と二人でながーいこと考えたり
その後しいちゃんの演技がぐっとこない時期があって
その時も彼女が何に気がついてどうしようとして
その結果どうなってるんだとか
ものすごく観察してたりしました。
私は昔、舞台に立つと彼女ととても似てるところがあると言われたりして
すごく共振する部分があったし
若いときにとても研ぎ澄まされて輝いて天才だった人が
枯れずにくすまずに生き続けていく姿を見せてくれるお手本はとても貴重です。
実は最近はしのぶちゃんのお兄さんとうちの妹が仲良しなのでお話しを聞くことも多く
時々なんか、知ってるご家庭みたいな感じを感じることもあるのですが
やっぱり彼女たちはとにかくとてもとても真摯に生きていていたことは真実で
だからこんなにもたくさん与えてくれるものがあるんだということが改めて感じられ
昨日は切なかったりドキドキしたり、いろんなことを感じた一日でした。
だってあのいまるちゃんがもう大人だっていうんだもの。

おおばけ

42歳になって
今の私を今ぱっと見てみると
わりと悪くないじゃん、と思う。
過去を思い出してその延長で考えてみると
へ~随分やったね!と思う。
やったというのは、何かを成し遂げたり残したりとかじゃなくて
私の中身は随分軽やかで
うそのようにオモリや壁がなくなったね、
悲しみや痛みもほとんど見当たらないくらい
すーっと向こうまで広がってるね、ということ。
過去を思い出してみると、
どんなにたくさんの思いのかたまりが詰まっていたんだろうと思う。
でも今は、それも、悪くないな、とも思ったりする。
どっかつつかれたらパンてはじけて
泣いたり怒ったり本気で悲嘆にくれて
でも、諦めたり逃げたりはどうしてもできなかったあの女の子は
不器用で不細工で嫌いな所だらけだったれど
それでも一生懸命生きてて
あれはあれで魅力的だったなーと思う。
あの頃は今のような自分(の中身)になる時がくるなんて
想像もつかなかったけれど
もちろんなりたくて、なって、ヨカッタ~と思うけど
でも、もしあの時の良さももっと知っていて
最初から自分をもっとかわいがれてたら…
どうだろう、う~ん、それほど今と違いはないかもね。
もし自分がもっと恵まれた環境に育ったら
進んで苦難を探しに行くほど度胸もなかっただろうな。
なのに世界にはたくさんの痛みを背負ってくれている人たちがたくさんいることに
胸を痛めたかもね。
で、結局痛みを知りたいと願ったかもね。
もし自分が順風満帆に最初から思うがままに生きていたら
黒柳徹子さんみたいになってバンバン世界に行ってたかもね。
興味にあるところにどこでも行ってみてやってみてたかな。
今の私は毎日意外に地味に生きてるけれど
でも、例えばあと5年後、とか思ったときに
やっぱりまだおおばけするんじゃないかな~とどうしても思えてしまう。
5年前はもうだんなさんと出会っていてNYも行ったりした後だったから
自分はもしかしてしあわせになるんじゃないかなって希望が少し出てきたころだったけど
それでもまさか沖縄でこんなに心に平安のある時間を過ごしているなんて
想像つかなかった。
あと5年生きていたら、と思ってもやっぱりうまく想像つかない。
かといって肉体を持ったままアセンションして空中に・・・とも思わない。
だんなさんに向って、
私ねぇ、どうしてもこれから自分はまだおおばけすると思うの。
それがどういうものなのかはよくわからないんだけど。どう思う?とかって言ってる。
つまり、私にとって人間ってそのくらい未知な存在だってこと。
想像もつかない自分に進化している可能性なんていくらでもあるってことだ。
そうは思いませんか。