インナーチャイルドについて、伝えておきたいこと③

私の心の中にいるちいさな私は、
あるものを握りしめ、絶対に離したくないと思っています。
離すと思うだけでもとっても嫌な気持ちです。

でもおとなの私はそれをなんとかして離してほしい。

おとなの私にはわかっている。
その手に握りしめたそれは、私の人生にとっては重要ではないと。

むしろその手が離さないことで、
その手は使えないし、
新しいもっと大事なものを受け取れないと。

でもおとなの私は忘れている。

その子にとってそれがどれくらい大きくて重たくて
それをぎゅっと握りしめていなくては
それを落っことしてしまうかもしれないし
振り回されてしまうかもしれないし

自分がしっかり握っている以外
他に解決の方法もみつからない、と感じていたことを。

私が忘れていると、ちいさい私が暴れます。
するとわたしはこうなります。

心がもやもや。落ち着かない。

そわそわ、焦る。

イライラ、周囲にかちんとくる。

寂しい。疲れる。なにかが足りてない気がする。

他にもっと、道があるんじゃないか。

もっとできることがあるはず。

頭がぐるぐる堂々巡り。

で、何かを探し始める。

自分のスキルをあげたり、
自分の外見をもっときれいにしたくなったり、
もっと完璧になりたくなったり。

服や持ち物にこだわったり、
断捨離したくなったり。

もっとすごい自分になりたくなる。
誰が見てもわかるくらい、ちゃんと認めてもらえるように。

するとちいさな私のことは
なるべく感じないように放っておいたほうがよいと思える。
実際忘れていることもしばしば。

結局なにかを手に入れても寂しさは変わらない。

これはきっと、インナーチャイルドの問題。
自分の中にはなにか大変なものが隠れている。
そう気づいて、
どうすればいいか、考えてみる。
やってみる。

考えれば考えるほど、私は賢くもっとおとなになっていく。
やればやるほど、どんどんいろいろなことがわかってきて
わかればわかるほど、できていない自分が見えてくる。

できていない自分。

そんなとき、本当に必要なものはなんなのか?
愛です、と言われたら、自分は愛が足りない人間だと思うでしょう?

私はたぶん、そこでぐるぐる10年、いやもっとだな。もっともっと、迷ったんです。

他人のことなら思い切り思いやれるあなたでも、
自分の中にある幼子のような心に寄り添うのは難しい。
そんなこと、わかりきってるでしょう、という思いが
ちいさい私の声を遠ざける。

子供のころ、家族の中でおとなの役をやるのに慣れている人はなおさら、
その声を聴くのは難しい。

だから、アダルトチャイルドは、そこで思い切り躓くし
敏感な子供も頭の良い子もしかり。

でも、心は感じたすべてを記憶している。
時間が過ぎ、環境が変わり、あなたが通り過ぎたことでも。

おとなになって、今の自分が好きでないと
ちいさい私の声をよく聞いてあげることは難しい。
自分の人生が好きじゃないのはその子のせいでもあるから。

だから、インナーチャイルドと直に向き合うには準備がいる。
その子にありがとう、ごめんね、を言うための準備が。
大丈夫だよ、って言ってあげられる準備が。

ちいさい私が握りしめてきたものが
たとえ取るに足らないものであっても
その子がなにかのために、誰かのために、

一生懸命握りしめ続けてきた気持ちを
ちゃんと受け取ってあげられたら

その子は満足して、安心して、手を広げられるのです。

そんなもの、もういらないのよ、なぜならね、
それには意味がないのよ、価値がないのよ、
あなたがしているのはそういうことなのよ。

ちいさい私が知りたいのはそんなことではないのです。

気持ちに気づいて、一緒に、感じてくれるかどうか。
一緒に、背負ってくれるかどうか。

それでその子は赦され救われます。
その役目を降りることができます。

それは自己肯定そのものだし、
そこには愛が実在する。

その愛が、あなたを、深い深いあなたという存在を根っこから癒します。

インナーチャイルドについて、伝えておきたいこと①

インナーチャイルドに取り組んで長い時間が経ちます。

この言葉は昨今とても広まって、ワークをしている方もとても増えた印象です。

 

そんな昨今を見回してみて、もう少しお伝えすべきことがあるなあというのが、今私の中にある思いです。

 

自分を愛すること

自分自身との信頼関係

(自己イメージ、自己肯定、自己評価、自信の有無といわれるものすべて)

ひいては対人関係のすべて

(家族や社会との関係などすべて)

またパートナーシップに

愛と信頼と創造性を見出すことと

インナーチャイルドは

まるごとど真ん中にひとつです。

 

インナーチャイルドを漠然とネガティブなものとお感じ方、

または実際に心の傷や修復すべき課題の部分であると認識なさっている方も多いと思います。

最初の段階ではそれで構わないと思います。

けれど、取り組むうちに必ず問題となってわき上がってくる疑問は

「いったいどこまで癒せばいいの?」

というものだと思います。

 

中には、インナーチャイルドが消えたから終わり、

あるいはインナーチャイルドが大人になったから完了、というような声を伺うことがあります。

 

確かにプロセスの中でそんな変化を通過することもあるかと思います。

 

しかしこの取り組みを一人でやるとなると、全体の航路の地図が必要になります。

さらに地図を持っていたとしても、

地図を見ながら、かじ取りをして、

なおかつ自分の意識という捉えがたいものを向き合って、

しかもハートを開いて感じるなんていうことを一気にやるというのは

至難の業だと言っていいと思います。

 

ハートを開くとはよく言いますがそのためには、

「安心して」「リラックス」し「ゆだねる」という状態が必要です。

 

その時、愛の経路の扉を開くことができます。

 

例えば文章で読んで情報を理解し、自分に当てはめてみる。

自分の頭の中にあるものを文章に書き出してみる。

 

こういったやり方は思考の整理整頓にはなります。

 

でも、多くの場合実は

ハートを開いて感じる、感じきるということにはつながっていません。

 

インナーチャイルドワークをするとき、

変性意識状態、つまり瞑想の波長に入っていることが潜在意識の保護膜をゆるめ、

内部を探索することに対してとても重要になってくるのです。

 

これを自分でするには、瞑想を重ね、

自己意識をある程度自由に行き来できるような鍛錬が必要になってくると思います。

 

今日はここまで。②へと続きます。

自己肯定感、あります。

からだだけが自分じゃない。そう自覚している人はきっとたくさんいるだろう。心が大事。そう思っている人もきっとたくさんいる。

思うようにならない自分と格闘して葛藤して、潜在意識≒インナーチャイルドを探求している人も、今はたくさんいる。情報もたくさんある。

そしてこんなことも起こる。自分の過去に作った傷がたくさんみつかった。原因もわかった。一生懸命修復に取り組んでいるけどなかなか変われない。やっぱり自分には無理なんだろうか。がんばってもがんばっても追いつかない。

愛にあふれた人ほど、自分の内側の傷を見て、それに圧倒されてまた傷ついてしまう。思慮深い人ほど傷を負った自分自身にさらに問題を感じてしまう。

私自身、おとなになってみて何一つ思うようにならなくて自分を振り返り始めて数年、いや10年、いやもっとそれ以上長く、そんな思いの中にいた。

掘り起こせば起こすほど、自分の未熟さ至らなさに直面して自分を責めてしまう。そんな中で情報に照らして自分を分析し評価するとしたら「自己肯定感(自己評価)が低い」んです!みなさんそうおっしゃる。そしてその低さを作った原因がわかれば、それを修復できれば、誰かを許せれば、変われるかもしれない、そんなふうに感じている。

私も本当に長い時間かけてその答えを探しさ迷ってきた。私のその体験と時間をできたらみなさんに捧げたい。もし受け取ってもらえるならば。私の経験が、あなたの時間を短縮すること、そしてあなたがさらにその先を体験すること、それが魂の仲間の共通の目的だ。

身体だけじゃない、外側じゃない、中身が大事。中身が本当の自分だというところまで真実を突き止めたみなさんは、潜在意識こそが自分の真実だと思ってるかもしれない。或いは潜在意識こそが自分の宝もの、或いは自分の真の導き手、或いは神さまのような存在だと捉えているかもしれない。でもそれは、違う。

潜在意識は体験の記録の集大成のこと。からだという特定の反応をする方程式がつまった箱に何かを放り込んで出てきたもの、それをしまっておく場所のこと。いわば肉体のデータバンクだ。

データをいじって修正する権限を持つのはそれ以上の知能を持ったものに限られる。データがデータを改善することはできない。或いはデータの箱がデータを改善することはできない。権限を持つのはあなた。それを教え導くのが魂、ハイヤーセルフ、そしてその中核である全き神である。

私たちはこのデータをまとっている。このまとったものを自分自身と勘違いしている。傷だらけでみすぼらしい、くたびれたその姿に更に傷つき、それでも立ち上がって今度は修繕を始めようとしている。これは一人ではとても無理だと悟ったから手伝ってほしいと私に申し出てくれる。

いろいろなヒーラーやセラピスト、カウンセラーがいて、あなたを手伝うと言う。すごく長い時間をかけてその修繕を一緒にやったり(やってもいい。でもそれは目的ではない)、もっといいハウツーがありまっせ、と提案したりしている。どうです、私、立派でしょ、きれいでしょ、あなたもこんなふうになれますよ。それが宣伝文句。

でも私に言えるのは「それ、ただの服なんですよ」ということ。潜在意識、インナーチャイルド、あなたが自分あるいは自分の本質だと思っているそれは、データが編み込まれた、服なんですよ。

最近のセッションでのこと。その人の魂の光、愛の炎があまりに燃え盛っていて、その愛の炎でその人のまとったぼろぼろの服は既にほとんど燃え尽きているかに見えた。魂そのものが光を放ち、自らがまとっていたかりそめの古い衣が燃え堕ちようとしているさなかにまだ、その服をなんとか修繕しなければと真摯に訴えていた。あまりにまっすぐにそこに居てくださったから、私もまっすぐに伝えることができた。

「その古い服、脱いでください」

その方はしばらく目を見開いて、というか肉体の目をぎゅっと閉じて、心の眼を見開いてじっとしておられ、それからまっすぐにこちらを見て「そうか。そう観たことはなかった。確かにそうだ。魂はきれいなんだ。きれいなものなんだ。それが自分の心なんだ。」

その方は一瞬で悟られた。自分は魂なのだと。心の核は魂で、汚れた心と感じていたのは多くの体験を吸収し、くたびれた衣服だったと。服がどんなにズタボロでも、魂はそれに影響すらされることなく美しいままなのだと。私はその方のまとった焼け堕ちる寸前のその衣がばらばらと灰になり崩れ落ちるのを見た。そんな見事な再生に出会えたことが奇跡だと感じる。

しかしだったらなぜ潜在意識の探求などするのだろう。

それは、その衣の命を全うさせるためだと認識している。学びを完了させるとも言い換えられるが語弊もある。それは理屈や知識で得るものではない。感情の燃え残しに聖なる火を点火し燃焼させることだ。

人間は、五感を通して受け取った情報を感覚として感知し、そこから化学反応で感情の波を起こす。生長の道すがら、情報は確かに受け取ったけれど湧いてきた感覚や感情は感じ切らずに置いておいた。そんな体験が器に余る莫大なエネルギーを使わずに溜めている。鮮度が落ちたそれは、やがて器にこびりつき沈殿する。ものによっては腐敗する。

「感じ切ってください。」ヒプノセラピーでのあなたのミッションはこれにつきる。あとは、魂がやってくれる。

ごびりつきや沈殿物や腐敗物を燃焼したときあなたの内なる光は増し、その光があなたの内側と行く手を照らし始める。だからあなたは歩けばいい。光りの中で光とともに生きればいい。あなたのまま。一歩一歩。光りによって周囲は良く見え、自分の内にある光が周囲を照らす。それがあなたの価値だ。それに評価なんて必要だろうか。

そうやって光の器となって再生したあなたは、過去に着ていた服のことを思う。もし生まれてこのかたきれいな服ばかりを着ていたならどうだろう。あなたは違っていただろうか。

ボロボロの服からも、肌触りのいい服からも、そこに吸収された体験から抽出され中身(魂)にしみこんでいくのが愛であり、どちらの服もその愛を抽出し終えたときその任務を全うする。あなたはやがて手放す服を、あなたが学びやすいように選んできた。あなたの父、母、家族の設定、社会と国家、時代背景。

その服にありがとう、愛しているよ、さようなら、全うしたねと心から言える。それが自己肯定だ。そう言えるようあなたの気づきを促すのが潜在意識への取り組みでありそれはそのままあなたの魂、そして内なる神への回帰への道だ。

単にきれいな服を着ている他人を見て、あの人には自己肯定感があるとか幸せそうだと人は言う。でもその人の中身は本当に寄り添い向き合ってみないとわからないものだ。ボロボロであれきれいであれ、その服に執着している間の肯定や評価などまったくもって価値がないと今の私は思う。それは誤解であり錯覚なのだから。