究極の天職

自分とはどんな存在だろう、より自分らしい生き方とは、と考え始めるとき
職業について悩む人は多いかもしれない。

「好きなことができていない」ということで
自分はなにか不充分だと感じてしまう。

ワクワクすることをすれば成功する、お金がたくさん稼げるという思想は
スピリチュアルの定番となっている。

確かに、それは自分と向き合うとっかかりになるかもしれない。
人生でそういったチャンスが他になく、疑問も持ったことがない人にとって
それはそれでいい。

しかしとっかかりはあくまでとっかかり。
それは人生の目的でも魂の使命でもなんでもない。

かく言う私も、完全な豊かさを手に入れない限り、
自分は未完成、というような思いを
以前は少なからず持っていた。

完全な豊かさとは、
自分は必要なすべてを持っているということを知っていることだ。
そのことを知らない限り私たちは飢えたおなかを抱えたまま世界をさ迷う。

自分は不完全でいびつで未熟だ。
にきびが治ってほっとしたら今度はしわとシミに悩む。

そんな自分が自分らしく生きるとは、
という問いの答えを手に入れることなんて
本当にできるのだろうか。
すべては謎だった。

「そのままの自分を愛しなさい」
え?では向上心は?探求心は?

自分がこのままでいなくてはならないなんて、
全然しあわせじゃないじゃない。

神は私たちの心を通して、愛という光を私たちに灯す。
私たちはその光に行く手と足元を照らしてもらいながら
ただそれを生きる。

その生のなかで、私たちは変化する。
その愛のなかで、私たちは与え、受け取る。

その中で私たちはそれを実感し体験する。

ライトワーカー、という言葉を初めて知ったとき、
私はそれになりたいと心から思った。
20代の頃のこと。

つい最近になって、
「ライトワーカーって、
スピリチュアルな職業をしている人のことだと思っていました」
と言われました。

ライトワークは、光をもたらす仕事を、
生きることを通してすることです。
行いの中に愛を注ぐことです。
行いに愛を注ぐことが奉仕です。

奉仕は職業に関わりありません。
お金をいただくから奉仕できないわけでも
プロではないから奉仕できないわけでもありません。

職業の中の行いに、或いは職業以外の行いに
愛を注がないなら奉仕はできません。
しかしどんな行いにでも愛を注ぐことはできます。

どんな行きがかり上でも、その仕事に就くということは
縁があります。
適正がまったくないところに人は長くいられないものです。

その縁は誰が与えたのでしょう。
縁は天が与えます。別名、エネルギーの法則です。

天が与えた縁に、まずは奉仕で応えてみてはどうでしょう。

そこで喜びが感じられるのであれば
あなたはライトワークしています。

それは、行うものの喜びなのです。

天は時に、光の申し子であるあなたを
最も暗い場所に派遣することがあります。

あなたがそこで、変わらず光を灯し
愛を注ぐことができれば
それこそがあなたを霊的に格段に成長させる体験となり
霊的に格段に成長したあなたはさらに偉大な奉仕をすることになるでしょう。

その行いこそが、天が与えた仕事、天職なのではないでしょうか。

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いつもありがとうございます。

究極の天職

自分とはどんな存在だろう、より自分らしい生き方とは、と考え始めるとき
職業について悩む人は多いかもしれない。

「好きなことができていない」ということで
自分はなにか不充分だと感じてしまう。

ワクワクすることをすれば成功する、お金がたくさん稼げるという思想は
スピリチュアルの定番となっている。

確かに、それは自分と向き合うとっかかりになるかもしれない。
人生でそういったチャンスが他になく、疑問も持ったことがない人にとって
それはそれでいい。

しかしとっかかりはあくまでとっかかり。
それは人生の目的でも魂の使命でもなんでもない。

かく言う私も、完全な豊かさを手に入れない限り、
自分は未完成、というような思いを
以前は少なからず持っていた。

完全な豊かさとは、
自分は必要なすべてを持っているということを知っていることだ。
そのことを知らない限り私たちは飢えたおなかを抱えたまま世界をさ迷う。

自分は不完全でいびつで未熟だ。
にきびが治ってほっとしたら今度はしわとシミに悩む。

そんな自分が自分らしく生きるとは、
という問いの答えを手に入れることなんて
本当にできるのだろうか。
すべては謎だった。

「そのままの自分を愛しなさい」
え?では向上心は?探求心は?

自分がこのままでいなくてはならないなんて、
全然しあわせじゃないじゃない。

神は私たちの心を通して、愛という光を私たちに灯す。
私たちはその光に行く手と足元を照らしてもらいながら
ただそれを生きる。

その生のなかで、私たちは変化する。
その愛のなかで、私たちは与え、受け取る。

その中で私たちはそれを実感し体験する。

ライトワーカー、という言葉を初めて知ったとき、
私はそれになりたいと心から思った。
20代の頃のこと。

つい最近になって、
「ライトワーカーって、
スピリチュアルな職業をしている人のことだと思っていました」
と言われました。

ライトワークは、光をもたらす仕事を、
生きることを通してすることです。
行いの中に愛を注ぐことです。
行いに愛を注ぐことが奉仕です。

奉仕は職業に関わりありません。
お金をいただくから奉仕できないわけでも
プロではないから奉仕できないわけでもありません。

職業の中の行いに、或いは職業以外の行いに
愛を注がないなら奉仕はできません。
しかしどんな行いにでも愛を注ぐことはできます。

どんな行きがかり上でも、その仕事に就くということは
縁があります。
適正がまったくないところに人は長くいられないものです。

その縁は誰が与えたのでしょう。
縁は天が与えます。別名、エネルギーの法則です。

天が与えた縁に、まずは奉仕で応えてみてはどうでしょう。

そこで喜びが感じられるのであれば
あなたはライトワークしています。

それは、行うものの喜びなのです。

天は時に、光の申し子であるあなたを
最も暗い場所に派遣することがあります。

あなたがそこで、変わらず光を灯し
愛を注ぐことができれば
それこそがあなたを霊的に格段に成長させる体験となり
霊的に格段に成長したあなたはさらに偉大な奉仕をすることになるでしょう。

その行いこそが、天が与えた仕事、天職なのではないでしょうか。

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天職とは

みなさんこんにちは。

今日はお仕事について書いてみたいと思います。

多くの人が、天職に就きたい、そうすればきっと・・・
というお考えを持ったことがあるのではないでしょうか。

なんかもっと自分に合ったものがあるはず、
自分には実はもっと別の使命があるのでは。

では天職というのはなんなのでしょう。
もし本気で天職に就きたいと思うのであれば
まず天職とはなにかという、自分なりの定義を見つけなくてはなりません。

思うのですが、天職に出会った、と感じている人はおそらくみんな
結果としてそう納得するのだと思います。

私は子供のころから好き嫌いや意志がはっきりしていました。
それで早い時期に、何をやって生きていこうかということを熟考し、
計画を立ててその道へ進みました。
それが女優という道でした。

まず父の勧めがあって、舞台を勉強することになりました。
最初から劇団に入ってしまうと
そのカラーや癖がついてしまって世界を狭くしてしまうから、
大学へ進んで広い視野で勉強しなさい、と言われたのですが
演劇を学べる大学は今より更に、非常に限られていました。

高校当時鬱状態で摂食障害などにも陥り、
学業が非常におろそかになっていましたが
1年生の頃の成績の貯金があったおかげで
指定校推薦の枠を与えていただけたのが
私の人生の大幸運の導きの一つであったと思っています。

玉川大学の演劇専攻に進み、
そこで出会った人は私の人生観をすばらしく塗り替えてくれ
出会った人とその教育と訓練と、演劇が私を救ってくれました。

表現者としても周囲から暖かい評価をいただき、
大学2年からは劇団の設立に参加して公演を行い
これも非常にいい評価をいただくようになり
まるですべてが奇跡のようでした。

このまま評価の通りにそこそこ仕事にありつければ
女優こそ天職、となんの疑いもなく信じたことでしょう。

私は表現することに全存在をかけることに対して
まったく困難を感じませんでした。
一生舞台に立って、舞台の上で死にたいと思っていました。

他に欲しいと思えるものもありませんでした。
ただし、思う存分に演技に専念できる環境、
それだけはどうしても譲れませんでした。
そして、自分が本当に表現したいものを追求するほどに
それだけが手に入らないものだということも痛感いたしました。

それで私は、人生の早い段階から思案し突き進めてきた計画を解体し
立て直すことを天から求められた格好になりました。

この手放しは地獄でした。
自分とは、というアイデンティティを手放さなくてはならなかったからです。

世間ではいろいろなことが言われていましたが、
それどころではありませんでした。
ただひとつ、舞台の上でできたこと、舞台の上で得た自由、
それを地上という舞台に反映しなくてはならない、という決意だけが私の支えでした。

それが生きのびるための唯一の手段だと思えました。

天職というのは全存在をかけることをいとわないものだと思います。
そしてなおかつそれを時代が、大衆が必要とするという
まさに時代に呼ばれるということが同時に起こらなくては成立しません。

天職というのはまさに、天に選ばれることなのだと思うのです。
それと個人の選択、努力、能力、また幸せは別のものです。
生まれたと同時に一人に一つ用意されているような便利なものではないし
また個人の能力順に与えられるものでもありません。
様々なカルマの折り重なったものの結果にすぎません。

それに対して努力し続けられるもの、その人にとって価値のあるもの
それが結果として大きな流れの一部になったものなのです。

天職は探すものではありません。
夢中で行っているうちに、向こうから見つけられてしまうものです。

今私が行っているワークは、私が過去のアイデンティティを脱ぎ捨てて
本当の自己を探し実際にそれを生きる道すがら見つけ、与えられたギフトです。
今の私の職業は、私が子供の時には職業として存在していませんでした。
つまり将来の夢は?という青写真に映しようがない項目だったのです。

出会いは必要に駆られて、という偶然の積み重ねでした。
そしてはたから見たら、だからそれが結局天職だったんでしょ、というに
充分な根拠があります。

いつも思うのですが、仕事というのは奉仕です。
少しでも得意なことに専念して、
物々交換に応じてもらえるよう技術や労働力を提供できるよう努力することが原点です。

その努力が続けられること、それがその人の持っている素質であると思います。
その素質を生かし、成長させる努力をすることで初めて人は
仕事を通して、人として成長できるのだと思います。
目的はその、人としての成長のほうであって、
職業、業種が重要なのではありません。
そこに従事することで報酬をいただきながら
人としての探求や成長をさせていただけるということが
天から与えられたギフトなのだと思うのです。

そのギフトにあやかるには、まず、
今ここからベストを尽くしてみることだと思います。
自分のベストを尽くしていると、その尽くしているものが自分に返ってきます。
それを繰り返していると、本当の自分がだんだんとわかってきます。
自分の持っている素質、パワー、あるいは癖、習慣として持っているものなど。

それを知っていくことで初めて、より本当の自分に合っているものがわかってきます。

これがスピリチュアルの法則であり極意です。

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