超人のすがた

「私たちの真の強さは自己の明け渡しからくる」
これは敬愛するスリ・ダヤ・マタさんの言葉。

そう聞くと、誰にでも何にでも従順に言いなりなイメージを持つ方もいるかもしれませんが、
もちろんそうではありません。
明け渡す相手は神しかありません。

「夜も昼も、何をしていても、心の背後で常に神のことを考えているようになるまで、あなたの心のすべて、思いのすべて、魂のすべてで、神を深く愛してください。」

究極、瞑想を何のためにするかと言えば、
そうなるため、なのだと思っています。
自己を明け渡して、内側を神で満たしておく。
そして、それを、生きる。ただそれだけ。

瞑想の習慣のない方からみるとおそらく気持ち悪い話ですよね?
私はもちろんそう志して日夜励んでいますが、
でも暮らしはいたって普通の感覚です。

例えば些細なことが心にひっかかって落ち着かなくなること、
沖縄で教えていただいた言い方だと「さーさーする」ことなんて、
いくらでもあります。

さて、そのさーさーを追っかけて分析をしたところで、

それはほとんど解決しません。
なぜだろう、どうしたらいいんだろう、なにがいけないんだろう、
あれかな、これだろうか、いやそんなはずはない。

これをやっているうちにだいたい行き着くのは
「ああもう、こんな自分でいやだな」「自分ってやっぱりだめなんだな」
「ああ世の中ってめんどくさい」などという境地です。

ヨガナンダ先生はこうおっしゃいます。
「自分の考えを見張っていなさい。どんなに多くの時間を、無駄な考えや、愚かな考え、否定的な考えに費やしているかを理解しなさい。そしてどのくらいの時間、自分が神のことを思っているのか見守りなさい。」

さーさーする自分について真剣に考えていたとしても、
それは自分と向き合うということとは違う、と
気づいている人はどれくらいいるでしょうか。
自分のことや他人のことを一生懸命思っていたとしても、
思っている自分が神から離れてしまっている、ということこそが、
気づくべきことだということなんですね。

またそこでいろんなわながあります。
じゃあ悩まないで明るくふるまっていることがいいことなんだ、
ポジティブに考えればいいんだ、という方向に向かうこともあります。

いえいえ、それもやはり、意識は外に向かっていることになります。
内面は放っておいて、外側への対処に向かっているんです。

神は内面にしかいません。この世においては。ある次元においてはすべてにいらっしゃいますが。
ですから私たちが神を思うときは内面に向かい合うしかありません。
神を体験するのも実感するのも、私たちの内側を通してしかできません。

自己と向き合う、というのは究極神と向き合うことに他なりません。
自己の本質が神だからです。

はっ、そうだった、と、さーさーから離れて神に戻ってきただけで、
さーさーは幻想となって去ります。

平安に戻れば、その原因やきっかけはもう存在しません。存在する意味がありません。
それより、戻ってきた喜びと感謝があります。
その中からさっきまでの自分を観察し、学ぶこともできます。
平安に戻ってきてこそ、初めて学びができます。

こんな、天国と幻想の間を、お皿を洗ったり床を拭いたりしながら
行ったり来たりしております。
夫と神について話し合う時、セッションの時、自己ヒーリングと瞑想の時が、
一番神を実感できる時間です。
幸いなことに、ここに時間を費やせる生活をしていることが何よりしあわせに思います。
それを選ぶことを選べた自分になれたことが、喜びです。

超人のすがた

「私たちの真の強さは自己の明け渡しからくる」
これは敬愛するスリ・ダヤ・マタさんの言葉。

そう聞くと、誰にでも何にでも従順に言いなりなイメージを持つ方もいるかもしれませんが、
もちろんそうではありません。
明け渡す相手は神しかありません。

「夜も昼も、何をしていても、心の背後で常に神のことを考えているようになるまで、あなたの心のすべて、思いのすべて、魂のすべてで、神を深く愛してください。」

究極、瞑想を何のためにするかと言えば、
そうなるため、なのだと思っています。
自己を明け渡して、内側を神で満たしておく。
そして、それを、生きる。ただそれだけ。

瞑想の習慣のない方からみるとおそらく気持ち悪い話ですよね?
私はもちろんそう志して日夜励んでいますが、
でも暮らしはいたって普通の感覚です。

例えば些細なことが心にひっかかって落ち着かなくなること、
沖縄で教えていただいた言い方だと「さーさーする」ことなんて、
いくらでもあります。

さて、そのさーさーを追っかけて分析をしたところで、それはほとんど解決しません。
なぜだろう、どうしたらいいんだろう、なにがいけないんだろう、
あれかな、これだろうか、いやそんなはずはない。

これをやっているうちにだいたい行き着くのは
「ああもう、こんな自分でいやだな」「自分ってやっぱりだめなんだな」
「ああ世の中ってめんどくさい」などという境地です。

ヨガナンダ先生はこうおっしゃいます。
「自分の考えを見張っていなさい。どんなに多くの時間を、無駄な考えや、愚かな考え、否定的な考えに費やしているかを理解しなさい。そしてどのくらいの時間、自分が神のことを思っているのか見守りなさい。」

さーさーする自分について真剣に考えていたとしても、
それは自分と向き合うということとは違う、と
気づいている人はどれくらいいるでしょうか。
自分のことや他人のことを一生懸命思っていたとしても、
思っている自分が神から離れてしまっている、ということこそが、
気づくべきことだということなんですね。

またそこでいろんなわながあります。
じゃあ悩まないで明るくふるまっていることがいいことなんだ、
ポジティブに考えればいいんだ、という方向に向かうこともあります。

いえいえ、それもやはり、意識は外に向かっていることになります。
内面は放っておいて、外側への対処に向かっているんです。

神は内面にしかいません。この世においては。ある次元においてはすべてにいらっしゃいますが。
ですから私たちが神を思うときは内面に向かい合うしかありません。
神を体験するのも実感するのも、私たちの内側を通してしかできません。

自己と向き合う、というのは究極神と向き合うことに他なりません。
自己の本質が神だからです。

はっ、そうだった、と、さーさーから離れて神に戻ってきただけで、
さーさーは幻想となって去ります。

平安に戻れば、その原因やきっかけはもう存在しません。存在する意味がありません。
それより、戻ってきた喜びと感謝があります。
その中からさっきまでの自分を観察し、学ぶこともできます。
平安に戻ってきてこそ、初めて学びができます。

こんな、天国と幻想の間を、お皿を洗ったり床を拭いたりしながら
行ったり来たりしております。
夫と神について話し合う時、セッションの時、自己ヒーリングと瞑想の時が、
一番神を実感できる時間です。
幸いなことに、ここに時間を費やせる生活をしていることが何よりしあわせに思います。
それを選ぶことを選べた自分になれたことが、喜びです。

アファメーション!

アファメーションは、現代スピリチュアル界の王道的概念。

肯定的自己宣言、などと言われるが、どうやらこの概念を広く教えたのも、かのわが師パラマハンサ・ヨガナンダ先生だったということを最近知った。

私はなぜかずっと、アメリカ製のスピリチュアルに惹かれて探求の旅をしていた。
そして辿り着いたのが、おおもとのヨガナンダジだった。

最初の出会いはトランス・チャネリングの王、エドガー・ケイシー。それから何人か素晴らしい人がいたが、なかでもフローレンス・スコーヴェルシンという女性はすてきだと感じた。著書のなかでの出会いだけれど。彼女はアーティストで哲学者で、現代スピリチュアルの元祖みたいな人だ。アファメーションのワークを生業にしていたようだ。

みなさんだいたい同時代に生きた方々。

イギリスにはもう少し古く、神智学という学派のようなものがあって、今のスピリチュアルはこれらが大体ミックスされて切り取られたり強調されたりして伝わっているように思う。

一部を切り取られて強調されている教え、というのは例えば、ポジティブいのち、潜在意識がすべて、成功だけに特化した法則、引き寄せで豊かになる、みたいな教えだ。

それらは確かに一理ある。でも全体性からみるとかなり偏っていて陳腐に思える。
自分がアファメーションに抵抗を感じるのは、その界隈でアファメーションが乱用されているせいだ、と自分なりに思う。

しかしヨガナンダジやフローレンスがアファメーションの祖となれば俄然やる気がでる。
その違いはなにか。

例えば上記に上げた3人の巨匠はみな、神とその分身である魂の領域、つまり宇宙意識と超意識に言及した人たちだということ。
それは、人間とはなにか、という問いそのものだと思う。

人間とはなにか、どんな存在で、この地球でそして宇宙でどんな位置にあり役割をし、そしてどの方向に進化していて、そうあるにはどう選択しどう思い生きるべきか、というような問いかけなしに、ただもっと豊かに、もっと賢く、もっと便利に、というために、人間に備わった莫大なパワーを使って恩恵に預かろうというのは、核爆弾を持ったさるに等しく危険で愚かで破滅的だ。

それは現代の競争社会のサバイバルのためのハウツーの、別バージョンに過ぎないように思う。

アファメーションのちからは、神から来る。
創造の最高次元の根源の意識から。

たとえ最初は無意識だったとしても、その言葉と意志のちからによる恩恵を受け、その恩恵が来るみなもとの存在を意識するとき、私たちはみなもととつながることができる。

贈り物より贈り主の存在を愛するのが、神の分身である私たちの本性。
アファメーションは贈り主への信頼と約束を言葉にしたもの。

そんなふうに理解するにつれ、何をどう祈ったら贈り主のハートにダイレクトに届くのかがだんだんとわかってくる。

私もどんどんやります。みなさんもどうぞ。

参考書:『科学的な癒しのアファメーション』パラマハンサ・ヨガナンダ著 『人生を開く心の法則』フローレンス・S・シン 他

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