心の傷は脳の傷だそうです

昨日のおやすみは、遅ればせながら大渡海岸で初泳ぎしてきました。夏休みだし、観光の方が増えているので混みあっているかなと思ったのですが、相変わらずのんびりして地元のつり少年のほかにちらほらと泳いでいる人がいる程度でした。近年の水温の上昇でサンゴが随分死んでしまったと聞いていてとても悲しいのですが、大渡は相変わらず美しかったです。

うみんちゅさんのお話を伺うと、たとえば水中に橋を一本立てるだけで海中の環境は激変するそうです。急に魚がいなくなったり、赤土が流入して汚染されてしまったり、私たちが想像する以上に地上って微妙なバランスの上に立っているんですよね。

さて、昨日ネットで拾った情報なのですが、「子どもの脳を傷つける親たち」という著書が話題のようです。

著者の「友田氏は脳科学の専門家で、親による不適切なかかわりで子どもの脳がどう変形するか長い間調べてきた」とのこと。

結果「言葉による虐待はどんな痕跡が残るのだろう。『心が傷つく』というが、身体のどの部位が傷つくのだろう。友田氏たちが見つけたのは、脳に痕跡が残るということである。」

読んでいなくて恐縮なのですが、脳の仕組みの部分について私は非常に納得です。対処については、対象が子供であるなら、書評にあるようにおとなや社会が手助けをすべきだと思います。でも(例えば私のように)その時期に救われずにおとなになった人にも、もっと本質的な救済があることがもっと広まるといいと思います。簡単な書評がありますのでよろしければそちらを。

潜在意識やヒプノセラピー、また瞑想についてもレイキヒーリングも、それがなぜ功を奏するかを研究すれば当然、脳の仕組みを考えざるを得ません。トラウマと言われるものを始め、「過去の記憶全般」が私たちにどのように影響を与えるのか、それを理解することは脳との関係を理解することとも言えます。

私は傷、というよりも「溝」というイメージを持っています。傷はそれだけで痛々しいのですが、意識や脳に刻まれているものに痛々しいというイメージはいらないのです。ただそれをあるがままに知って、理解すること。それができれば、神という無限の生命力の源を受け入れる準備ができます。

みなさんが「これが私の性格」だとか、「そのように育ってしまったから仕方ない」(でも本当はなんとかしたい)と思っている自分の特定の、心の反応やそこから来る態度が、脳に刻まれた溝のためなのだとしたら、或いは圧迫をうけ変形してしまった脳の領域のためだとしたなら、それはあなたの宿命ではなくて一つの傾向であり習慣でもあります。私たちはそれに取り組むことが可能だということです。

書評のなかに「脳は再生しないと考えられてきたが、近年、再生回復の可能性が見出されてきた。」とありますが、脳のことなんて人間はまだほとんど知らないのだと私は思います。それよりも、脳が実際になした人間の数多くの奇跡にも見える変化や進化こそが事実でしょう。実際に使われていない部分が多くを占めると言われている脳ですから。

私たちは、古い溝を使うことをやめて、新しい溝を掘りたいのです。たとえば信頼という溝を。たとえば平安という溝を。たとえば勇気という溝を。つながれていなかった神経細胞同士に手をつないでもらいたいのです。その新しい道を電気が流れ、信号を送り、そこで発した火花が世界というスクリーンに陰影を映し出します。その映画が、私たちの新しい世界です。これは脳の話です。そして、意識の、そしてそれが創る現実のお話です。

過去にショックを受けた溝を電気信号が走るとき、心は葛藤し、緊張と対立は私たちを疲弊させます。瞑想やヒーリングはこの電気信号の周波数に変化を与えます。変動した電気はその古い溝をなぞらずに別のルートを通るか、またはその溝への影響自体を変えていくのではないかと私は考察しています。おそらく未来のいつかには、そういったことが明確に語られるようになっていくことでしょう。

しかし本当に意味があるのは、語られることよりも体験することです。

生まれつき不幸でずっと不幸でいるために生まれてきた人はいません。人は言わば幸せになることを通して進化しています。意識は今すぐ変化できます。脳がすぐに再生されなくても、不思議ですが私たちの意識の領域にはそれ以上の意志が働くことがあります。肉体はゆっくりとついて来てくれればいいのです。

最大限に生きるとは

久しぶりの投稿です。

今月私はお誕生日を迎え、51年目の時間を迎えました。ここまで生かしてくださったすべてに感謝すると同時に、これからの時間を何に捧げて生きるのかを思い、そのために今を最大限に生きたいと願っています。

今を最大限に生きるって例えばどんなふうに?そう思いませんか。以前の私だったら、今やりたいことをやる?今できることを目一杯やる?というようなイメージを漠然と感じていたかな。いや、思いっきり輝く、とかだったかな。

もしあなたが、それができていないと感じるならやってみるといいんじゃないかな。本当にやってみよう、と思ってそのために動き始めると、本当の問題はなにかということが初めてわかるものです。

頭の中で考えたり想定したりしているうちは、本当の問題点というのはだいたい見当外れなもの。なのにそれはあたかも確固たる「できない理由」として存在しているように見える。そしてやってみる前にやめてしまっていることが少しずつ人生の中に積もっていく。

その積もったものは、自分への不信感、周囲の人間関係や社会への不満という副作用をもって自分を縛ります。

それはそもそも、想像の中で自分が創ったものだったのに、いつの間にか自分への呪いのようにパワーを持つようになります。

本当にやってみたとき、本当に壁となるのは実は自分が想像もしなかったようなことだし、生長というのはその、本当の壁と向き合うことでしか成し得ないものだと思う。その時みつけた本当の壁と向き合うということはそれ自体が創造的で前向きなことなんだと思う。それが、人生を創るということだと。

私は自分への不信感も周囲への不満も、恐れも怒りも、およそネガティブと言われているものを大概持っていてそれを実感もしてきたけれど、そんな中で自分が持っているほんの一点の希望のために一生懸命に生きてきて、その結果少しずつ自分との信頼を築けて、結果たいていのものを肯定的に、前向きに、受け入れたり認めたりすることができるようになった。

この世のひどいものも、無理に見ないようにする必要もなくなり、そうなんだ、でも、そのうらっかわの素晴らしいところもあるよね、と、見聞きするおおよそすべてのことに対して言えるようになった。それは自分の中にあるあらゆるいいものとよくないものにYesと言うことから始まった。

Yesは光りと同じで、うらっかわの暗いところに当ててみればそれが表になる。人はみんなそのうらっかわを恐れている。うらっかわの暗いところから逃げようとがんばってもそれはもれなく人生についてくるものだ。だから逃げようとしている限り、人生は恐れから逃れられない。

人生の希望はたったひとつでいい。バランスなんてあとからついてくる。人間には所詮ひとつしか見えないし、見たいものしか見えないのだ。(これは精神論ではなくて、客観的な事実だ。)

希望から目をそらさず足を前に出せば恐れは薄れる。それが私たちに与えられた、人類の弱点の裏をかいた突破口だ。

人生に必要なものをあらかじめ揃えたら冒険の旅に出よう、などと思っていると恐れに追いつかれて飲み込まれてしまう。人生で一番大事なもののために今日を生きると、人生に必要なものはだんだんと整えられていくものだ。

本当に大事なものがみつかった人にはそのほかのすべては足りているし、大事なものがみつからない人にはいくら手に入れてもいつも足りない。

旅は終わる。旅は地から与えてもらうものであり、旅を終えた人は地の塩となる。地の塩となり世の光りとなる。世の光りとなることに本当は準備はいらない。ただ、真実と現実を覚悟するだけなのだ。

心のセラピーは、探す旅を完了させることを手伝うものだ。人生に与えてもらうことではなくて、与えることを選ぶという意識の進化を促す。

多くを持っていても、また多くを体験していても、得ようとするとき人は貧しい。またどんなに微細なものごとであろうが、与えようとするとき人は豊かだ。たった、それだけの違いなのに。

負の体験がもたらすもの

セッションをしていて「私は幼少期にそんな(良い)体験がないから」或いは「良い記憶が全然ない」ということをよく伺います。インナーチャイルドのワークを独学で学ばれた方はこの点に行き当たったとき壁を感じてしまうのではないでしょうか。

確かに幼少期に満たされる体験、成功体験、つまり肯定的な体験が多ければそれは人生を進むとき大いに助けてくれるでしょう。自分が愛されていると実感できる人は、誰かに愛されることに抵抗がありません。しかし、子どものころになんでも受け入れてもらえたからと言ってそれを愛だと受け取っているとも限りません。

また、ヒプノセラピーのセッションで驚かされることのひとつに、事前に伺っていたご本人の見解とはまったく違った事実が発覚するのはよくあることです。「あれ?いい思い出なんて何もないと思っていたのに」「愛されたことなんてないと思っていたのに」という結果になるのはとても自然なことです。

ですからいつもつい書いてしまうのですが、自分でワークすると自分の観念(思い込み)を覆すのは難しいものだと思うのです。逆にそれを強化してしまってそこから抜け出せなくなっている方も多いと感じています。

稀にですが、本当に救いの少ない幼少期を送られてきた方もいらっしゃいます。またいくつかの不幸な出来事によって本当に深い傷を負っている方ももちろんいます。あまりに傷が深いとき、自分で治ろうとするちからが弱まってしまうことがあります。ダメージのほうに意識が飲み込まれてしまっていて、その場合は回復にとても丁寧なプロセスを踏むことが重要になります。それは一進一退に見える根気と忍耐力と寛容さを求められる作業です。そんな時に絶対に必要なのは、無限の愛のちからです。つまりハイヤーセルフ、魂、内なる神の存在なしには癒せません。

さて、本当に愛情やそれに似た安心や解放、自由という感覚の幼少体験が極度に少ない人、潜在意識の基礎を築く13才以前に非常に偏っていると言わざるを得ない環境に身を置いた人には将来にわたって人生に困難が付きまとい、満足のいく生き方を選ぶことができないのでしょうか。

映画などにはよく、劣悪な環境から精神のちからで立ち直り美しい人生を創造した人の物語があります。それくらい、幼少期の環境によって受けた影響から自由になり新たな世界で生きることは難しいということなのでしょう。

しかし、私たちが今世の肉体の体験以上に多大に受け取る影響力があります。ひとつは自分の魂が過去に肉体を持った時の体験の記憶の数々であり、更にそれよりも深く私たちの意識の中心的な座に位置する、魂の記憶です。

前世の記憶って魂と違うんですか?と訊かれることは多いのですが、人間の肉体の記憶は潜在意識に、そしてその中でもエッセンスとも言える愛の記憶は魂に記憶されると考えられ、魂は超意識と言われる領域を指します。もちろん今世でも、魂はあらゆる体験のなかから愛のエッセンスを記録し続けています。たとえ今生で愛を知らないと表層では思っていても、実際はその記憶を内側に持っています。

私たちが感覚や思考で知っていることはわずかです。無意識の領域には私たちを罠にはめるような理不尽な自我はもちろんのこと、生きるために必要なあらゆる叡智が込められています。その両者があることを知れば後者を選ぶことはうんと容易になります。

自我は肉体の感覚器官に結びついており(潜在意識の領域)、私たちは感覚を鎮めないことには内側の叡智(魂や内なる神の領域)とのつながりを感じることはできません。瞑想はそのための手段です。

多くの人が自分を高めなければ内なる神とつながれないと信じているかもしれませんが、どちらかと言えば内なる神とつながれば自分が高まる、というほうが真実に近い気がします。善きものとつながるために、自我を黙らせる練習を積むのです。

とてもきついトラウマと救いの少ない環境で育った過去を持たれてる方と心から共感できた言葉をここに記しておきます。

「痛めつけられた過去を持つ人の特効薬は真理しかないのよ」

深くつけられた傷はどんなに補おうとしても痕跡を残す。その痕跡は私たちをより恐れやすく感じやすくより傷つきやすい在り方へ押しやる。その悪夢から私たちを目覚めさせるのは真理という真の現実だけだ。傷ついた人たちは愛の不在の傷の執念深さをよく知っている。それは愛以外のものによって補われることは決してない。

完全なる愛だけがその傷を完全なものに変える。

インナーチャイルドの真実

この世に生まれた赤ちゃんの最初の世界。
父と母という神の原型が、家庭という世界を築いていて、まずは自分の居場所と安全を確認する。

赤ちゃんによっては先にもう少し大きい住人がいることもある。
もっとたくさんいることもある。
沖縄へ来て驚いたのは、何人ものおとな(たとえば親戚のおじさんおばさん)が同じ王国に暮らしていたケースなどが意外と多いこと。

でも、大国の創造者であり自分のいのちを直接養う神はお母さん、そしてお父さんだ。

自分の居場所、それは「神々に歓迎されているかどうか」そして安全は「神々が友好的に平和を保っているかどうか」だ。
「歓迎されているかどうか」は「自分は愛されているかどうか」そして「友好的に平和かどうか」は「お父さんとお母さんは愛し合っているかどうか」と言い換えることができる。

赤ちゃんにとっての愛情確認は死活問題だ。

潜在意識(インナーチャイルド)の成り立ちと仕組み、作用の説明をこれまで何度繰り返してきただろう。何度も何度も繰り返し理解を求めているうちに自分の内側から真実がぽつぽつと浮かび上がってくるようになった。こういうのを降りてくるというのだろうけれど、降りてくるというような突発的で不安定な感覚ではない。

たとえばやかんのなかでいったんお湯が沸いたらそのあとは定期的にぼこぼこと水蒸気の泡が上がってくる。この泡を捉えるのだ。水である時の水蒸気は目に見えない。たとえ見えなくても空気中にそれは気体として上がってはいる。この水蒸気を見ようとするのがよくあるスピリチュアル風なやつで、見える人には見えるし見えない人にとってそれはオカルト的だ。

しかし瞑想を継続的に行って自己意識の浄化(既成概念の見直し)をして自分の波動を上げていくと水温が上がり、沸点がくる。そこから水蒸気を捉えるのは普通のことになる。見えるし聞こえるし、普通に実態があるのだ。

話を戻す。
前回の記事にも人間は弱いとかサバイバルに不利だと書いた。確かに知性はずば抜けているが、愛が伴わないと自滅すると。思いやりという裏打ちがない文明は、いづれ他者を倒すとか勝つとか、そんなことのために用いられるだろう。それが生き物の第一の本能だからだ。オオカミやライオンは自分の足と牙で適う相手を探すけれど、人間の知性はもっと多くに優る。知性の発達と愛の深化は、生き物としての人間にとっても不可分なのだろうと思う。

人間の潜在意識が3才くらいまでに最大の発達期を迎え、その後の変化はとても緩やか。13才ほどでその発達は収束してしまうとされる。私が面白いと思うのは、その発達期に人間という生き物が、肉体的には文字通りお母さんにおんぶにだっこだということだ。知性、意識ばかりが発達して肉体のほうは自立しない。そのアンバランスは人間という生体にとってそれが必要で重要だからなのだろうと思った。

人間の特質は圧倒的に知性だ。それと不可分なのが、情緒と言われるもの、感情、共感、そして愛なのだと思う。それなしに人間は生き残れない。知性は自立できない。破壊力はいつか自己を含む同種に向かい自滅するはずだ。賢者が長いこと警告し続けてきたのは寓話的な発想ではなく、人間の仕組み、原理そのものから解析した真実なのだと強く思う。 

人間は3才までに、お母さんにつきっきりの愛情を求める。目を離さないで、ずっと見ていてほしい。これはすべてのインナーチャイルドの根源的な欲求だと思う。そこには身の安全を図る「本能」と、愛情を求める「情緒」が入り混じっている。これが人間という生き物の原点なのだ。

心の問題と言われているものは、すべて愛情の不足だなどと言われる。その言葉を聞いて憤慨する人もいる。愛情不足をお母さんの努力不足、能力不足と混同すべきではない。愛というのは数字のように過不足を測れないものだ。だから私たちはそれについて一生かけて、いや、数千の輪廻を超えて学んでいるのだ。

愛はそもそも誰にも不足している。それがインナーチャイルドを探求してきた私の感想だ。完全な愛を知るまでそれは続く。完全な愛を神と呼ぶことができる。私たちの魂はそのための旅をしている。しかし新しく生まれてきた肉体のほうは知る由もない。そこでボタンの掛け違いが起こる。魂の求める愛を、肉体のほうはお母さんに求めるのだ。完全な愛を。

魂を主体に世界を観ると、インナーチャイルドの抱える欠損こそが、人間が魂の任務を遂行するための仕掛けなのではと思う。お母さんの愛が至上であったらその人はそれを超えることを求めるだろうか。自分が渇望するものを、人にも与えようと努力するだろうか。

いづれにしても、インナーチャイルドの問題を扱うとき、魂つまり超意識以上の観点を持たない限り、必ず限界の壁に当たる。それが私の得た真実だ。潜在意識を補修すれば「人並み(か、それ以上)の生活できる」という世界観から抜け出せない。前回書いた通り、暗雲が晴れる快感のために不幸を体験するというループ以上の喜びが見えない。

そうなると、欠損を作り出したのはお母さんの過失であり、それを赦すには我慢するしかない。欠損を抱えながらこの世を生きるのは不利であり、自分が過失を起こさないためには「子供にしてはいけないことリスト」を遂行することが子育てに必須になる。自分への愛などあとまわしだ。

この分野はまだまだ発展中だ。暗雲を一度すり抜けたことでセラピーばんざい、という気分になりセラピストを目指し実際行っている人も多いと思う。その中にもちろん真実はある。ただ、それで全部だと思わないでほしい。

自分の人生には多くの体験が与えられた。そこから得たものを伝えることは一つの使命だと思う。しかし体験から本当に大事なことを言葉やかたちで伝えるという作業は本当に骨が折れるものだ。私は伝えきれない多くを意識の海に記録していく。誰かが瞑想によってそれをすくいだして活用してくれるだろう。私が与えてもらったように。

セラピーのゴール

みなさんはなぜ、自分の内面と向き合おうとなさいますか?

きっかけは多分、外面の世界との関係(対家族、対社会、恋愛その他の人間関係)、自分自身との関係(自己認識、自己コントロール)に問題が生じたことだと思います。私が辿り着いた自分を幸せにする原則は、他者を変えたければ自分が変わる(生長する)こと。そして幸せになりたかったら、愛を実行することです。

いろいろ考えているとごちゃごちゃしてきますが、混乱したらいつも原則に戻ることにしています。自分がすっきりすれば世界はすっきりします。いろいろな社会現象が目に見えて変わるわけではありませんが、社会を組成している一部である私の意識は紛れもなく全体の一部であり全体に影響を与えます。この原則に慣れると、自分の進化が見えれば周囲がすぐに変わらなくても必要以上に気にならないものです。ですから逆に、周囲が気になって落ち着かない時は自分の前進が滞っているか自分を見失っている時だとわかります。

すべての関係性の問題は愛の法則によって解決できます。もしすぐに解決しないものがあるのであれば、愛のほかに必要なのは時間と経験です。しかし愛なしに時間と経験を重ねても解決に向かうとは限りません。

すべての関係性を愛の法則によって解決することは、私たちを本質的に生長させます。霊的成長と言われるものはこのことを指しています。

私たちは幸せの実態をよく知らないまま人間として生きていますが、幸せとは何だろうと探求しそれを生きようとすることは、私たちを本質的に生長させ、ひいては人間はなんのために生きるのかという問いに自ら応えることになります。それ以外の目標はいつも危険と隣り合わせです。得れば失い、また失うかもしれないという恐れと抱き合わせです。幸せから逸れないことだけが私たちを奪うことも失うこともなく共生させてくれます。

幸せは感じるものであるし、愛もそうです。そしてそれ以外の領域では人間はとても弱い生き物です。賢さは愛なくしてはすぐに自滅してしまいます。それ以外の能力で人間はこの世に生き残ることすらできないでしょう。

私はインナーチャイルドの問題に長年取り組み、多くの方の問題に寄り添わせていただいてきました。

愛に関する問題の根っこはインナーチャイルドにあります。昔はその事実すらみつけるのにおおごとでした。今はネットという情報網があるので、その辺に見当をつけることがわりと容易です。

しかし、情報をもとに自分でワークするには結構なコツと原理の理解を要するのが事実だと思います。ひとつ間違うとワークは間違い探し、他者との違い探しとなり、それではなにかを理解したつもりでも実際は孤立し、癒したつもりでも実際は傷に目印をつけて目立たせたところにとどまります。

ワークの目的とはなんでしょう。癒しとは何でしょう。肉体であれば、傷や病理が治ればある程度元通りになります。しかし心というエネルギーは、本来正解というかたちがありません。雲のように常に変化するものです。雲自体が悪者なのではなく、ただ時と場合によってはひかりを遮って世界を暗闇に見せます。

私たちの心の正しい在り方とはなんでしょう。雲一つない晴天を維持し続けることでしょうか。雨が永遠に降らないように自分を作り変えることでしょうか。

ワークで暗雲が晴れ渡ったときのその喜びはすばらしいものです。人によっては、その喜びのために私たちはまた暗雲を作り出すのだ、などと言う人もいます。それが人生なのだと。

それは本当の目的地を見失った人が、なんとか生きることをやめないでいるための暇つぶしのようです。そんなことのために人間は生きるのでしょうか。人生には雨降りも必要だ。なぜなら…と自分を納得させてすべてを無理やりいいことだと信じ込むことが幸せでしょうか。

私はごめんです。

私は、私の人生の創造者です。私が生きることで、世界は気づきという輝きを常に放ちながら生長しています。すべての私という存在がその一員です。つまりあなたです。

意識は創造し続けます。あなたが思うことはすべて宇宙という鏡に映し出されます。その連続が変化です。私たちは被造物であると同時に創造主でもあるのです。それを体験し続けています。個としてそしてすべてとして。

私たちは取り引きなしの純粋な喜びを生きることが可能です。私たちのすべてに備わった愛という質のゆえに。

以下はあるお客様からいただいたご質問に対して私がお答えしたものを少し手直ししています。(Mさん、ご質問ありがとうございました。)みなさんにとてもお伝えしたい内容となりましたのでこちらへ掲載させていただきます。(プライバシーには配慮しておりますがお気づきのことがあればご連絡ください。対処いたします。)

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書くという作業は頭を使いますよね。

言葉はものごとを整理するにはとても役に立ちますし、言葉にして顕在化することで無意識に光りを当てる作用もあります。ただ「理由をみつけようとすること」は感情への癒しには直接つながりにくいものかと思います。

たとえば怒りは正当化されるととたんに増長します。世の中では正しい人ほど怒っています。そして怒りは正しいという考えから自己を抜け出せなくさせます。

許さない気持ちというのはどこからくるのでしょう。
それは忘れてはいけない、という気持ちです。
忘れてはいけない気持ちはどこからかと言えば、覚えておかなければまた繰り返してしまう、という防御からきます。
それが役割です。

インナーチャイルドとはなんでしょうか。
それは、過去の体験データです。
すでに終わったことのリストです。

インナーチャイルドがなにか問題を起こすとしたら、理由は一つしかありません。それは、すでに終わったことを終わっていないと勘違いしてしまうことです。つまり脳と肉体が、今問題が起こっていると感知し作用してしまうことです。これはチャイルドと見立てて例えれば情緒的な反応に見えますが、実際は肉体がロボットのように機械的に反応しているだけと言えます。実際、脳と肉体のシステムがそうなっています。

癒しとは、現実に戻ってくることです。今のありのままの真実に戻ることです。今起こっていることと、起こっていないことを明らかにに認識することです。しかしそれは時にとても厳しいことです。ですから癒しは神に寄り添ってもらう必要があります。愛が必要なのです。

失敗という言葉で表現するのであれば、過去に失敗があったことになんの問題もありません。問題は、今も失敗し続けている、と、脳と肉体が判断してしまうことです。「問題が起こり続けていまーす」と、警報が鳴り続けているのです。

もし本当に今現在問題が発生しているのであれば、現実に対処することができます。でも実際にはそれは起こっていないので対処できないのです。

そうすると心の中にはいつもなにかしらの落ち着かなさや不安感、もやっとしたしこりの感覚があり、いつも対処すべき問題を抱えているような状態になり、それゆえその仮想問題以外の、今すべきことの優先度は意識の中で低くなってしまいます。当然そこにエネルギーが注がれることはありません。大事な人生の創造にちからがいかないのです。警戒警報中にバカンスなどその気になれないのと同じです。

さてそこで、実際は起こっていない問題を解消するには、意識の中で問題を終わらせてあげるだけでいいということなのです。それがインナーチャイルドワークであり過去世ワークです。

人間の脳とからだは、実際に起こっていることと鮮明にイメージしたことの区別がつきません。それゆえに起こっている不具合は同じ原理によって解消してあげよう、というやり方です。

それには思考をお休みさせ、五感を駆使し、リラックスして、心をオープンにバーチャル体験したいのです。それがヒプノセラピーです。

私は自身の体験から、このやり方が人間の仕組み上最も優しく適切と感じました。終わったことを終わったと理解するには、そのようにか「感じる」ことが重要なのです。それが心身ともに納得し、腑に落ちた状態です。

そうなったとき、私たちは安心して前に進むことができます。不安や恐れや緊張や、自己の欠陥や間違いがなくなるのではなく、自然な生長という変化の軌道に戻ることができるのです。

変化の中の今に生きるとき、私たちは自然に過去を忘れます。手放すというのはそういう感じです。

過ちも成果もともに経験し、今がある、ただ、今があれば良し、となっていきます。

みなさんに申し上げるのですが、もしご自身の大事な友人が傷ついて動けずにいたらどうしますか?その精いっぱいの思いを友人に向けてほしいということです。そして友人のために神に祈ってください。その友人は過去の自分自身です。

なにかを訴えているのならその訴えを聞いてあげてください。しかしその言い分が真実ではなく、傷を負った状態で、痛みを抱えながらの過剰な訴えだということをいつも心に留めて、全部本気にはしないでほしいのです。ただ気の済むまで寄り添う姿勢が大事です。解決してあげるのでもなく、助言するのでもなく、見守って、気持ちに共感してほしいのです。あまりに傷ついた人が死にたいとか殺してやると言ったからといって全部本気にして手伝ったりしないのと同じです。それくらいの思いなのだと受け止めてあげることです。

その友人は自分であり、未来の愛する相手です。この世ではすべて、自分が自分に行ったことが自分に還ってきます。

過去もそうでしたがそのすべてを理解することはできませんし必要ありません。ある程度理解したら、今、(愛を)行い始めればいいのです。それが未来のあなたへ還ってきます。あなたがされたいように自分にしてあげてください。創造するのは常に今だけです。

天使があなたに伝えること

まだFacebookもTwitterもない頃、ミクシィというSNSがネット上に登場して、そこに『数字は天使からのメッセージ』というコミュニティができた。当時はすごく面白くてよくよくチェックしていた。今では数字を見るとだいたいどんなメッセージだったか感覚的にわかるようになっている。さっきチェックしてみたら2006年に始まっていた。

元ネタはドリーンバーチュー氏の「エンジェルヒーリング」で、今では彼女が生み出したカードリーディングなどが定着している。インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレンなどの情報も彼女から発していたっけ。

天使からのメッセージはほとんどが優しくポジティブで肯定的な内容だ。くじけそうなときにも優しく後押ししてくれ、すべては良きほうへと向かっていると教えてくれる。それゆえに私にとっては真摯に向き合うというよりは、勇気のお守り的な位置づけだった。

そんな中、ある時こんなメッセージを見た。

【1と0のコンビネーション(100、110など)】
神と天使からの力強い神聖な導きがあなたの思考を変えるように言っています。あなたはより幸福で健康になるように祈っていたかもしれません。もしそうならば、これはあなたの祈りへの応えです。神はあなたの求める解決が、あなたの思考の中に生まれることを知っています。神にあなたの思考の方向を導き、移行の時期に支えてくれるようお願いしてください。

このメッセージを読んだとき、それまでとは違った感触を味わった。力強い神聖な導きが、結局のところ私になにを求めているのかを咀嚼するのが難しかった。実際のところどうなのかは置いておき、私はこのメッセージをこんなふうに読んだ。

『あなたはこれまでもっと幸福に、もっと健康になりますように、と祈ってきたかもしれませんが、そういった思考そのものを変えてください。あなたが本当に望むものがあなたの思考の中に直接的に神からのメッセージとして与えられます。ですから、これまでの祈り方そのものを変えるのです。あなたが正しく祈れるよう、正しく望むことができるようにあなたは変わっていきます。今からあなたはその時期を迎えます。ですからその導きをこそ神に祈るのです。』

つまり、あなたがこれまで考えてきた幸せと本当の幸せは違っているから本物の幸せのほうに導かれるようにこれまでの古い価値観を手放しなさい、と。

健康、富、愛、美、承認されることなど、一見これらを「持っていることが幸福」なのだと私たちは無意識に信じているが、このメッセージはその無意識的な信念にぽちゃんと石を投げ、その波紋は私の心の奥にさざ波を伝えた。

後から知ったのだが、ドリーンバーチュー博士のメッセージは一元論にまで言及していてACIM(奇跡のコース)ともつながっている。私はそれから更に、このコミュで「マスター・ヨガナンダ」という言葉を目にする。知らない、どんな存在なんだろう、と、単純に興味を持って調べ始めたのがヨガナンダとの出会いだ。

「持っていることが幸せ」と言われるとそんなふうに思っていない気がするのだが、この世においての幸せは「持っている、知っている、わかる、できる」つまりgetすることだという前提に語られている。だから多くの人は「もっと」getしたいのだ。

でも本当に幸せをgetするなら私たちは感じなくてはならない。本当に微細なものを感じとるちからを取り戻さなくては。それはある意味、getとは正反対か、無関係のものだ。

私たちはgetという幻想を支えるためにあまりに暴力的に戦ってきた。その暴力と戦いを続けるために、感じとることは不利だ。感じ取ることは優しく、小さく、時に痛々しく、広く、深い。そのちからは本質的であり本流である。

私たちの幸せはこの本流と一体になることだ。望むすべての人に開かれている。

宇宙への扉

「わたしにはまだやれることがあるはず」「きっと別のところに使命があるような気がする」「なにかしたいけれど好きなことがわからない」。
そんなふうに感じるのならきっと、宇宙が、内なる自己があなたを呼んでいる。

使命を職業と同一視している人は多い。
為すべきことを対外的な行いだと信じている人は多い。

好きなことがみつからない。
なにをしたいのかわからない、と悩む方も多い。

いろいろな人のために宇宙はたくさんの扉を用意している。
「ワクワクすることをやりなさい」と、ある存在は言う。
その言葉が独り歩きして、あたかも
「人生の目的はワクワクすることをやること」だと言わんばかり。

ずうっとワクワクしっぱなしでいることが人生の勝利だと受け取られている感がある。

「ワクワクすること」は、宇宙とのチャンネル、つまり内なる神とのコネクションを開くための一つの手掛かり。
ワクワクが難しければ他にもいくらでも扉はある。

しかし扉があるからにはその向こうには目的地がなくてはならない。
「ワクワクすることをやりなさい」の前には「もしあなたが本当のあなたを生きたいなら」という前文がある。
目的は前文のほうだ。

本当のあなたは至福に満ちて、完全に豊かで、あらゆる欲求はすでに叶えられている。
そういうあなたを生きたいならまず・・・。

今はネットが普及して言葉だけの情報が満ち溢れている。
私がほんものを探していたころには手掛かりはわずかしかなかったが、その手の本はほとんど読んだと思う。
古本屋でこつこつ仕入れた書籍を紙袋何十袋に詰めてせっせと古本屋に運ぶ人生だった。
当時は高円寺に住んでいたのでそういう作業はとても簡単だった。

私はある時から、それ以上の情報を必要としなくなった。
それまでの疑問のすべてがつながってしまった。
真実は内側から聴こえてくる。気づきがいつも新しい喜びをもたらしてくれる。
取り組む題材は尽きない。
この世の細部にわたって、本質に紐づけする作業がいくらでもあるからだ。
今はそれが人の役に立つことだとわかっている。充足は循環している。

本当のあなたは、神の一部だ。
だからあなたはすべてを手に入れることができる。

じゃあ、と言って、すべてを手に入れることに人生を費やすだろうか。
思考はやってみたいというかもしれないが、本能はおなかいっぱいだと言うだろう。
魂は、だったらどう生きてみるか、とあなたに問う。

それを選ぶかどうかが意志だ。

あなたは最初から神の子、神の一部だ。
そのあなたが何をどう選ぶか、そしてどう行うか。
あなた自身を、そして同じ神の一部である他者を、どうみなし、どう扱うのか。

それをやってみると決めることが、扉を開けることだ。本当のあなたを生きるという扉。

それを選択したなら、外側から与えられる規範ではなく、内側からくる指針に従わなくてはならない。
内なる指針とのコネクションを開く方法のひとつとして、ワクワクすることを手に取っておこなってみなさい、というメッセージが役に立つ。
やってみたときに、それが導きだとわかるから。
それはひとつのデモンストレーションに過ぎない。

神はあなたにただ、魂の親を思い出してほしいだけだ。
肉体の世界の家族は、愛を思い出すためのひとつのきっかけに過ぎない。
あなたが愛そのものだったことを思い出すために過ぎない。
愛に還る道を選んでもらうための装置に過ぎない。

もしそれを選びたい気持ちがあれば、あなたは今すぐそれを始めることができる。
今すぐ光になること。
今いるそこをただ照らすこと。
今持っているそれに生かすこと。

もし今いるその場所が暗くてもっと明るい場所を求めるなら、あなたが照らす明かりとなりなさい。
どこかを探す必要が無くなる。そこが明るい場所となるから。

最初はひとりぼっちでも、あなたが明かりになれば、その明かりに引き寄せられ、仲間がやってくる。魂の仲間が。
魂の仲間(ソウルメイト)と出会いたいなら、あなたが光を放てばいい。

それが愛するということだ。

人生の目的はただ愛すること。
内側にある光を惜しみなく輝かせる。
それにはなにもいらない。
あなた自身とあなたの意志以外は。

あなたに今あるもの、それはすべて神があなたに与えたものだ。
そのすべてを使って、そのために自分をよく知って、今そこから始めればいい。

あなたに与えられた半径数メートル、あるいは数十センチから。
今までいのちを与えられ続けたそのからだから。その意識から。

私たちは意識だ。神は意識の源。
そこに戻ることさえできればそこにはすべてがある。