持ち場を満たす

 

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この状態をおみみぺったんさんと呼んでいます

「ねえさん、『ピッチャー振りかぶって第一球のモーション、投げました!』
見ていてくれるのはシンゴさんだけでいい?」

これ、おとうとからの質問です。

唐突に来るので一瞬戸惑いますが、意図は読めます。
・・・これ、セーフですよね?(笑)

私「そう、そうだね、ねえさんはそれでいいと思うな」

弟「そうか、おれはね、いろんな人に見ていてもらいたいと思うんだ」

一瞬考えて
私「うん、それは必要だね、やっぱり、障がい者だから、自分たちだけでは難しいね」

おとうとの彼女のMK子ちゃんは、私と同じ年で半世紀近く生きてる女性なんですが(笑)
とても乙女です。
なので、時々、弟の行動にやきもちを焼いたりするようで
弟はもう少し、理解がほしいな、と思っているみたい。
意訳するとですね。

ちょっと話の軸は(時空は)ずれているのですが
でも、大事なことほど自分だけで決めて生きてきた自分としては
そういうことすら自由でないおとうとの人生にはっとまた気づきをもらったりします。

でもそれが彼の持ち場。
みんなに持ち場があります。

別の持ち場にいるのに、横割りに比較することは何事にも無意味です。

小学校の学級会や道徳の授業なんかで確か
「相手の立場になって考える」という思いやりを勉強しました。

それは共感の第一歩なのですが、
ただ立場になるだけ、ですと、
私というエゴがその人の側に移動するだけになるんですよね。

そうすると、時に「自分だったらこうするのに」とか
「なんであの人はあんなことするんだろう」となって
結局ジャッジメントに拍車をかけるだけになるんです。

大事なのは、もう一歩進んで
「相手の身になって感じてみる」だと思います。
それはハートを介した共感ですので
超越的な理解につながります。

単純なことのようですが、次世代のコミュニケーションは
この段階に進まないと、人類の希望は薄いです。

相手の身になって感じてみると
自分という辞書にないことでも
人類にはあり得るんだ、そして

生まれも環境も文化も価値観も違う誰かが
そう反応し、そう選択し、そう言動するということの
真意がわかる、ようになります。

それは相手のためにするのではありません。
なにより、そう理解することで
自分のうちにある恐れの炎を
鎮火させることができるのです。

理解しがたいものを私たちは恐れるからです。

そうして愛という中心に戻ることができます。

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