原点

家族内の不和、将来・未来への不安、からだの極度な不調、自己不信、恋愛の失敗、パートナーシップの失敗、お金の不足、仕事につけない、できない、選べない、慢性的な憂鬱、疲労、無気力、悲嘆にくれる、孤独感、尽きない悲しみ、あらゆる恐怖、不眠、生きていたくない、死にたいと願う。

私が体験してきた、このままでは生きていけないと決意させた要因はてんこ盛りだ。これらのすべてが指さす方向は絶望しかなかった。これらの状況は高校生くらいから始まり、人生が進むにつれて順繰りにそれぞれ深刻さを増しながら私に迫ってきた。

逃げ回って生きるにしては長すぎると感じる人生をなんとかするには結局のところ、自分が変わるしかなかった。自分が変わるとはどういうことなのだろう。言葉では何とでもいえる。変わるのではない、進むのだ、という言い方もある。ありのままのあなたでいい、とか、いろいろと言われている。けれどそのさなかではとてもそんな言葉では納得できなかった。そのままでいい、というのは「地獄にいなさい」と言われるのと同じに感じられたし、進めと言われても、地獄からは地獄しか見えない。一つの地獄から這い出して別の地獄を体験するなんてこの世は狂っているとしか思えなかった。

今ではこの地球に同士はいるということがわかる。多くの人が苦しみの中で、自分の何かが間違っていてそれが悪いに違いないと感じている。当然、私もそう感じていた。「変わらなくてはならない」という考えはそのまま、自分がいけないか間違っているか、と理解するように人間は仕込まれているのだ。

しかし本当はそうではなかった。私たちは、自己を罰することや間違いを正すことではなく、もっと愛することによって変わる必要がある。

正しさ、というのは高次の意味では、より愛であることである。しかし人間の思考はそうは理解していない。だから私たちはもっとそれについて学び、そして変わっていく必要があるのだ。

自分を愛する、とはどういうことだろう。自分と向き合うというのは欠点と間違いを探す旅ではなく、愛の浸透していないところに愛を満たしていく行為だ。

原点は、自分をよく知ること。しかし欠点と間違い探しに終始せずに、愛とともに学ぶには、絶対に神への信頼が必要だ。私たちは神の視線によってしか、自分を赦すことはできない。利己的にではなく自己を愛し赦し受け入れるためには神という高次の愛という中心が必要であり、究極的にはそこに向かうこと以外に私たちを前に進ませるものはないのだ。これはやってみようとした人にはきっとわかる。

ワークはそのためにある。鍛錬は、訓練は、そのためにある。

そのレッスンなしにあるがままである人はいない。あるがままとは受け入れることだから。

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