自分への許可、の本当の意味

自分への愛を心がけている方の多くが、おそらく「私は本当はなにをしたいんだろう」というふうに問いかけをしているように思います。
そして、「したいこと」や「ほしいもの」という対象を探しています。

それを自分に与えるのが愛のひとつのかたちだという意図なのでしょう。

自分に許可を与えると多くを受け取れるようになる、と言われています。
もちろんそれはそうです。
人にしてあげるのは得意でも、他者から受け取ることは不得意という人はこの世を生きにくくしています。

心がけで変えることができることもこの世にはたくさんあります。
しかし、スピリチュアルで言われている自分に許可を与えるという本当の意図はなにかと言えば、それは権限のことです。
自己の創造主とともにあって、自己の人生の責任者になるという権限です。

私たちが自己に制限していて解放したいものは、欲望というよりは、本来の創造的側面です。
私たちが自己に自ら権限を与え、それを受け取るからには、私たちは自己の特性を充分に理解しなくてはなりません。

そのなかで、自分の本当の欲求に気づくことはもちろんひとつの要素ではありますが、それよりももっともっと、広い視野から自分を見る視点を持たなくてはなりません。

欲求は絶え間なく私たちに信号を送り続けます。
私たちはその対象を欲求と一緒になって探すことに意識を注ぐのではなく、その質を見極めて選んであげなくてはならないのです。
その見極めたり選んだりする主体がより高い自己です。ハイヤーセルフです。
私たちは起きている間中、外界から目に入ったもの、耳に入るもの、口に入れたもの、肌に触れたもの(温度や湿度、風も含め)、鼻で嗅いだもの、また自分の感情のアンテナに触れたものに、始終反応しています。
そしてほとんどの場合、触れた対象に気をとられています。
観察眼の優れた人も、多くはその対象を観察したり分析したりすることに終始しています。

要は、外界の情報を取り入れ、それを思考によって処理する作業に追われているということです。
(これは良い、これは悪い、もっとこうしよう、どうしてこうなっちゃうんだろう、ああうまくいった、この意味はなんだろう、云々…)
そして、自分の内側でそれがどのように感知され、どう感じ、自分がどう反応しているかということにはほとんど意識を注ぎません。

私が感じてください、感じ切ってください、といつも申し上げるのはこの部分の工程を意識してください、ということです。
そして、それをすると、これまで自分の中でしてきた作業とまったく違った成果をあげることができるということなのです。
つまり自己の持つ、本来の創造のための莫大なエネルギーと次第につながり、それを扱えるようになります。
自己の取り扱い責任者でありひいてはマスターになれるということなのです。

セッションで私が問いかけをするのは、この工程をご一緒させていただいているということです。
そして瞑想はまさにこの工程を突破してその奥にある静寂、平安に入っていこうというものです。

イライラ、モヤモヤ、ザワザワ、ワサワサを感じているとき「内面を感じている」と認識している人がほとんどだと思います。
しかし私から見ればそれは、実は内面を感じていないことを知らせるからだからのサインです。

何かを感じている自分を無視していると、処理能力の限界がきます。
特に、五感や六感が敏感な人はあっという間にそうなります。
そうするとイライラモヤモヤザワザワワサワサと、落ち着かなくなります。
人間の思考(顕在意識)のキャパは感覚の領域に比べあまりに小さいからです。
そして思考が強い人は「これは何の意味だろう」とさらに考えるというループに入ってしまいます。
六感の優れた人は「きっと悪い知らせだ」とか「おばけのせい」と考える方もいます。
いづれにしても、外側のなにか、に相変わらず意識は向いてます。
本当はもっとも大事なもの~真の自己からの「こっちを向いてください」」という大事なお知らせだというわけですが…。

…そして処理しきれない分のエネルギーはからだがダイレクトに受けます。
それはからだの不調、病気の症状として出てきます。

余談ですが、私は、パニック障害を患っている方はこの傾向が極端に強い方が多いと感じています。
内面の動きや流れを感じる、意識する、という工程が見事にすぽっと抜けている方が多く見られます。
そして知覚、思考、の能力が高い方が多いのです。

ぜひ、自分を愛する許可を、ご自身に与えてください。
引き換えに与えられる権限は偉大で莫大です。

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