ずばり言います

自己探求という言葉における自己は、
本性ではなくて本質、だと思っています。

本性というのは動物的な性質の部分であり、意識で言えば潜在意識。

そこを探求する意味は、ある程度把握しておくべき景色のようなものであり、
あまりにも偏っていて執着となっている部分はほぐすべき対象となります。
それは言わば、より本質に近づきやすくするための下準備です。

ですが、その部分というのは探検してみると面白くて、
知らなかった自分を知ったような喜びがあり、
うっかりすると、もっと、もっと、となってしまう領域でもあります。

ヨガナンダ先生はそのことを指して
「瞑想して潜在意識のところをうろうろしていてはいけません。
とっとと通過してできるだけまっすぐに内なる神のところへ行きなさい」
と教えています。

そうです。この内なる神が、本質であり、
自己探求において本当に探求されるべき目的なのです。

そして
「人生でなるだけ多くの時間を、この神とともに過ごしなさい」
つまり
「本質として人生を生きなさい」
と教えています。

潜在意識というのは、インナーチャイルドであり過去世の体験的な記憶のことです。

それらのことはとっとと思い出して
なるだけ神に手伝ってもらって癒し浄化し愛で満たしてもらい、
自分の意志を最大限に発動させることができるように準備しなさい、
それはなるだけ若いうちに済ませなさい。

さもないと、意識の習慣を変えて生きるのはとても大変です、
幼少期に体験的に刷り込まれた記憶というのは
放っておけば一生その価値基準の基礎となって生き続けます。

そのまま生きれば生きるほどそれは繰り返し強化され、
外したくても外せない習慣となります。
だから、その矯正、修正は早くに気づいて取り組むほどいい。
体力も気力もあるし、
本質として生きる体験も多く積むことができます、と。

いったん神のもとへ戻ることができたら、
人生を生きることはあらゆる意味で、楽になります。
いろいろなことはそれから体験すればいい。
そうすれば体験そのものの質が圧倒的に良くなり、
生み出すものの価値が増します。

天職を探したい、と願っている人が多いのすが、
職を探し回るのではなくて、先に探すべきものは内なる神です。
そして神とともに行うお仕事はなんであれ天職です。
それは神をみつければわかることです。

ですから瞑想も、そういう目的、意志をしっかりと持って行いましょう。
そうすれば最速で、わたしは、あなたをそこへ導きます
、と
ヨガナンダ先生は、言われます。

ヨガナンダ先生の直球の言葉は、私にとっては最高に心に響きました。
しかしそれというのも、私の潜在意識の癒しという取り組みとチャレンジが功を奏して
そういう真実の言葉を、痛みなく受け入れる心の準備ができていたからだと
今では思います。

潜在意識の世界をぐるぐる回ってそれが目的にすり替わってしまうことは
よくよく起こります。
私自身が潜在意識の道案内をするとき、
本当の目的から目を一瞬たりとも逸らさないよう
とても集中しています。

そうやって、気合を入れて、
「神よ、私はあなたから離れません。
あなたも一瞬たりとも私から離れないでください」と
強く強く願うことは、とても大切なことです。
そうやっているうちに、その他のいろんなことが押し寄せてきても
神から目を逸らさず、神と一緒に対処できるようになっていきます。

潜在意識の探求をやっているうちに、
どこまでそれをやればいいかわからなくなってしまう人もいます。
そうなってしまうと、人は
「自分を全部矯正して完璧に自分を気に入るようにしなくては」
「すべての欲求をがまんしてない状態にならなくては完成じゃない」
などというふうに思い込んだりします。

それは、自己探求の自己の部分が、本性のほうにすり替わっている状態です。
この物質世界で自己を完璧に実現しようなどと思うとそうなってしまいます。

自己というのは物質世界などという限定された世界ではなく
心の内側という無限の世界に存在しています。

その心の内側の、その中でも最も崇高な部分、
それが、あなたでありわたしです。
ですからそれ以外のものを赦すことができるのです。
それ以外は大目に見て、こだわらないでいいのです。
一番大事なこと以外には。

内なる神とつながってくると、言い換えれば波動が高くなってくると、
自然とそういう姿勢になっていきます。

だからOSHOなどは、それを目指すな、と教えます。
自然とでなければ嘘になるから。
ですが一方で、本当にそれ(本質)を理解できるのは
ブッダに帰依したほんのひとにぎりの人だけだ、と言います。
最初から目指さないのなら、ブッダに帰依はしません。
目指している人への教えであることが大前提なのです。

スピリチュアルの教えにはこう言ったパラドックスが多く存在します。
なぜなのかと言えば、導きというのは、ゴールを教えるものではなく
あなたの気を引き、目覚めるようショックを与えることだからです。
目的はゴールにあるのではなく、
あなたが毎瞬毎瞬、神に目覚めては、あなたの人生を歩くことだからです。

今あるもののなかに、まず、愛をみつけてみてください。
そしてそれをどんな時でもどんな場所でもできるよう
自分を訓練してください。

それがどうしてもできないときは
まず自分を癒すところへ戻ってみてください。
そしたらまた、最初のステップに進んでみましょう。

本気でやってみたら、それが最高の前進であるとわかるでしょう。
それ以上の素晴らしいものはどこへ行っても存在しません。


いつも応援ありがとうございます。

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