目的地

フローレンス・スコーヴェル・シンという人の言葉で
「タクシーに乗って、行き先を告げずに『走ってください』と言っているようなもの」
という表現があります。

世の中を見回すと、これを思い出す機会が多い。

神なきスピリチュアルもこれ。

最初は走っただけで変化を感じて楽しいもの。
進んだ感じがするもの。
でも目的がわからない。
そのうちまた、ただグルグル回っていただけだった、と気づく。

一方意識はらせん状に進化する。
だから、いったん上昇した、と思ってもまた必ず下降線を描くようになる。
(厳密には、そう感じさせるだけだが)
多くの人がこれを恐れる。(もちろん私もそうでした)

ただグルグル回っているのと、らせん状に進化していることの違いは
その向こうに目的地があるかどうか。
(本当は、どの次元を見ているかだけど)

スピリチュアルの教えやワークを実践しても
目的地が自分ではっきりわかるまでは
それがたとえ、らせん状の進化だとしても
人は恐れ続ける。
目的地がはっきりしないときの自己判断基準は
体感や感情や気分か、物理的達成のどちらかだからだ。

それらはどれも
終わりのない戦いだ。

目的地は
私たちがどういう存在かを思い出すことだ。
過去世がなにだとか、別の惑星から来た魂だとか
そういうことではない。

大事なのは私たちの目的地はどこかということをみつけ
それに向かうことだ。

なにが私たちに与え、なにが赦し、癒すのか
なにが導き、なにが気づかせ、なにが教えるのかということだ。

それはこの宇宙でも自然界でも
地球上に神とあがめられている存在でもない。

心を感じ、みつめ、そして
その奥深くへと進んだものにしかみつからない。

それが目覚め。

目的は、目覚め、それとひとつになること。
それ以外にはない。


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