自分探しと自分育て


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少し前【自分は探してる場合ではなく育てるもの】というようなつぶやきを見ました。名前を忘れてしまいましたが著名で人気のある方だったと思います。うまいことをおっしゃる、と思いました。

それについてしばらく考えて瞑想してみましたが、厳密にはこれは比較するには主語の守備範囲が違っている気がしました。【探すほうの自分は真の自己、つまり真我で、育てるべき自分は、潜在意識、つまりエゴの自分のほう】です。私が言うならこうですが、いかんせんキャッチーではないですね。仕方ありませんが。

つまりどっちかではなく、両方とも人間には必要で、しかも両者は並列に並ぶものではなく主従関係にあって、相互に関連しあっているものです。ですから私たちはその優先順位などもわかっていないと混乱します。しかし多くの人は「あ、そっか、そっちでいいんだ」というようなシンプルなものに惹かれます。これやってればいいんだ、というような。

それから【自分探し】と題して、エゴの比較対照によって自分を確立しようとする人も多いかと思います。どこが人より優れていてどこが劣っていて、なにが好きでなにが嫌いで・・・だから、自分はなにをすべきか、というようなみつけかたですね。そしてそれをしていても答えはありません。なぜなら、それは比較つまり二元性の世界で、それらの基準は相対的に移り変わるものだからです。

ではどう解決すればいいのでしょう。

聖書にもあるように「まず神の王国を求めよ」「求めよさらば与えられん」が真実であると私は思います。神の王国というのは内なる天国つまり真の自己です。ヨガナンダ先生は、人生の目的は内なる神を見つけること、とだけおっしゃっています。私は、それを見つけようと決めることが一番だと思います。決める、というのがポイントです。そうすると、そのために自ずと課題が出てきます。つまりそれを妨げる意識や制限する意識、ブロックですね。

そうしたら、そういった働きをしている自己意識を探求して、原因を見つけて育て直せばいいのです。

つまり、旅の目的は、真の自己を見つけること、と決めて、それに必要な自分に育てていくということです。とても無駄がない感じがしますが、実際はそう単純には行きません。恐らく過去世で目的を見つけ、チャレンジした経験をたくさん積まない限り、そして今世でもよほど生きにくい体験でもしない限り、現世でそこまで決めきれないのが普通ではないでしょうか。

ブロックを解除するというテクニックは素晴らしいのですが、なんのための、なんのために、という意図が最も重要なところです。

先ほど書きましたように、真の自己を見つけるという目的で、それを妨げるものを解放する、というふうに目標を決めないと、それはその時の自分に不都合な想念を延々と解除し続けることにもなります。そういう体験も、意識の仕組みを体験する上では貴重だと思いますが。

人間の潜在意識は無限の図書館のようなものです。その書物を全部がんばって捨てる必要はありません。人が魂とともに前進するにあたって、もうどうしても役目を終えた古い情報である書物に気づき、手放すのです。

そうして、最終的にはその図書館を真我、内なる神と直接つながる光ネットワークシステムのように軽い空間として保持し、それを妨げる、学びを終えた古く重たい情報は気づきとともに解放する、そして新しい自分を生きる、というのが自分育てと言えます。

ヒプノセラピー、ヒーリング、その他の心と意識エネルギーのワークは、そのような人間の幸せと豊かさに貢献することのできる瞑想を伴うテクニックです。多くの方に親しんでいただけることを願っています。

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