前世とのかかわり。


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前世というものについて、いろいろなことが言われているし、いろいろな捉え方がされている。興味のある人も多いと思う。私はどうだっただろうと思いだしてみると、出会う前はあまり興味がなかったな、と思う。

私は自分の人生に精一杯だったし、一生懸命生きて、自分で考えて、自分で選んで、人生を生きていると思っていた。なかなかうまく行かないのは、まだわかっていないかまだ努力が足りないか、そういった理由だと思っていたと思う。

だからブライアン・ワイス博士の『前世療法』なんて、読みはしたけど特に感慨を抱かなかった。20代最後の頃、江上真吾さんという役者さんのプロデュース公演に出た時、共演した女優さんが『前世療法』を読んで魂が震えるほど感動した、と言っていたのだけど、どこがなのかよくわからなかった。彼女は確か、お母さんが今で言うヒーラーのような存在だったと思う。しかし精神を病んだクライアントさんに殺されてしまったと伺った。尋常でない何かを感じた。きっと彼女には何か導きがあったのだろうなと思う。江上さんは美輪明宏さんの舞台の常連俳優で、私は今はなき渋谷のジャンジャン(芝居小屋)の楽屋で美輪さんにご紹介いただき、この舞台を美輪さんが見に来てくださったりもした。本番直前に美輪さんが洗面所に行かれたため10分押しで開演になったのを覚えている。暗い舞台袖でスタンバって、舞台監督から開演押しの理由を聞いて無性に興奮した。当時はもちろんスピリチュアルブームの前である。

(余談だが、先日父と話していたら、父は以前美輪さんからごはんをごちそうになったことがあったそうだ。誰かの芝居か何かの後、共通の知人がいてそういう流れになったと言っていた。そして母は母で結婚前、母の姉と一緒に芸能界にいて、美輪さんグループとよく一緒に遊んでいた、などと言っていた。あと丹波哲郎さんとか。あれ?死後の世界はある、的な・・・。縁というのはやはりあると思う。)

私は夢物語があまり好きではなくて、とても現実主義なところがある。なんでも現実が変わらないなら意味がないと思う。それは昔も今も変わっていない。いくら天使がいても、現実と関わらないのならそれがわかっても仕方がない。私の現実と天使との関わりを体験し実感して初めて天使は存在すると言えると思う。同じように前世を知ったとしても、それが自分の人生にどう関わるのか、そして関わることでどう変化するのかがわからなければつまらないと思う。

しかし、今と昔で変わったのは、現実というものに対する捉え方である。

以前現実だと思っていたものは今では幻想だとわかった。そして現実というのは事実と真実からなるものだと思う。現実が変わらないと意味がない、というのは本当だけど、その現実を創っているのは自己の意識だということもわかった。だから、変わらなくてはならないのは常に自分なのだ。

前世というのはあるとかないとか信じるとか信じないとかいろいろと言われる。でも私が現実として付き合っている前世というのは、意識に確実に影響を与えている何かだ。しかも通常そこは無意識だ。だから自分の理論的な理解や努力ではなかなか改善できない。しかしそれを意識化し、さらに言語化して理解することで通常では考えられないほどの変化をもたらす可能性を持つ。多くの人がそれを体験している。当たり前だと思っていた自分の癖に気づいて一気に返上する、というようなことが起こり得る。癖というとちっぽけに感じるが、観念とか、価値観、世界観なども同じだ。

信じようと信じまいと、現実としてそれが起こるから、私はそこに原理という法則を見つけることができる。

原理を知ることは楽しい。一見無秩序のカオスに法則を見つけることができたら、私たちはそれを扱うことが可能になる。これは科学のテクノロジーと同じだ。

ただ、意識の世界は顕微鏡で見ることができない。それを見るめがねのレンズは心で、正しくそれを見るにはそのレンズを磨き続けるしかない。

心はその奥深くではみんなと繋がり、神と繋がっている。この世の不条理と言うが、不条理なのは人間の狭い視野からくる思考や欲望であり、すべては精密に緻密に秩序がかたちづくっている。私たちがまだ世界を知らないだけだ。

世の中が便利になって本当にありがたい。体力のない私がこうして探求を続けられるのも洗濯機や掃除機などの助手が優秀だからだと思う。便利な世の中だからこそ本当は人間はもっとどんどん世界を知るといいと思う。便利だけで満足したり、自分が機会や部品のようになって生きるのではなくて、世界を創る意識の一部であり、時にはすべてであるという自覚を持って生きられたらすてきだと思う。好きなことを見つけるために旅なんかしなくていい。適職を探すために旅なんかしなくていい。自分を探すというのは旅なんかしていてもできない。今ここで、自分と、自分の内面を深く知ることを始めるかどうかだ。

沖縄生活アルバム。


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沖縄はもしかしてこのまま梅雨にはいっちゃうのかな~という感じの空模様です。
写真はそうなる少し前の休日。みいばるビーチの食堂かりかで本格キーマカレーをいただきました。
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そしてこちらは垣の花をお散歩していてあまりの見事な咲きっぷりに心惹かれたブーゲンさん。
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このお散歩の目的はこちらのヒスイカズラ。あるお宅がお庭解放して見せてくださるのですが、昨年偶然発見して今年もおじゃました。
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すごくないですか?この色とかたちと。
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10年位咲かなかったとおっしゃっていました。もとは一本の木ですが果樹園のようになっています。
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さらに別の日。これは近所のお散歩コースです。
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好きな木。紋羽の木というのですが方言ではハマスーキ。この木で糸満の玉城さんが作ったのが最初の水中ゴーグル(みーかがん)だそうです。
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まるでプライベートビーチのようにひそやかな楽園。
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そしてどうしても流木を拾ってきてしまううちのヨガダンナ。奥さん大変だね~とご近所さんに笑われました。
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これは先日初めて作ったスコーン。クラッシュアーモンド入り。おいしかった。
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ので、味をしめてリピート。今度はレーズンとカシューナッツ入り。
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それから最近、みょうがの苗が買えることを知り
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根っこみたいなものをホームセンターで買って、プランターに。
今は写真よりだいぶ育ってます。
収穫は9月だそうですが、できるかな。
今日はこのへんで^^

人生という旅を通して知るもの。


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P1000029東京の母のところからアロエベラを連れてきました。

少し前に、2012年作品の映画、レ・ミゼラブルを見ました。久々に、これぞという感動をしまして、それからちょっと感動づいています。私は玉川大学の芸術学科、演劇専攻で学びまして、授業でたくさんのミュージカルナンバーを歌いました。野宮勲先生というなんというか、スペシャルな先生が指導なさっていて、校舎ではあちこちからレッスンする歌姫の歌声が聞こえておりました。

同級生には天才がいて、いつもその子の表現にはドキドキさせられました。歌っても無言で動いてもセリフを言っても、それがシェークスピアの叙事詩であろうと、完璧な話し言葉に聞こえてしまうような、才能でした。高校生ですでに地元の社会人劇団で演出をしていたと聞きました。まだ脚本というものをどう読んだらいいのかさえわからない、日常の話し言葉しか知らないような私たちの中にあって、彼女の「舞台表現を読む力」はいつも圧倒的でした。彼女の発言を聞いて勉強になったことははかり知れません。

彼女もいつも私の表現を事細かく見ていてくれました。そしてずいぶん後になってから「あの時の美緒のあれにはまいった」などと話してくれました。私にすれば、そんなふうに見ていてくれる、見守り理解し、認めてくれる存在というのは何よりの支えでした。

玉川の演劇専攻にはそういった存在がたくさんいました。自分のことで精一杯のはずのあの時期にあって、そういうふうに心の目を注いでくれる同輩、先輩がたくさんいました。卒業して10年以上経ってお話する機会のあった先輩が私のことを語ってくださったりしました。最近では昨年夏に我が家に来てくださった先輩がそうでした。私にとってはそういうかけがえのない心の眼差しが愛として自分の生命を支えてくれたと今でははっきりとわかります。20年目のクラス会の時にも、あの時の美緒について、今もそこにそうして佇んでいる女の子を語るように話してくれた同級生がいました。たった一度、アルバイトで一緒になった私の弟のことまでずっと気にかけていてくれた同級生もいました。この人たちの心はどうしてそんなに広いのだろうと思いました。私が思う何倍も、ただ思っていてくれたのだと思うと、私はただの一期一会では片付かない、魂の仲間という世界を思わずにはいられません。

私は以前から周りの人を好きになりすぎて、自分ばかりがそうなってしまうのが恥ずかしいと思っていたことがありました。記憶力が良すぎる点もそうです。多くの人がさらっとその時期を過ごして前に進むのに、自分は愛着がありすぎるように思っていたのです。ですが、年月が経ち、時間を経て仲間に再会する機会が出てきたこの頃、あの頃の愛はずっと生きていたんだ、と思える体験が重なり、自分の感じていたことは思い過ごしでも一時的な気の迷いでもなく、実在したのだと教えてもらうことができた気がしています。そのことは私の人生に大きな価値を与えてくれています。愛は不変であり普遍なのだという証をもらったのです。

私がずっと生命を注いでいた表現の世界はそうした純粋性と、そして大局的なエゴの欲望の両極を内包する修羅場でもありました。そしてそこでは王道のセオリーとか、成功の秘訣などは効力を持ちません。私たちはそこで多分、ただ巻き込まれるしかないのです。私が見つけたただひとつの平安への道は、そこから目覚めることだけでした。

人生というのは不思議なからくりでなされています。目に見える目的と魂の目的はだいたいにおいて違います。多くの人が気にしている運命と実際の運命は違います。学んでいると思っていることと、実際の大切な学びは違っています。得たと思っていることと、実際に得ているものは違います。

ですが、それでも、すべてが無駄であるわけではありません。すべてに意味があるというよりは、あらゆる出来事は、すべてには生命が宿り、神が宿ることを知る機会となるということです。やがてはすべてが解かる時が来る。私たちが何をしているのか、ということを、というようなチェーホフのセリフがあります。キリストが磔にされた時「神よ、お許しください。彼らは何をしているのかわからないのです」と言いました。そしてキリストにはわかったのです。それがわかったら、それがわかったらね!。

(チェーホフ、三人姉妹より。)

「・・・やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。私たちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、私たちの苦しみは、あとの生きる人たちのよろこびに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思い出して、祝福してくれることだろう。ああ、かわいい妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きていきましょうよ!楽隊は、あんなに楽しそうに、あんなにうれしそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、何のためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。・・・・それがわかったら、それがわかったら、それがわかったらね!」

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RUACHルーア 心のセラピー