癒しという道を歩んで。


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みなさんこんにちは。
前回の記事へのお返事として、何通ものメールいただきました。本当に嬉しく読ませていただきました。個別にお返事ができていないことお許しください。ブログの呼びかけに対して多数のお返事をいただくことは過去にあまりないので驚きと共に、繋がりを感じてくださったこと、また、本当に時を同じくして内的体験を共有できていたとのお言葉に魂の喜びを感じることができました。本当にありがとうございます。

日常の時間のなかで、いただいた言葉をまた何度も反芻しています。みなさんの言葉からも、意識の進化が私たちをどこへ連れて行ってくれようとしているのか、おぼろげながら感じることができます。

自分が癒しというものを体験し、意識の変容を観察していると、本当に人間のやっていることがよく見えてきます。自己の内面に取り組んでいる人というのは、人間としての前進に関して最大限の努力をしている人だと言えます。そしてそういう人に限って、自分は努力が足りない、と感じていることが多いようです。或いは内面の探求という自覚がないとしても、いろいろなことに気を遣い、周辺に気を配り、配慮し、対処への努力をする人に限って、自分はまだまだだとか、どうしてこうなんだろう、というふうに自責の念が強いものです。

そもそも、意識を探求するというのは人間を探求することであり、それは愛について学ぶのと同じことだと言えます。(スピリチュアルがサイキックやオカルトとイコールのように扱われているのに出会うとぎょっとします。スピリチュアルは愛の探求と同じことだというのに。)私たちは望もうと望むまいと、より高次の愛の波動へと統合されるべくこの生命を生きます。あらゆる傷は癒えようとします。あらゆる分断は統合されようとします。ひとつになろうと働きます。これが自然の働きでもあり、内なる神のなせるわざとも言えます。

混乱のさなかにあるとき、痛みに飲まれているとき、この本来の流れに自分がいるとは思えないかもしれません。私はそうでした。少しでも力を緩めたら、運命の奈落の底へとおっこちて、こちら側へは戻れなくなるに違いない、と、長いこと感じていました。それで、ちっとも進まないとわかっていながらも泥濘(ぬかるみ)を方向も定まらないままに歩み続けるしかありませんでした。

そんな時に、ゆだねなさい、などと誰かに言われたら「死ねって言ってるのか」と怒りに震えたことでしょう。実際今私がクライアントさんに語る言葉は、以前の私だったら受け入れられないことだらけです。こんなこと、あのときの私が聞いたら怒るだろうな、とよく思います。もちろん今の私がそれを言えるのは、変容のプロセスを実際に体験して今があるからです。

実際痛みのなかにいると、受け入れられないことばかりです。例えば、「幸せになるためには、感謝しないさい。」「家族を大切にしなさい。」「赦しなさい。」「笑顔でいなさい。」「不平不満を言うのをやめなさい。」など、本当にそれができるのにしないでいた人はどんどんしたらいいと思います。しかし最初に書いたように、いつも自分よりも周囲の人のため、という心を持っているにもかかわらず、心が疲れて、犠牲になって、自分を幸せにする方法(生き方)がわからない、という人も大勢いるはずです。

この状態にある人は、過去(とりわけ幼少期)や過去世の人生で、心につけてしまった習慣が刷り込まれ、それが繰り返しリピートされるということが起こっています。自分のことを一生懸命やっているつもりなのに自分の人生は進んでいないのです。実際は痛み、苦しみすら感じていない人も同様に、このシステムから解脱している人はほどんどいません。快楽を得ることがうまく行っている限りは、マトリックスに疑惑を感じることすらできないのが人間です。

ここから脱するには、自分の心が本当は何を求め、何によって喜び、満たされるか、またそれを行動に表すという生き方を学ばなくてはなりません。しかしそのためにもまず、痛みを癒やすことが先決です。痛みを軽減し、全身のちからを抜き、思考(心配)のぐるぐると恐れのビデオテープを停止し、静かに座ったり横になれるまで(瞑想できるまで)回復しなくてはなりません。学び始めるのはそれからです。

理解力というのは波長が上がることで深みと広がりを増します。ですから、痛みという荒いバイブレーションのエネルギーを癒やすことで、高次を理解することは容易になり、同時に実践することへの恐れや抵抗も取り去ることができます。

ですから、私はレイキというものをお勧めしています。癒しのための高いバイブレーションは、心身と魂をあらゆる面から本来の流れへと押しやってくれます。

スピリチュアルもレイキもヒプノやインナーチャイルド、過去世についても、まだまだ本質的には理解されていませんが、これらは人間の幸せの真理の探求のために人類に与えられている絶妙な杖のようなものだと私は感じています。どんどん利用して、幸せになって、地球に喜ばれる人類になっていきたいものです。

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