アセンションを地に降ろす


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アセンションが起こるとして注目されてた2012年12月から早くも一年以上が過ぎました。スピリチュアルのブームはその後どうなっているのでしょうか。ブームから本質へと、地に根付いて花が開いていくことを願っています。

私は普段、穏やかに淡々と、静かに生活していますが、時々魂が惹きつけられる否応ない引力のようなものを感じることがあります。最初は心がバランスを崩しているのかしらと思いその火種を寝かしつけようとするですが、それでもなかなか消え去らない炎は、燃えるがままに燃やすことにしています。

昨年初めにこの知念の地に引っ越しをしましたが、その前の年、そう、アセンションの2012年ですね、その秋ごろからやたらと不動産物件が気になって調べまくりました。それを正当化する理由と言えるようなものは数えればあったのですが、不要である理由もたくさんありました。ですがどうしてもそのエネルギーのうねりが自分の中で止まる気配がしませんでしたので、途中からはどうこう意見を差し挟むのをやめて、ただその流れを観て、静かに従っていました。

それを見ていた主人がその流れに従うようにサポートしてくれて、結局は今の家を見つけて移り住むことになりました。途中も自分たちの「本当にいいの?」という心の声を受けるようにして何度も確認すべきことが浮上し、考えては瞑想して、結局今に導かれました。終わってみれば、そうだったのか~という気持ちです。よくこんなことできたな、という感じなのです。こういうのを導きというのだと後から感じます。沖縄に渡った時もまさにそうでした。

それから、311以降では社会問題を知ることにとても惹きつけられています。そして去年からは特に、ネット選挙というものが解禁になり、選挙の動向にも非常に惹きつけられます。今日本はとても揺れ動く不安定な時期でもあり、ひとりひとりの目覚めが社会環境に微細に反映される時の幕開けでもあると思います。スピリチュアルにおいての人間の変容のプロセスと同じで、意識の目覚めが起こればその後時間をかけて物理次元での変化が追いついていきます。

今まさに、2012年の次元の上昇が物理次元でも起こっています。古い毒は浮上し、かつて馴染んでいた古い習慣は新しい意識の次元にそぐわなくなり、私たちにその有り様をはっきりと見せてからやがて決別します。

意識の目覚めは一瞬で起こりますが、その新しいエネルギーとその波長に身体が追いつき慣れて自分のものにできるようになるのには一定の通過儀礼とその時を過ごすためのコツが要ります。このことは体験してみないとなかなか捉えにくいものかもしれません。

私たち人間はやがて、すべての人間界における問題は愛の欠如から来るということを知るはずです。今多くの人が自分の心の中には問題がある、と感じているかもしれません。そしてそれは、なにか、愛に関することが原因ではないか、と思い当たっているかもしれません。

自分の心の問題というものをつきつめていくなら、身体の問題、家族の問題、人間関係の問題、地域の問題、環境問題、社会問題、経済の問題、世界平和の問題、といくら枠を広げていっても、問題を煮詰め、細分化し、原因を追求していくなら根源はひとつのところに還ってきます。

つまり人間が本当に自己の幸せというものを追求したなら、それは世界を幸せにすることと同じになってしまうことと同義です。そしてその幸せを満たすためにどうしても必要なものというのが愛なのです。

例えば選挙をウォッチしていると、見解の相違でケンカが起こるのを見ます。今回の都知事選で言えば、反原発という志を持つ人が、細川候補と宇都宮候補のどちらを支持するかで相当もめているのを見ました。どちらかを支持しながらも、絶対にケンカすることなく相互理解に務める姿勢の人も見ました。また、ケンカを避けて言いたいことを言えずに苦心している人もいました。

もし、癒やされた心でこのような事態に臨むのであれば、双方の意見を苦がなくまず聞くということが可能です。是非の判断をする前に、ゆっくりじっくり、よく聞くことができます。それから結果を恐れず本心を正直に伝えることもできます。逆に、癒やされない心、心に棘が刺さっている状態であれば、自分の考えと違うものを聞くと苦痛が生まれます。それがとてもストレスに感じるのです。攻撃されている、という感覚が生まれます。そして結果を恐れて本心を伝えることも困難です。

これが家庭内だとします。例えばお姑さんにお掃除のやり方を注意されたとします。癒やされた心にはそれは助言に聞こえます。助言というのは、より良くするための助けです。私のためにありがとう、という受け取り方になります。癒やされない心でそれを聞こうとすると、それは攻撃、モンク、いじめ、ケチ、という受け取り方になり、心は防御反応をします。つまり、閉じて無視しようとしたり、反撃して口答えや言い訳をします。実際に口にしなくても心の中で黙ってそれをしたりします。いずれにしても受け入れることは難しいのです。

人間の言葉のやりとりを見ていると、まずこのどちらの反応か、というところで人の心の状態を見分けることができます。対立する見解に対して理解に務め、互いの誤解を解き、双方がより高い展望を見いだせる努力ができればそれは建設的な戦いです。戦い自体は悪ではありません。逆に、自分の意見を通すために相手を貶めたり最初から理解しようとする間口を閉じたまま口論すれば、戦いは泥沼に落ちてしまいます。或いは攻撃が苦手で一見温厚な態度でも、受け入れる間口を閉じて武装している人もいます。

そして、後者のように防御体勢でいなくてはならない人は、癒やされていない心の反応に支配されてしまっています。原因はそれだけです。潜在意識の記憶のせいです。

潜在意識は長い人間のサバイバルの歴史の中で、自己を守る知恵を身につけています。これが防衛本能です。この本能は人間が恐れを感じることによって発動します。ですから私たちが恐れから突き動かされている時私たちは本能優勢で、攻撃的になったり防御的になっているとみなすことができます。

しかしその反応は人間の肉体的な機能の一部にすぎません。人間の本質ではないのです。本質でないということは、それによって人間が芯から幸せになることはないということです。それは一時避難的に身を守る手段であり、恒久的に信頼すべきパワーではありません。

では、人間が恒久的に信頼すべきで、芯から私たちを幸せに満たしてくれる本質的なパワーとはなにか。それが愛です。

話を家庭内の例えに戻します。お姑さんが苦言を呈した時に、お姑さんは自分の気分のせいで少しいじわるな気持ちを込めてぶつけていたとします。しかしお嫁さんの心が癒され平安であったなら、そのエゴの部分を見過ごして、助言という愛の部分だけ受け取ることもできます。幻想を赦しによって浄化してしまうのです。これは『私のエゴが浄化されていれば世界も浄化されている』状態です。

そして、そのようにお嫁さんが受け取り、感謝を還すことで、お姑さんのエネルギーは浄化されます。その時、お姑さんが気づく準備ができていればその変化に気づき、それを受け入れることができます。いじわるな気持ちを込めてぶつけたことを悔いて、改めることもできます。何よりも、赦されたという平安を得ることができるでしょう。

もしこの時、攻撃や防御でそれを還してしまえばお姑さんのイライラは怒りとして膨らんで、両者の間の壁は更に分厚くなり、やがて冷戦化したかもしれません。和解への道は遠のいてしまいます。

或いはお嫁さんは、思い切って「どうしてそんな風に言うのですか?私はどうしたらいいのでしょう」と尋ねることも可能です。その時もしも、相手の奥にある本当の心=愛を信頼しないで問いかけるなら、攻撃と受け取られるかもしれません。信頼のもとに率直に尋ねれば、それは相手の防御の壁を超えて、和解へと繋がることでしょう。

今回の選挙ウォッチングの中で、この愛の法則に則って活動している人をたくさん見ることができました。私はこの進化をとても喜ばしく感じました。愛というパワーはあらゆる法則を超えて強いものです。私たち誰もが心の奥に持っている、そして、感じることができるこのパワーこそがすべてのコミュニケーションの基盤となれば、無駄な誤解や争いをことごとく回避し、その分のエネルギーを人類と地球の幸せのために注ぐことができるでしょう。

人間に課されている課題はそこにあります。

家庭内や、親しい人とその課題をぜひ実践してみてください。そうすればそのやり方はあらゆる人間関係に応用できるとわかるはずです。会社でも、地域でも、国際交流でも。その一歩さえ始めれば、世界平和もそう遠くないと実感いただけることと思います。そして、その実感が、世界を創造します。

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