運命。


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『自分自身を変えると決意しなさい。そうすれば、あなたは運命を自分の意志に従わせることが出来るようになります。』 ―パラマハンサ・ヨガナンダ

私は人生の前半、常に運命から逃げまわり、運命に追いつかれないように連続でダッシュし続けていたように思います。ゆっくりしていると次から次へと困難と苦しみが押し寄せてきて、人生が問題の対処に追われて終わってしまうように感じられました。逃げまわるほど悪いことをした覚えはないのにやってくるのは考えるのも恐ろしいようなことばかりでした。そしてそんな状態から想定する未来はろくでもないものばかりです。そんな未来と出会わないために必死で別の未来を探していました。そして「これさえ手に入れば」「これを変えることができたら」といつももがいていました。

そんなみじめな状態であると同時に頭の中では「自分は本当はこんな人生を送るはずではなかった」「自分はもっとできるはずなのにやれることをやっていない」という焦りでいっぱいでした。

常に全力でダッシュしているのですから、それ以上がんばろうとすると心の糸は張り詰めすぎていてすぐにぷっつりと切れてダウンしてしまい、またそんな自分を責めていました。なんてがんばりが効かないんだ、なんて弱いんだ、なんて怠け者なんだ、というふうに。また、家族に精神病を患う人がいたために、自分もいつそちら側へ行ってしまうのだろうかと内心いつも恐れていました。そして、そんな自分になってしまった原因を探し回りました。スピリチュアルについて少しずつ学び始めてみても「今の良くない状態を作った理由」ばかり探しては見つけるだけで、長いこと解決にも繋がりませんでした。

そんな私を知っているのは目の前で見ているのはほんのわずかな友人と、やや遠巻きに感じていた家族だけです。とても危うい不安定な自分のことは社会や仕事場では極力隠さなくてはなりません。時には自分にさえも隠していたかもしれません。ところが恋愛となると内側にいる自分の素顔が否応なく出てきます。いつも恐れ、ビクビクし、未来を思うだけで疲れ、自分の欠点が気になり、愛されるのは表向きのいい顔をしている自分だけだと信じていた自分。相手を必要だと思うほどにこの内側の自分の気持ちが出てきて、どうしても愛され続けることは不可能だと自分に信じさせます。ですからどんなに楽しい華やかな日を過ごしても1日の終わりには孤独な気持ちに襲われ、きっと人生の結末はこんな気持で終わるのだろうと思えるのでした。

真理を表す言葉の中に「自分が与えたものが自分に返ってくる」という教えがあります。私は幼い頃から心に理想を持ち、人生を意識的に生きようと努力していました。10歳になったときはっきりと意識してそう思いました。そして「優しい人でありたい。そのためには強くならなくては」とも思っていました。ところがおとなになる頃にはすでに人生との格闘に疲れていて「元気?」と聞かれて「元気」と心から答えられたことはありませんでした。そしてとてもじゃないけれど自分が与えたものが自分に返ってきているとは思えませんでした。ですからこの世でなにを信じていいかも見失っていました。

この言葉の意味がわかったのは30歳少し前です。言葉もこの通りではありません。本当は「自分が【自分に】与えたものが自分に返ってくる」です。こう考えてみると、これは確かにそうなっていると納得がいきます。私は自分に対してダメ出しばかりしていて、自分の中にいて居心地がいいと感じたことがありません。芝居を始めてからは唯一芝居の稽古をしているときと舞台に立っているときにそれを感じましたがそれもごく限られた条件の下においてのみだとだんだんわかりました。同じような思いで芝居を創る人たちと一体になったときだけです。それはプロとして演技をする上においてなかなか簡単に巡り会える条件ではありませんでした。

当時は自己愛が強いように見られましたが、その愛はとても未熟で幼い愛でした。気に入っているところは愛せるけれど殆どの部分は早く切り捨ててしまいたいと思っていました。つまり自分の殆どの部分は気に入りませんでした。そしてこういう思いこそが「私が自分自身に与えていたもの」です。

そのように自分の内面を見なおしてみると、私は自分にろくなものを与えていませんでした。他人に褒められて初めて自分を認めることができ、その褒められる部分というのはなにか格別に他者より秀でた部分だけです。ですから私は自分の中の殆どの部分を認めていない上にその認める基準も自分ではなく、他人の賞賛によるものでした。

このことに気づいてから私は自分の中身を徹底的に洗いなおす作業を始めました。自分が自分の内面でなにを与えているのか。常にチェックをし始めました。生活のためにしていたアルバイトの最中は格好のチェック機構でした。自分が自分に与えた思いが即座に周囲の反応として返ってくるのを実感しました。私はまず、日常をつつがなく送るために全力で自分に対する思いを変えていきました。そうしてみると、実際周囲が自分に対してとる姿勢というのは、自分が周囲になにをしたかではなく、自分が自分をどう扱ったかに同調していました。つまり「自分を尊重すれば周囲からは尊重され、自分を可愛がれば周囲から可愛がられ」ました。

この法則は真実です。なぜそんなにも真実なのか、それはこの法則が更に深い真理に基づいているからだということが後になってはっきりとわかりました。それが「世界は外側にはない」という真理です。内面(意識界)が真実で、外側(物質界)はそれを映し出す鏡であり、スクリーンに映し出された映像に過ぎないということです。ここまでは概念として理解していましたが、当時は外側を整えたいがために内面を変えていく、というのが私のやり方でした。ですから当時の私は仕組みはわかっているつもりでもまだ外側は在ると認識していたのだと今ではわかります。

本当に世界が完全にひっくり返ったのを体験したのは沖縄へ来てからです。その間にももちろん進化はしてきていましたし、一歩ずつ内面を変えることで世界は変わりつつありました。そうでなければどんでん返しを体験することはなかったと思います。36歳くらいまでに私は古いカルマの片付けをコツコツとやっていたのだと思います。意識の仕組みを知り真剣に実践し始めたのが27歳の誕生日からでしたからまる9年経ってのことでした。取り組みの中で最も重要で大きく浄化を進めてくれたのは瞑想です。そして36歳の誕生日に朝から何度も、私は内なる声が「ああ間に合った、間に合った」と言うのを聞きました。それがなんのことを言っているのかは当時なんとなくしかわかりませんでした。古いカルマを手放す準備ができて、なんとか今世の目的を果たすための下準備が間に合ったのだと今では言うことができます。

世界がひっくり返ったのは、おぼろげにも目的だと思っていたものが無かったこと、そしてこれまで原因だと思っていたものも幻想だったこと、そして世界は自分の中にだけあるということが当たり前になったこと、その世界には神と私だけが存在していることがわかったことによってです。ここまできて、私はクリアになりました。同時に世界がクリアになりました。

みなさんがもし、このクリアというものに惹かれるのであれば、瞑想以外に近道はないと思います。瞑想が自然に出来る状態になるためにはヒプノ、レイキなどの潜在意識への働きかけが役立つと思います。そして自分で出来るワークの手立てとしてはACIM『奇跡のコース』が、その前段階として『神の使者』が役立つと思います。

私の個人的な体験としてこのクリアな世界へのガイドでありティーチャーとなってくださったのが、マスター、パラマハンサ・ヨガナンダでした。私はアメリカ発のスピリチュアリティーの著作を数えきれないほど読み実践してきましたが、その源泉を東洋のインドからアメリカへ実際に伝えたのがヨガナンダジです。実際あらゆるスピリチュアルの叡智の本質と全体がヨガナンダジの教えの中で見つかりました。ヨガナンダジの教えが真理だとすればその他の多くのスピリチュアルの教えは、長い鼻はゾウである、太い足はゾウである、と言っているようなものでした。ゾウそのものを見たことがない人の言葉のようです。ヨガナンダジはゾウをゾウだと、あるがままに教えてくれます。

私は彼の言葉に出会ったとき、これまで自分がして来た旅の答えはここにあると感じました。そして彼に心から「帰依します」と、初めてこの言葉を人生で使いました。すると私の瞑想の質が激変しました。そして光として高次元のエネルギーや存在を目で見るようになりました。彼の導きや愛を実在感とともに感じることができます。ヨガナンダジは私がこの人生で見つけた最初で最後の完全な師です。彼の肉体は今この世にありませんが、私の内側で私は師の声をとても近く聴くことができます。ひとたび本を開くとその言葉が声となって響くのです。

今となっては私の人生がどのような運命であったか、というのは全く問題ではありません。運命というのは、カルマに縛られている間だけ、重みを持ち存在しました。しかし苦しみの中にいるときこそ、私たちは自分を変えるという選択肢を差し出されます。その差し出された選択肢をその手で掴むことさえできたら、本当の自分に還る道を歩むことができます。

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