2013年のセッションを終えて。

今日で年内のセッションは終了しました。今年も本当にありがとうございました。本当にありがとうございました、という言葉では表現しきれないほどの感謝でいっぱいです。今日もセッション後に瞑想しましたが、感謝以外のものがなにも出てきませんでした。

自分が提供できるもののかたちについていつも模索してはいますが、かたちが変わるときは本当に自然に『出た』『引き出された』というふうに、変わっていきます。かたちを探している間はそれは出ることがありません。不思議ですが、先にエネルギーがある、というのがこのことだと思います。

世の中では資格とか、学校を出たとかいうことが評価や仕事へのパスポートのように扱われますが、俳優と同じくらいかそれ以上に、学校を出たことや資格を持っていることがあてにならないのがセラピーやヒーリング、カウンセリングの仕事だな、と思います。なぜなら技量がどうこうではなしに、人、その人の持つ、或いは成す、エネルギーが作用するのがこの世界だからです。

歯医者さんに行けば同じ歯の治療が一律になされるというイメージがあります。違いは最新の機械を使うか、或いは手が器用かちょっと雑かな、という感じで。でも実際はそうではありませんよね。ヒーラーには同じ波長を持ったクライアントさんが引き寄せられます。ヒーラー、セラピストは自分を正しく癒し自分を正しくケアすることで、この引き寄せを精密にすることができます。発信機を磨いておくようなイメージです。すると自分がちゃんとお役に立つことができるクライアントさんに来ていただけるようになります。そうすればセッションは互いにとって幸せなものになります。

誇大な広告を出して、自分の中身と違う宣伝をしたら、大勢の人が来てくれるかもしれませんが、実際は苦境に立たされるでしょう。霊界では良い評判はたちません。(ええ、これはたとえですけれど)でも、私がこのお仕事を続けていられるのはひとえに、私が祈って発信し、それを受信し捉えてくださる方がいらしてくださること、そしてその仲立ちをしてくださるエネルギー界、神のちからがあるからです。

神頼みと言いますが、神に祈るには祈り方があります。そして神に祈るには修行は要りませんが心構えがあります。なぜかというと、神を誤解したままで、祈りの応えが思うように得られないと人間は傷つくからです。がっかりして祈るのがいやになります。そして神から離れてしまいます。更に、神に見捨てられたと思ってしまいます。人間の感じ方はそうです。実際は誤解したのも離れたのも自分のほうなのですが。

レイキは、神への祈り方を正しく誰もができるように、ちゃんと的確に届けられ叶えられるように、悟りのなかから道を示し儀式化してくれたものです。

いらしてくださったみなさんが「ありがとう」と私に言ってくださるたびに、いいえ、私をみつけて、そして、選んでくださってありがとう、と心から思います。そして引きあわせてくださった高次元の存在、神に心から感謝します。神への感謝を与えてくださったみなさんにさらにさらに感謝します。

ご縁のあるおひとりおひとりの幸せを心から願わせてくださりありがとうございます。今とそして今から起こる毎瞬の中に、おひとりおひとりのなかの神の微笑みがともにありますように。


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潜在意識と戦争。

辺野古埋め立ての要請が行われました。17年を経て今だそうです。

私は、人間の進化の証として、愛と、平和の象徴として、この世界から戦争が消滅するというビジョンを持っています。これは、今の私たち人類にとって共有し得るビジョンではないでしょうか。ただ、これまでやってきた悪習をやめるだけのことなのですから。

愛と平和の社会というとよく、お金のいらない世界だとか、共同体を作るとか、今と全く違うシステムに変わるというビジョンが提案されています。『スライブ』という映画では、エネルギーのシステムが変われば共存ができる、という提案がされています。私もスライブは素晴らしいと思います。

だけど、その前に、です。新しいものを生み出すには、或いは受け入れるには、古いものを手放さなくてはなりません。長い間人間を支配してきたサバイバルという本能の権化が戦争という人間のからだに巣食っているおできです。

過去にはこのサバイバルが人間が生き抜くために必須だった時代もあると思います。しかし今ではそれは中身のない儀式のように形骸化され、それを一部の人間によってビジネスとして利用され続けています。重要なのは、利用する側は地球上のごく一握りの人たちで、利用されているのが大多数であるということです。そしてこともあろうに、利用されている人は、自らの意識の中でそれを選んでいるというとことです。利用されている人は自由意志でこう言います。「戦争は人間の本能だよ。」「戦争はなくならないよ。」「戦争があるのはしかたないことだよ。」

これらの信念というのは、ほとんどまったくもって、問い直しがなされていない、ごく幼い、人間として未熟な段階で身につけている信念だと言うことができます。「だってみんなけんかするじゃん。」「男同士ってのは競い合う性なんだよ。」「食べ物が足りなきゃ取り合うだろ。」これは、人間の特性と言うよりは、もっと知性の低い動物の特性です。主語を「猿とは」に置き換えてみてください。・・・当てはまりますよね。

しかし猿とて、優しく育てられれば思いやりや共感という心すら育ちます。

古くは人間も猿に近かったのかもしれません。その頃の記憶が潜在意識に刻まれていて、あたかも「生き抜くためとなればそのように振る舞わなければならない」と無意識に思わされているのかもしれません。おそらくそうです。

意識の世界を探求し実践している私が言わなくてはならないこと。それは「潜在意識などというものは人間の本性ではない」ということです。多くの人が誤解しているのです。本能というのは、と置き換えてもいいかもしれません。もう一度言います。「本能などというものは人間の本性ではありません。それは単に「習慣」です。」刷り込みであり、思い込みです。そしてその刷り込みがあって、確かに身を守ることができます。火を見たら、その中に飛び込んではいけない、というのが動物の本能です。虫にはそこまでの記憶の貯蔵領域がないので火を見たらつい飛び込んでしまうのです。それより少し進化して、動物はそうしないのです。敵と思えるものが近づいたら攻撃か防御をする、というのも動物のサバイバル能力です。しかし動物は食べるため、そしてそのための縄張り意識以上に富を得ようとはしません。

人間はそれ以上に考える、そして想像し、創造するという能力を与えられました。この能力は無限のものです。それをどこまでもいかしていいという自由が与えられています。でも肝心なのは「何のために」それを使うか、です。

今人間が立っている岐路があります。私たちが神に似た性質、「創造と無限」の能力をどこへ持って行くのか、という問いへの応えです。それについて考えなければ私たちは選びようがありません。漠然とした感覚意識である本能のままにいたのでは、動物として生きるしかありません。いったん問い直しさえすれば答えは難しくありません。神の性質をどこへ向けて持っていくのか、それは、神のところへ持っていくのが自然です。

では、人間が神を目指して生きるというのはどういうことか。これも、神について考えたことがなければ「わからない」でしょう。でもいったん考え始めれば、答えはあります。わからないと思っている人は、考えるのを、或いは追求することをやめてしまうからわからないのです。でもやり続ければ誰でもわかります。なぜならその答えを持っているのが人間だからです。

私は日々、自分の意識と向き合う決意をしてやってきてくださる方々と向き合っています。そして一緒に探求することでいつも必ず奇跡に立ち会います。奇跡というのは、人間が持っている限界だろうと予測できる壁を突破することです。しかし、やればできるのです。やり方やコツは、やってみた人にしかわかりません。だから、やってみた私と一緒なら短時間で突破できます。そして私はその奇跡をいつも自分の胸に刻みながら、人間という存在のものすごさを目の当たりにさせられ続けます。人間って本当にすごい、すばらしい、と毎日思わされます。こんなにすごい生き物が寄り集まって、その能力をわざわざ動物のまね事に使うなんて絶対にあり得ないとことだと思います。動物が低級だというのではなく、動物はベストを尽くしてそのやり方なのです。人間がベストを尽くしたら、違う現実、違う道、違う可能性が、無限に約束されているというのに。つまり地球の生き物すべてはベストを尽くしているのに人間だけが怠けることを覚えてそこに甘んじている可能性があるということです。

さて、言いたいことは山ほどあります。人間が戦争をやめたら、世界は今のままではいられません。殺しあうことではなく、また、騙したり騙されたり、利用したり利用されたりすることをやめて助け合う次元に人間はアセンションします。(アセンションって現実なんですよ。誤解しないでください。)習慣の奴隷になることをやめてみる。ただ、やめるということが重要です。だって本当にそれだけでいいのです。世界を大きく変えるには、新しいことをやらなければと悩む必要はなくて、ただ、もういらないものを断捨離(あえてこの言葉で言いますが)するだけでいいのです。

「私は戦争を選ぶことをやめます。そのために、利用されることをやめます。戦争を容認することを、動物の本能のせいにすることをやめます。戦争を容認したり養護することをやめます。そのやり方が人間らしいやり方だなどという考えを受け入れることをやめます。」ただ本気でやめると「イマジン」してみてくだい。

実際戦争が終われば次には具体的な変化が来ます。まずはエネルギーが大きく余るようになるでしょう。不足だから戦争が起こったのではありません。戦争が不足を引き起こしていたのです。貧困がなくなるでしょう。貧困は戦争が引き起こしてきました。過剰な富や支配権を本気で欲しがっているのなんて、まして手に入れてきた人なんて、本当にごくごく一部です。多くは自分と家族や身近な人の幸せを願っています。その願いが満たされることで私たちはその幸せをもっと広げたい、多くの人がそれを味わう人生を送ってほしい、と願うことができるようになります。地球上のすべてがそうあってほしい、という祈りは地球と宇宙の神々の望みと一致し即座に叶えられるでしょう。

それでも人間は欲望を追いかけるものだよ、平和になれば欲望がまた出てくるさ、と思う人もいるでしょう。その、あなたは、どうなんでしょう。本当は、人間って所詮こうなんだよ、というのは自分を正当化するための言い訳です。自分から出てきて止まない欲望を恐れているから、人間の本能のせいにしたいのです。欲望は出てきます。でもその時あなた自身、私自身が、なにを優先するか、どちらに価値があるか、と、選ぶだけなのです。恐れにからめとられて全体を貶めるか、それとも自分にとって本当に価値がある方を選ぶか、だけです。

さて、戦争が身近でないかりそめの平和の中にいた日本人は、戦争を宗教のせいだと思っている人も多いでしょう。このことについては次回書きます。

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私の願いは実現し続けています。

この世に広まってほしいもの、と考えると、瞑想、カウンセリング(セルフカウンセリングというものがあるのですが、これは本当にすばらしいです)、ヒプノセラピー、レイキ、鍼灸と、手前味噌のようになってしまいます。でも本当にそう思うので仕方がありません。逆に言えば、自分の人生にとって決定的に重要だったものを仕事にしているから結果的にそう思うので仕方ありません。

鍼灸は主人の専門ですが、私は主人と出会う前から鍼灸を普通に頼りにしていました。風邪をひいても鍼灸院に行っていましたし、扁桃腺が腫れて、ライブの前日、このままでは薬で抑えても歌えないと思い、鍼灸院の前まで行って電話して、予約いっぱいの鍼灸院で無理やり診てもらったもらったこともあります。

高円寺のうめちゃんという先生で、私は全く別の3人の人からすばらしいという話を聞いて行きました。なが~い鍼を首から喉に向けて5本刺されました。それも「治るか、もっとひどくなるか、どっちかだな~」と言われながら。私は迷いなく受けましたが。数十年自分の身体と付き合った感触で、他に良くなる見込みがまったく浮かばなかったからです。

結果、翌日は奇跡のように普段以上に声が出てライブも成功しました。もっと言えば、そのライブから主人と親しくなったというおまけ(本筋?)がつきます。主人はまだその時、鍼灸の学校の受験生でしたが。

さらに、それからもう10年以上経っているのに、以前はしょっちゅうだった扁桃腺の腫れは起こっていません。子供の頃から風邪と扁桃腺と高熱がセットで、この世の恐怖のひとつだったのに、あれ以来起こりません。もっとも、主人と付き合うようになって、鍼の練習台として予防的にいつも鍼を受けられるようになったことで体質が変わったというのもあると思います。内面も強くなったり変わったところもあります。

しかし鍼灸の素晴らしさは、根本的に変えてくれる力を持つところです。鍼灸のなかでも中医学と言って、中国の伝統医学に基いて弁証をして治療してくれる鍼灸師さんは少ないと思いますが、それをしてもらうというのは「ただ単に元通りに修復する」のではなく「体質そのもの、生命力そのものを活性し、全体を高める行為になる」ところが素晴らしいのです。

中医学ではさらに、感情の働きと内なるエネルギーの繋がりを捉えることができていて、それをバランスするという治療もできます。私はこの点をさらに深く理解し探求し、治療してくれる鍼灸師さんがいっぱいいてくれたらな~と願っていましたが、時を経て結婚したこの人がそうなってくれました。こうして振り返ると私は心のそこからこうなるといいな、と願ったことはたいてい時間をかけてもかなっているように思います。決して棚ぼた的な幸運は多くはないのですが。

振り返ると、自分のなかで研究して検証してこうだと思った理論などもしばらくすると世に出てくることはとても多いです。例えば健康法とかダイエットとか、断捨離のようなものとか。むかーしからコツコツと一人でやっていたことです。ダイエットは究極、我慢の習慣が余分な脂肪になるのでストレスを無くすと自然な体重になります。多くの人が、我慢していることにさえ気づいていないので、内側の制限をみつけて取り外すことで、不要な習慣が必要なくなるのです。自然な体重以下にしたい場合は別のコミットメントが必要になります。こういうのもある時雑誌などに出てきたりして、やっぱり、内面と外側は繋がっているんだな~と思いました。結果すべてはスピリチュアルの法則通りです。当たり前なのですが。

社会問題は今私の心に負担をかけて悩ませてくれていますが、諦めることなく向き合っていればおそらく「やっぱりね」という、すっきりとする結果がやってくることと思います。

私のセラピーのようなものは、まず多くの人が、ネガティブなことを正常に戻すためのものだというふうに理解されているのではないでしょうか。インナーチャイルド、という本を開いてみると、理論や書いてあることは正しいのですが、心の傷が要になり傷を与えた人と受けた人というくくりがやはり私には気になります。私は自分の人生をかけて内面の探求をしてきて、また多くの人の内面に向きあわせていただいてきて、時間と体験を経なければ絶対にわからなかった大事なことを発見しました。

鍼灸治療が最終的には人間の持つ本来の生命力と出会うためのツールであるように、心の探求もそうだということです。私たちは内面の、一見問題に見える壁に当たることで、自分のなかに存在している制限と出会います。その問題に取り組むということは、その問題を解決して、人並み、正常範囲、社会的強者や優等生になるということが目的では断じてありません。私たちはその問題と向き合い取り組むことで、人間の内面、心、意識のエネルギーがなにをしているか、その仕組を知り、人間とは何かを知り、その制限を超えた本来の自分になることを目指しています。制限のない無限の領域が自己の中心にあって、それと出会う旅を、ずっとしているのです。

私たちが差し迫った問題に出くわすところから、もうすでに内なる神の導きは始まっています。あるいはその問題をどんなものにして、どんなふうに出会うか、どんなタイミングでぶつかって転ぶか、そんなことまで計画しているのがハイヤーセルフ(内なる高次元の意識)です。ですから私たちはやってくることに向き合い、自分を知り、仕組みを知り、無駄な抵抗をやめて内なるパワーを使って生きることを始めればいいのです。

沖縄に来て、目の前の大きな壁を乗り越えた後も、コツコツと通ってくださる方が多いことに感動しています。きっと多くの方が、起こった問題に感謝することができるほどの境地に進まれているからだと思います。ワークはネガティブやポジティブを超えた、真実というギフトを与え、またそのギフトとともに生きる素晴らしさをサポートします。

地球という星に生きるすべての人に私はみつけてほしいと願います。内なる自己と、その自己に出会うチャンスを得てやってきたすべての人に。

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沖縄暮らし。

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やちむん市に行ってきました。夜までやっているので平日行けました。
お茶碗ふたつとコーヒーカップとソーサーがうちの子になりました。

読谷村に行くといただくのが、もずくコロッケバーガー。なんと150円。寒かったのでスープセットにしたら250円。2人文で500円。スープは紅芋のポタージュ。どちらも野菜たっぷり。とっても美味しくて大好きです。近くにあったら通ってしまいそう。読谷ファーマーズマーケットにあります。

もう一つ、読谷村といえば、(わたし的には)

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今年オープンしたこのギャラリー。画家の中川せいいちろうさんのギャラリーです。せいいちろうくんは東京にいたころからのだんなさんの友人で、私たちの少し後に沖縄へ移住されて読谷村に在住してます。

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全然宣伝していないので道沿いで気になっていらっしゃる方も多いのでは。

トリイステーションのある通りで、サンエーの並びですぐ近くです。(すごいローカルな説明^^)

ギャラリーにはとっても優しくてひとなつっこいせいいちろうくんがいると思います。(写真はせいいちろうくんではなくうちの夫です。)コーヒー飲ませてください、って言うときっと飲ませてくれると思います。できたら絵も積極的に買ってください(笑)。うちの治療院に飾ってあるくがにのラクダはせいいちろう作です。

読谷村は移住する前から気になっていた場所。行くたびにいいな~と思います。(南城市は最高ですけど。)

私は南城市知念の具志堅という集落に住んでいます。五十数世帯の小さな部落ですが、先日南城市の陸上競技会で具志堅地区が男子の部で優勝。その祝勝会に出席しました。私は都下と言われる東京多摩地区の育ち。父母ともに郷里から上京してきた移民二世です。子どものころはそういう友達は大勢いて、それが普通という感覚で育ちました。

具志堅育ちの男性に話を聞くと、「同学年の友達の家は全部行ける。」「近所のおうちの冷蔵庫は普通に開けられる。」「友達のお父さんと、友達抜きで家飲みする。」などドラマみたいな(北の国からみたい。)お話が山ほど聞けて、おもしろくて仕方ありません。考えることもいくらでも出てきます。

沖縄は相変わらず刺激的ですてきです。たまにはこういうことも書きます。

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日常私が気をつけていること、完結編。

潜在意識というとなにか特別な感じがしますが、ここには幼少期のとても吸収力のある時期にインプットされた記憶の貯蔵庫のようなものだと書きました。もう一つ非常に繰り返されたことにより刷り込まれた記憶もここに入ります。職人や技術者、芸能芸術家などの鍛錬によってからだが覚えることも、ここに入ると言えると思います。才能の領域もここです。

出来事から心に強くショックを受けて、その感じ方の経路が習慣になっていることをトラウマと言います。また、行動すること、行為の結果を恐れることから特定の行為を無意識的に避けるような習慣をブロックと呼んだりします。これはトラウマの後遺症のように捉えることもできます。いずれも習慣です。

自分を幸せにする習慣をポジティブエネルギーと呼び、幸せにする行為や思考がブロックされていて停滞していることをネガティブエネルギーと言ってもいいかもしれません。人はひとりでなんでもできるようになる必要もないですし、みんなが何に於いても優秀だったり及第レベルだったりする必要もないと私は思います。私自身、できないことだらけな人間ですし、そうであることを自分に許して許しまくっています。ポジティブとネガティブというのも表裏一体で、一般に言われるポジティブシンキング自体には大した威力はないと思います。ですが、真の幸せに近づくか遠ざかるか、という点においては普遍の原則原理が存在しています。

ではネガティブな習慣の元はなにかと言えば、恐れに反射する習慣です。

ですから私が日常気をつけていることと題して2つの項目を上げましたが、この2つは根っこはひとつのことを指していると言えます。恐れに支配されていないか、その恐れの反射から無意識的に身についている習慣はどれか、という問いかけ、見直しが要点です。不幸な習慣は恐れの発展形だということです。

さて、私たちの内面は日常過ごす時間にどのような意識のエネルギーにとらわれているか。家事やら仕事やら家族だんらんやらの時間、意識はなにをしているのか。

多くの人が攻撃と防御をしていると知ったらどうでしょう。何のためにそんなことをするのか。それが、恐れに対処している状態だということです。

この恐れは肉体を持って生きている限りつきまとう本能です。放っておけば、外界からの刺激に対して習慣的に攻防し、意図的にそれをやめなければ攻防戦は激化していきます。そうでなくて、もっと人間らしく生きるにはどうすればいいのか。自分の内面を見張るのです。意識し、なにをしているのか観察し、自分に話しかけ、問いかけ、気づくのです。瞑想というのは最も意識を濃厚に意識して過ごすことです。そして、外側の意識に囚われずに、ずっと奥にある真の自己を発見し、親しみ、ひとつになるのです。そしてこの瞑想を、日常に持ち帰ります。するとそれまでの自己の行い、行為、内面のエネルギーが何をしていたかわかります。どれだけ習慣と思い込みにコントロールされていたか、恐れに条件づけられたロボットのように生きていたか、心が硬く不自由で特定の反射のなかで生きていたかが見えます。

習慣はただ頭で見張ってもそこから自由になることはできません。私たちを習慣から自由にし、魂という無限の領域へ連れ戻してくれるのが瞑想です。なんとか3話でここまで進めることができました。おつきあいいただきありがとうございます。

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『ゆれる』と『マリアたち』について。

前回の続きを書くつもりだったのですが、おやすみします。社会問題も気がかりですし、言いたいこともあるのですが、今日は映画のこと。

元々は役者をしてましたし両親も芸能関係の芸能一家で映画は好きとか言うレベルではないほど好きでしたが、意識の探求をするにつれて尋常じゃないレベルからは離れました。それでも映画は週に数本見ます。

いい映画にもちょいちょい当たります。一番最近では『ゆれる』という西川美和監督の映画は抜群でした。2006年作品。主演がオダギリジョーさんということで敬遠するところですが、その他のキャストが面白すぎだったので選びました。オダギリジョーさんはいい映画に出ているんだけど毎回いまいちな物足りなさを残すので。ですが今回は初めて及第点。手足の長いスタイリッシュな男の武器のだめな使い方というのが見事に出ていてよかったです。悪口みたいですけどそうではないです。自分の持ち物に頼って或いは無視して演技している間は持ち物の良さを結局は使いこなせないのですが、それを客観的に理解できるとそれを使いこなせると思います。この映画ではそれがうまく機能していたように思います。香川さんと絡んでいてきっと、気づいたところも多かったのではないかと推測します。

圧巻は香川照之さんのいちいち絶妙な演技で、こんなにも一言一言に緊張する作品は久々でした。久々にこういう映画の見方をさせられました。昔、子供の頃はこの緊張感を味わいたくて映画を見たものです。ひとつのセリフをこのトーンで言うか否かで、その人物像がどう刻まれるか決まります。そういうふうに役作りをみんなしなくなっていて面白くないのですが、本当にビタイチ聞き逃したくないと思わせてくれる演技で、後から、あの時その人物がなにを思ってそのように言ったのか、どの心情でそんな風に言ったのか、走馬灯のように遡ることができるような見事な芸術になっています。映画は娯楽ですが、人間の心、エゴの探求にはもってこいの教材です。というか、教材になり得るようにしっかりと人間を観察して作ってくれたら映画全体がぐっと面白くなると思うのですが。

こういう撮り方をする西川美和さんという監督はきっと、こういう映画の楽しみ方が好きなのではないかと勝手に共感します。ストーリーがサスペンスだと、火曜サスペンスか土曜ワイド劇場でよかったんじゃないかと思えてしまう日本映画が多いのですが、こんな風に作ってくれたら映画って素晴らしいと思えます。

見終わってから、『ディア・ドクター』を撮った監督だと知ったのですが、あれよりもこちらのほうが傑作に感じました。他の作品も楽しみです。

この少し前にとっても良かったのは『屋根裏部屋のマリアたち』という映画。フランスが舞台でフランス人とスペイン人が主役。最近ハリウッド以外の良い映画を観て、もしハリウッドだったら、とイメージしてみます。優れたハリウッド映画って、映画の見方、観客の視線も全部決められていて、本当に何にも考えず、想像せずに見ることができます。それ以外の良い映画は全く違っていて、捉えにくかったり、知識や背景に対する興味が必要だったりして、ちょっとずつ紡がれていって気がつくとハートの中で世界が熟して感動しているような感じ。ハリウッドには好きな役者さんがたくさんいますが、ヨーロッパの映画では「この人本当に役者なの?」「こんな普通な感じの役者さん、よく見つけてくるよ」というような役者の層の厚さを感じます。調べると舞台をやり脚本も書いている、なんていう役者さんがごっそり出ていたりして、そうだよな、そうでないとな、と思わされます。

日本の役者さんがタレントさんになってしまって年月が経ち、年配の修行を積まれた役者さんがどんどん亡くなっていくのはとてもさびしいものです。

人間が人間として普通に豊かに生きることをちゃんとやるには人間としての探求や訓練が必要です。そうでないと人間は人間にもなれない。私は語弊を恐れずそう思う。役者というのはそのスペシャリストでもあってほしいものです。そうでない役者はおもちゃです。

日本がおもちゃの国にならないように、本物の人間が作る、神が微笑む集合体であってほしいと心から願います。

日常私が気をつけていること、続き。

さて、習慣と一口に言いますが、私たち人間は幼少期のとても吸収力のある、成長率の高い時期にあらゆる体感、五感を使ってその感触を記憶しています。これがインナーチャイルドです。歯磨きが好きか嫌いか、ということひとつとっても、この歯磨きという行為に様々な思い出のような記憶がくっついています。

幼い時にお母さんと楽しく歯磨きをして、とても褒められて、気持よくなって、きれいな歯になって、学校に行ってもみんなに褒められた、というような体験があれば「私は歯磨きが好き。歯磨きが得意。歯磨きってとっても重要で、良いこと。」というふうに認識されます。

そして一生続く歯磨きという行為は自分に幸運をもたらしてくれる行為となり、毎日費やすその時間はポジティブなエネルギーを帯びる時間になります。

毎晩歯磨きの時間になるとお父さんが不機嫌に帰ってきて、お母さんが緊張したり忙しくなってイライラしたり怖がったり、というようなことが繰り返し起こるとすれば、歯磨きは不吉な予感とセットで記憶されます。そのうちお父さんが酔っ払ってお母さんに大きな声で文句を言い始め、お母さんのつらそうな顔を見ながら心配な心持ちでお布団に入ることが続けば、夜眠ることは心配と不安とセットで記憶されます。

おとなになってこういった環境から脱出できても、歯磨きやお布団に入るという日課はこういった記憶を感覚的に呼び覚ますスイッチになります。そうすると、歯磨きは気が重い、お布団に入るとき心配事や不安がよぎり、眠れない、考え始める、などという現象が起こります。あるがままを楽しむことへのストッパーがかかります。

しかしその原因がまさか、幼少期の歯磨きの記憶だなどというふうには気づきませんから、なにかきっと現在の生活や人生や自分の中に問題があるはずだ、というふうに、少し突っ込んで考える方なら思うでしょう。そして問題探しが始まります。現在のだんなさん、子ども、仕事、会社の人間関係、何かを変えれば問題が解決する、或いは自分の心の中に悪いところがあって、ポジティブになれない。性格を直さなくては、というように考えるようになります。

もしくは意識の仕組みを勉強なさった方であれば幼少期のトラウマが原因で今の自分のようになってしまった、と思うかもしれません。しかし、トラウマが原因、というより、その記憶の仕方自体が誤解なわけですから、大事なのは自分自身の誤解を解いてあげることとなります。これがヒプノセラピー、インナーチャイルドワークです。小さい頃の私はものごとを精密に捉える事ができずに、お布団恐い、歯磨き恐い、というふうに誤解をそのまま受け入れて信じ続けてきた、というのが正確です。しかもその誤解は人間誰もがして当然で、誰もがそのことに気づかない限り今でもその平然と誤解の上で様々な認識や判断をし続けていることになります。

人間関係、コミュニケーションが難しいことの原因もこの点にあります。私が私自身を誤解していることに気づかないまま、他者を理解するのは至難の業です。

誤解を解く、というのは気づきのことに他なりません。自分が思い込んで信じてきたことが本当はそうではなかった、だとしたらその道すがら信じていたことを前提に判断してきたことは意味がなかったし間違いだらけだった、と認めるのはショッキングなことです。ですがこのショックこそが古い概念の崩壊の音色です。そして崩壊のあとには風が流れ光が射します。

習慣を見直すというのは古い自己意識の概念、信念を問い直し、誤解に気づき、返上し、過去の自分の誤ちを(真の自己に)赦してもらうことです。このプロセスが癒しです。

さらに続きます。