自分を掘る

自己の問題にぶつかる。
ちゃんと向き合う。
掘り下げる。
癒す。
視野が広がる
世界が広がる。
波動が上がる。
次元が上がる。
自分の問題は、共有できる人間の問題だと気づく。
個の問題は共通の課題。
自分に取り組んで、乗り越えると、他者を癒せる。癒している。
このプロセスなしに、ワンネスは想像できない。
この実感なしにワンネスは理解できない。

私たちは自己を癒すと、真っ白になるわけではない。
完全無欠になるために癒すのではない。
ただ、他者と隔てていたものに意味がなかったとわかる。
自己の痛みと他者の痛みは同じ。
自己の喜びと他者の喜びは同じだったとわかるだけ。
そもそも持っていたものをあると認めるだけ。
それが気づき。

だから、そもそもあるものに気づき続け、癒すだけになる。
癒されるほどに自分が持っているエゴに気づけるようになる。
つっぱねようと、目をそむけていたちからをただはずす。
すると、そこにある。
どんどん出てくる。
気づいて、癒す。
他人のも自分のもない。
どれも大差ない。同じもの。
だから、比べてもしょうがない。意味がない。
比べる暇があったら癒す。
癒すは、解体。癒すは手放し。癒すは赦し。自分よりも大きく力ある、大きな愛に、癒してもらう。
それは、人間でも、地上のなにかでもない。
それを超えた、意識。意識を超えた波動。波動なき、光。
どこに行って何を楽しんでもいいけれど、それは神に与えられた贈り物だと受け取って。
本当の仕事は、自分の中にいること。
自分の中を、観ること。
自分の心を感じること。実感すること。

そこにすべてがある。
他者との関係もそこにある。
もし欲しいのなら、なすべきものもそこにみつかる。
本当はなすべきものはないけれど、欲しいのならみつかる。

それを掘る。掘り下げると、人生は心底豊かだ。
人間は果てしなくおもしろい。
地獄から天国までがそこにある。
どれを選ぶのも自分。

もし、あなたが天国を望むのであれば、ひたすらにここに戻る練習をすることをおすすめする。
やがて、選ぶことができるとわかる。

でもまずはあなたの心を、平安というところまで癒さなくてはならない。
少なくとも平安を知る心になるまでは。
まずそこまで行くと次の世界が見えてくる。
他者を癒すとか世界を変えるとか。
でも、その方法は、やはり同じ。
自分を癒す。
つまり、足元を掘るのだ。
掘るところは永遠に同じだ。
世界の入り口は自分の足元にしかない。
みんな自分探しと言って、その入り口を探し回っている。
世界中に足を伸ばし、情報を食いつぶしている。
そしていっこうに掘ろうとはしない。掘り下げない。
どこかにいい感じの入り口があって、あなたの使命です、とか、あなたの天職です、とか、運命です、と言われるのを待っている。
でもそんなものは、すべて幻想。それは、まやかし。迷妄。幻想。悪魔の誘惑。欲望の世界のできごと。

足元を掘り下げよ。
自分の心と向き合う。
醜さ、浅ましさ、弱さ、それでいい。
それを見つけて、そして、自分を痛めつけるのをやめるのだ。
それを、愛という熱で、光で、包み込め。溶かしきれ。焼き尽くせ。
抱きしめて、それを愛しいと言うのだ。
それから神に、これを愛させてください、と願って、そして安心して眠るのだ。

これを繰り返すうちに、人間すべてが、同じことで苦しんでいるとわかる。
自分の中の醜さ、浅ましさ、弱さを、人間は恐れている。
劣っていることを恐れ、向上を望むが、向上したところで恐れから自由にはなれない。
これから自由になるにはそれを愛するしかない。

人間のあらゆる恐れを愛でることができる人がブッダでありキリストだ。
だからそれを赦すことができる。
あらゆる醜さ、浅ましさ、弱さを赦すのが神だ。

あなたがもっと幸せになりたいのなら、神をまねるといい。
ブッダに、キリストに、あらゆるマスターと天使に頼るといい。
あなたに近づけるように、私を導いてください、と。
必要なのはただそれだけだ。
それで、なかなか簡単に立派になれない自分に出会い続けるといい。
立派でない自分を愛する練習を積むといい。
それが一番の修行だ。
神にもっとも早く近づく修行だ。

そうしていると、だんだんとあなたは、世界を愛することができるようになる。
本当に世界を愛する人は、世界の醜さと浅ましさと弱さをなめつくす。
そして、哀れみ、悲しみ、そして包み込む。

人間の悲しさを、無慈悲を、無力さを、愛することができたら、あなたの次元は上昇する。
あなたの内に、神がいるのをあなたは知ることができるだろう。

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