優しい人のための自分を愛する方法

よく戦争を終わらせるには心の内面の戦いを終わらせることだなんて言います。

温厚で優しい日本人はだから多分、怒っちゃいけない、すぐに反応しちゃいけない、と思うのだと思います。

反対を唱えることも、デモで訴えるのも、議論するのにもなんだか罪悪感があるし、いい反応が返ってこなかったとき傷つくし、そんな気持ちを感じるくらいなら黙ってよう、がまんしよう、という反応をする人は多いのではないでしょうか。

ざっくり例えてすみませんが、例えばアメリカ人だったら多分黙ってがまんすることのほうが無理がかかるから、言い返すしけんかする。だからアメリカ産のスピリチュアルは概ねまず「怒りを抑える」とこを教えている。

でもこれ、内面で行っていることは同じです。要は不満のエネルギーをどこにどのように出しているかの違いです。

黙ってがまんしているエネルギーは必ずなにかを攻撃しています。相手は自分自身だったり、自分よりも小さい弱いものだったり、またはその攻撃性をごまかすために食欲、性欲、出世欲、物欲などを満たそうとするとか、建設的なやり方だと、燃焼するためにスポーツに仕事に熱中するとか、別の楽しいことに意識をそらすとか、芸術などの創造に活かすとか・・・

この中でもとても発覚しづらいのが、自分自身を攻撃することです。これは一見誰にも迷惑をかけないし、問題が表面化するのには長い時間がかかることもある。でも、とても破壊力があります。

自分を攻撃するというのは、自分を裁くこととも言い換えられます。ですからこの傾向が強い人は無意識にいつでも正しくあろうと気をつけています。自己批判の力が強いので、他者からの批判にとても敏感です。間違っていなければ批判を避けることができますからいい子いい人で清く正しくあろうとします。感情をコントロール(本当のコントロールではなく、抑えて隠す)することがうまいので、周りとは問題を起こすことは少なくむしろ周囲からは歓迎され尊敬されうらやましがられたりするのですが、自分では自分を評価できません。摩擦に弱く、またいい人を保つために他者に踏み込むことも踏み込まれることもしないように防御しているので、他者と一緒にいるととても疲れます。そしてそういう自分にも罪悪感を感じてしまったりします。さらにこの緊張が進むと和らげるためになにかに依存します。多くはできるだけ他者に迷惑のかからないもの、食べ物とか恋愛とか、買い物とか、或いは仕事とかです。

以上は優しい日本人の攻撃のパターンの一例、という感じです。

さて、この裁きなのです。
特に知的で優しい日本人は普段から戦いをあまり好まないのですが、この裁きはとても好き(行いがち)です。

裁きというのは「何かと比べて優劣の価値判断を下す」ことです。ここでまた多くの人が価値判断を手放さなくちゃ、と思って、なんでもいいよいいよ、という風に流すというか通り過ぎればいいと考えます。つまり自分の心にかけない、感じないように、という対処をしようとします。見た瞬間気に入らないものが来たときにいきなりゆるさなくちゃ、と思うわけです。でもそれは、ただ頭でゆるさなくちゃ、と思うだけであって実際にゆるすことはできません。実はもう自分にとって不利、つまり価値がないと決めているから来る前に拒絶しているだけです。価値判断を手放すどころか、価値判断し続けているわけですね。

ものごとになんでも優劣をつけることのできる人が「違いのわかる優れた人間」という見方は私たちの中に常にあります。あれが美味しい、ということがわかることが、自分の価値、というようなことです。たくさんものを知っている人は価値がある、と言い換えると、そりゃそうじゃん、となるかもしれません。あの人は権力を持っている、お金を持っている、或いは仕事ができる、とかも、本質的には同じような価値基準から来ています。つまりすべてはなにかと比べて優れているということです。

自分への攻撃をしているとき、人は常に何かと比べて自分は劣っていると自分に訴え続けいるのであり、その立場が逆転するときには他者を攻撃すします。どちらにしても平和はありません。

私にこのことを気づかせてくれたのは「鏡の法則」でした。外界は内面の鏡だと思って世界を見ると、世界は競争、優劣のレッテルでいっぱいでした。しかもそれを見て必ず嫌な気分になるのです。おえっとなったりぎゅーんと胃がつぶれる感じがしたり、もやーっとした気持ち悪い、足元が危うくなる感覚が起こるのです。これを感じるときはつまり自分の中の攻撃性、劣等感、罪悪感、無価値感がうずいているのです。いたたまれない感じがして世界を嫌になるのです。でもそれは紛れもなく自分を嫌がって否定して攻撃しているときです。自分が気に入らず、ありのままを受け入れられません。

それで私の場合はそういうもやーが出てくるたびに中身を点検してそれを解析し手放すというしらみつぶし作戦をとりました。これは時間と手間がかかり、なおかつ余計に自分が嫌になってしまうというリスクがあります。でも私にとってはすばらしい取り組みでした。本当に内なる世界の状態が世界を彩っているということがいやおうなくわかりました。今はこの仕組みがはっきりとわかり、もっと的確でシンプルな方法を身につけています。

さて、戦争を終わらせるにはどうしたらいいでしょうか。

いくら平和を願い平和平和と謳ってもかないません。世界の平和ふうな所だけにフォーカスして平和ふうなところ以外を感じなくしても平和は創れません。戦争を終わらせるには裁きを終わらせることです。比較という価値判断を捨て、新しい、ほんものの価値を指針にすることです。

このほんものの価値というのが、愛です

裁きをやめるには、気づき、赦し、手放しが必要です。この気づき、赦し、手放しというのが癒しです。癒しには感じることが必要です。感じることなしに癒しはありません。拒絶を解き、進んで感じきろうという姿勢をとるとき、私たちはなんであれ受け入れています。受け入れ感じきったとき、そこには安らぎがあり、自由があります。癒しを起こすのは神のちから、つまり愛です。ですから私たちは愛というもっとも価値あるものによって、自分を癒す必要があります。ここに真の平和があります。

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