幸運を招くスピリチュアル

今日はあったかいので窓全開、Tシャツ一枚の心のセラピストAZUです。

スピリチュアルに惹かれ、いろいろな知識を得た人のあいだで、恐れと混乱を深めてしまうことが多々起こっています。

神に例えるなら「神の罰がくだる」とか、「神の裁き」という考え。

災いが起こればそれは天罰だという考えを信じることです。

スピリチュアルの心の法則で言うなら、「ネガティブなことを思うとネガティブが実現する」「ネガティブなことを感じると引き寄せてしまう」のように。

そしてこれから起こるかもしれない災いについて恐れます。

「こんな気持ちでいたら、悪いほうへどんどんいっちゃう!」という風に。

心に余裕があるときはこんな状態を微笑みを持って見ることができますが、どこか調子が悪いな、とか、落ち着かない感覚を感じているときなどは、こういった考え=幻想のほうをリアルだ、真実だ、と感じてしまいます。

そして実際そういう風な出来事が起こることもありますよね。確かに。

それで多くの人はどうするかというと、「なるべく感じない方向で」行こうと決めます。

感覚に対して閉じてしまいます。

そして感覚の代わりに「思考・理性」というアンテナを使うことになります。

感覚の領域は潜在意識。思考・理性領域は顕在意識。

このちから関係は10(00000):1と言われています。

一見この対処法は、間違いがなくまっとうで信頼に値するように見えますが、思考と理性にできるのは物事を整頓させたり順番をつけたり正邪を判断したり、理論的な領域で働くことです。

いわば、時間と距離に支配された3次元界でどっぷり生きるのと同じことになります。

本末転倒ですね。

この世界で生きていると、人生というのは知れば知るほど小さく狭いものになっていきます。

毎日生きるということは時間の消費であり、可能性を実行することは可能性を消去することであり、お金を使うことは持てるものが減ることであり、年をとることは若さや生命力が減退することで、残りの人生はだんだんと少なくなる、という具合です。

その世界で確実に頼れるものは貯金くらいのものでしょうか。

それ以外のものはすべて目減りしていくものでしょう。

夢も希望もないですね。

でも人間とはそれだけの存在ではない、というのがスピリチュアルの世界です。

スピリチュアルの世界はこの絶望的な3次元世界から現実逃避するための絵空事ではありません。

意識の世界を3次元の視点のままで捉えようすると、上記のような「逆走」による「迷走」が起こります。

でもみなさんうすうすはお分かりだと思いますが、スピリットの世界とは無限のことであり、そこへ辿りつくと私たちは自由になります。

裁きかのように見える因果の法則とカルマから自由であり、大気と水のように、いえ、それ以上に無限の愛の法則の中に生きることができます。

私たちは、意識しようとしまいと、潜在意識の中に無数の記憶を持ち、その記憶の感覚が発動するとそのバイブレーションが出来事を引き寄せそのフィーリングを実現していきます。

この潜在意識の感覚に多くの人は意識を払わないため、あたかも操られたように、とか運命的に、それが起こっているように見えます。

この感じは、好ましくない出来事に関してはときに怖いものです。

私もこの状態に常に人生を翻弄されてきました。

でもこれはすでに持っている記憶のシナリオが決行されているだけなのです。

でもそのシナリオが余りにきつくてひどすぎるとき、私たちは「なにかもっと方法があるはず」と、考えます。

それで、私たちはこの記憶を運命や神とあがめるのではなく、もっと本質の、もっと再奥にある、完全なるものを求めます。

これが内なる神です。

内なる神は完全でありひとつなので、陰陽や正邪や正負というような二極性の性質からも超越しています。

ちょっと難しいのですが、光と闇、というセットでいう光は二極のうちの一方であってすべてではありません。

半分です。

でも、内なる完全な神は闇とセットではありません。

光だけです。

そして、その光によって浮かび上がる陰影のすべてはただの投影、つまり幻想だと言っています。

つまり、この世にある真実は光だけで、あとはイリュージョンなんだよ、と言っているのです。

私たちが普段一喜一憂したり恐れたり喜んだりしていることがらというのは、このイリュージョンです。

ですからスピリチュアルの世界で「私たちは楽しむために存在している」という言葉は、楽しいことだけ見てればいいんだよ、という意味ではなく、「ありとあらゆるすべてのものは、幻想なんだから、ありとあらゆる幻想を受け入れて楽しんでしまいなさい」という意味が真実だと言えます。

そうして生きていると、そのあらゆるものを映し出している光のほうが実は真実で重要で、私たちはその光とともに生きている尊い存在なんだということがだんだん実感できるようになるよ、と言っています。

好き嫌いばかりして選り好みしていないで、来たものはあなたの意識からできたものだから受け入れて愛しなさい、そうするとそれに苦しめられることはうんと少なくて済むよ、そしてどのようなものにもどのようなときにも、それを映し出している光(神)は片時も離れようがないでそばにいるんだから、そっちのほうを意識して生きなさいね、そうするとあなたはいついかなるときも「幸せ」ですよ。

私はセッションのとき、この仕組みを「まる」を描いてお話しています。

この「まる」は、たくさんのセッションを重ねているうちにあるとき降りてきました。

この「まる」を描くと、皆さんがとっても納得し、また安心してくださいます。

時には安堵のあまり泣き出す方もいらっしゃいます。

ただ紙に書いたまるですが。

私たちがどう思おうと、すべての中に神がいて、また神の中にすべてがある、という真理がそこに垣間見れるからだと思っています。

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