平安の極意

心が平安であるためには心を滅することが重要だと瞑想ではよく言われます。ですが、私が二人でする瞑想と呼んでいるヒプノセラピーでは、感情を感じる、感覚を感じるということがとても重要です。

一見あい矛盾するように見えませんか。

心を滅するというのは心が勝手に動きまわったり暴れたりするのを止めて、静かになることです。心を静かにするためには心を押さえつけようとしたり、無視して感じないようにしたりしてもなかなかうまくいきません。眠れないときに眠ろうとがんばっても余計眠れないという経験はどなたにも察しがつくのではないでしょうか。眠るためにはリラックスしてがんばらない、押さえつけないで心を自由にしてあげて、心が自ずから眠りに入っていくのをそっと見守ってやることです。時には眠る必要なんか全然ないんだよ、と自分に言ってあげることで安心して眠気がやってくることもあります。

同じように、心を静めるためにはまずは心を自由にしてあげるとうまくいきます。

「意識的に感じる」「意図的に感じる」という行為は、すでに心の状態をコントロールしている領域にあります。逆に無意識に何かを感じていてそれが不快だった場合、人はそれをなるべく認識しないようにと抵抗します。それが膠着するとエネルギーのブロックになります。

ブロックがあると、心を固めてしまいます。固まっているのと静かになっているのはまったく違います。固まっているときにはその奥に「固めておかなくてはならない不快なもの」が潜んでいると常に察知しそれを恐れている状態になります。心には常に緊張が起こり平安どころか快と不快、自分の望むもの、求めるものを自由に感じることさえ困難になります。固まって重たく、波動が低いと言われている状態になります。波動の高い低いは知恵や知識や理解、また品性や高潔さ、思いやりがあるなどの人格とは無関係なのはこのためです。

意識的に、意図的に感じる、いわば積極的に進んで感じてみるとき私たちはそのブロックを突破し、気づきという無限の宇宙エネルギーによってそれを溶かしてしまうことができます。それによって私たちの心に作っていた間仕切りははずされ、スペースが広がり、世界が広がります。

押さえつけられ、無視されてきた感情や感覚の記憶は解き放たれ、赦しを得て、自由になり、やがて静かになります。私たちの心は尊重され愛されることによってそれ以上暴れたり何かを捜し求めて動き回る必要がなくなるのです。

平安への近道だと私は思っています。

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