ほんとうの自分がわからないということ

今年も残りわずかとなりました。
おそうじは順調でしょうか。
今年のおそうじのしめに、と
ヒプノのセッションにいらしてくださった方がいらっしゃいました。
何度もいらしてくださった方ですが
そんな風にお使いいただけると本当に嬉しいものです。
仕組みをよくご理解いただいているあかしだと思います。
我が家は沖縄へ来て3回目のクリスマスを迎えました。
おうちでチキンを焼いて
だんなさんがケーキとお花を買ってきてくれて
ベルギービールを開けて
「イエスの誕生日を口実にすみません」と笑いながら乾杯しました。
普通でしたがおそらく今まで生きてきて一番幸せなクリスマスだと感じました。
それから、確か、去年もそう思った、と思い出しました。
さて、最近改めて認識しましたが
「本当の自分がわからない」と思っている時、
人はその尺度を「他者と比較すること」としてしまっているようです。
占いのようなものを自分探しに使っていると
余計にそのようになるかもしれません。
なぜならそれらはすべて性質的「傾向」について語っているのであり
傾向は相対的なものだからです。
傾向を知り対策を設けることはもちろん役に立つこともありますが
本当の自分というのはそこにはありません。
そういう性質的傾向に自己を見出そうとすると混乱が起こります。
それは、青い鳥を探しに知らないところへ出かけて行ってしまって
自己の居場所をお留守にしてしまうのと似ています。
いかなるときもいかなる状況でも
自分を幸せにするのは自己の本来なる住処に居るときです。
そのホームを探しにどこかへ行ってしまうのでは
心が落ち着くはずがありませんし、パワーも出ません。
正しいことをすること、と、幸せになることをする、ということの違いにも
私たちは用心したほうがいいようです。
ライトワーカーの間で、ノンジャッジメントという標語があります。
そこでは正しいかどうか判断しないことが正しい、と捉えられているようですが
正しいことを判断することはもちろん人間にとって必要です。
でもそれ以上に、それは自己と他者と(もとはひとつであるきょうだいともに)を
幸せにするかどうか、という判断が最も大事であり
その判断には「愛がある」のだと言えると思います。
これは細かくいろいろな対立に当てはめていくととても勉強になります。
例えば原発反対と推進、などにも適用できます。
私も脱原発を願っていますが
それが人類にとって正しいからだ、と考えてしまうと
絶対に解決へは繋がりません。
戦いが繰り広げられます。
なぜかというと、推進の人もそう信じている人がたくさんいるからです。
どちらにも一理以上の理由があります。
なおかつ、現在それが存在しているということは
それは現状では真実なのです。正しいことなのです。
ですから、どのような理由であれ、対立する事柄に対して私たちは
双方の幸せという観点から物事を見ていかないと
新たなる融和、統合、進化という道(次元)へは進めないのです。
戦争と平和、どっちが正しい?と問いかけても
正しい答えはありません。
でも今現在戦争は起こっています。
ですから現状、戦争は正しい結果として起こっています。
脱原発、平和、と答える人の大きな弱点は
どうしてもそれが正しい、と信じてしまっていることです。
そうすると、反対意見を持つ人がどうしても間違った人に思えてしまい
彼らに愛を持って歩み寄ることができなくなります。
現状から次の状態へ移行するとき
それはどのような場合も
現状を否定して、踏み潰してから進む必要はありません。
これまでの状況を完全に受け入れ、認識し、納得してから次の段階へ進むことで
私たちは初めて現状を本当に卒業したと言えます。
現状が気に食わない、納得がいかない、罪悪感を感じるなどの理由で
私たちはなるだけ早く、そこから立ち去ろうとしたり
現状を否定しなくてはならないと感じたりします。
でもどんな状況だろうと、それは、なるべくしてなっています。
もし次にやってくるあるべき状況を変えたければ
今、ここから、自分が変わるしかありません。
今ここにあるというのは
押し寄せてくる現実を全部受け入れることではなく
押し寄せてくる外側の幻想に惑わされず
内なる真実とともにあることです。

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