原発の問題をワークするなら

日本では3・11以来、多くの人の意識の中で、外側の世界との戦いが強いられている。
意識しようとしまいとにかかわらず、大気が水が食糧が自然環境が汚染されている。
その汚染が直ちに健康被害をもたらす程度ではないと国家政権が宣言しているが
真実は隠蔽されているという事実を裏付けるような矛盾があちこちに見られる。
震災と原発事故との関連すら明確で腑に落ちる情報の公表は
何一つと言っていいほどになされていない。
情報は交錯している。
しかし、情報の混乱を一つ一つ解きほぐしていけば
それらは必ずある一つの方向を指し示すはずだ。
事実を隠そうとするとき嘘が生まれる。
その嘘からはほころびのように矛盾が生じる。
矛盾が明るみに出ると
真実を知りたい人々、あるいは一見その立場を装う人々は、その嘘を非難し攻撃する。
しかしその糾弾が功を奏するとすれば
本人に嘘を恥じて悔い改める気持ちがある場合だけだ。
そもそも最初から真実を隠すことで利を得る意志がある人間であれば
つまり意図的に嘘をついて他者を欺くことを目的に持っている人間であれば
嘘を非糾弾されたら、もっとうまく嘘をつかなければ、と考える。
能力のある人なら、その嘘はどんどん巧みになっていくはずだ。
非難し攻撃されると人は、より防御的な姿勢を強固にするのが普通だ。
たとえ悔い改める意志がある人であってもつい防衛的になる。
そもそも、真実を隠したくて隠蔽している人が
非難と攻撃に屈するとしたら
それは逃げ道を完全にふさがれた場合に限る。
権力者がその立場であるのなら
非権力者の糾弾が権力を覆すほどの力を持たなければならない。
何もかもを奪うような強力な力だ。
非権力者である私が震災当初に必要を感じたのは「人数」だった。
その人数の目安は「過半数」だと思っていた。
国民の過半数が事実を知り、同じ意見を持つこと、だという風に。
しばらく時が経ってわかってきたのは
国家やそれ以上の大きな権力の意志に立ち向かうには
過半数などという力では及ばないということだった。
(そもそも同じ意見を大多数の人が持つなどということが可能なのだろうか)
その気になれば権力はそんなものいくらだって捻じ曲げることができる。
つまり、民主主義の社会に生まれ育ったと信じていたのは間違いだった。
「私たちは民主主義によって人権を守られている」というのも
真実かどうかと問い直せば思い込みにすぎないということだ。
そういう風に思い込みを取り除く必要がある。
私たちは人間の作った大義名分や道徳を生きているのではなく、知りたいのは真実だから。
真実と出会うことでしか、私たちは前進できない。
今起こっている矛盾は、事実を隠すために人々を混乱に陥れるにちょうどいい。
いくらなんでも、こんな間違いが起こるわけが無い、
こんなひどいことを誰かがわざわざ起こすわけがない、というような性善的な思い込みが
真実を見ることを人々に避けさせる。
誰かが無能だから、勘違いしてるから、気づいてないから、人間全体の責任だから、
地球が怒っているから、神様に試されているから、今のような混乱が起こっている、と
人々は理由を探す。
でも、もっと、思い込みなしに起こっていることを見れば
混乱しているのは自分の考えのほうだということがわかる。
自分にとって納得のいきやすいほう、または都合のいいほうの理由を人は好む。
でも、事実は混乱してはいない。
混乱しているのは(自分の)考えのほうだ。
そんなはずが無い、いくらなんでも、という思い込みと恐れを取り除いて事実を見れば
おのずとその事実が指し示す方向が見える。
その水面下で起こっていることが全部わからなくてもそれは見える。
今日書いたことは、ストレスフルな考えを理解して真実を知るという
カウンセリングの手法の「ザ・ワーク」を使って、社会問題と私との関係に応用している。
外側は内なる世界の投影である、というスピリチュアルの原理に基づく手法だ。
人間は、震災のような大きな問題があたかも外側から押し寄せると
こればかりは内面に取り組んだって解決されるわけがない、そこには救いはない、と考えて
何とか外側の何かに頼ったり変えたりすることで解決しようとする。
けれど原理というのは例外の無い法則だ。
何にでも応用できる。
私もしばらくの間、今回は人数が必要だから、という風に考え
外側に働きかけることをいろいろと思案していた。
けれどあるとき、世界を変えるには人数は関係ないことを思い出した。
それから外側はない、ということも改めて思い出した。
だから、この社会が民主主義でなくても問題は無いということがわかった。
現実として民主主義が機能していないことに私が気づいていなかったことが問題だった。
機能していないのを無視して機能している前提で物事を考えても正確な答えは出ない。
隠蔽を選んで(好んで)実行している人にとっては隠蔽が必要だ。
だから、「彼らは隠蔽する必要がある」という事実を受け入れると
私たちは真実に近づける。
隠蔽を糾弾している限り私たちは被害者や糾弾者になってしまう。
被害者や糾弾者でいるうちは(抵抗にエネルギーを注いでしまうので)
自分の真実(自分が本当に求めるもの・価値あるもの)には近づけない。
原則に戻ろう。
私たちを今よりも前進させるのは真実だけだ。
私たちを本当に幸せにするのは真実だけだ。
私たちがまず被害者や糾弾者であることを降りることで
加害者は加害者でいることはできなくなる。
そうなってみたら、真実はものすごいスピードで私たちに押し寄せてくるかもしれない。
真実に気づいたら人は後戻りはできない。
世界は過半数が同じ意見を持つまでもなく変わるだろう。
つまり、世界を変えるのに必要なのは、私が変わることだ。
私の真実への気づきは、言葉や時空を超えて伝播する。
だから、私はこつこつと自分に取り組み
また誰もがこつこつと自分に取り組むめるようにお手伝いする自分の仕事に
こつこつと取り組むことにした。

コメントを残す