神のしわざ

地球の天変地異が起こると
地球や神々が怒っているように感じて
どこかの地に出向いてなだめようとするのは
人間の古来からの自然との付き合い方だ。
悪いことではないけれど
ものすごくいいことでもないなといつも思う。
確かに地球上にはパワースポットなどと呼ばれる
地磁気の高い場所がある。
そこに行って自分の波動をチューニングしたり高めることは
実際にできることだと思う。
それによって低いものをより手放しやすくなる。
結果私たちはパワーをいただいた感じがする。
日本には八百万の神がいて
人間の利己心の度が過ぎると
人間におしおきをすべく罰を与える、かのように
人間は感じてきた。
キリスト教のような一神教には
様々な戒律があり
それを遵守することが
神に従順であることだと考えられてきた。
戒律を破ると罪となり罰が与えられるのはやはり同じだ。
ちまたでのスピリチュアル(ニューエイジ?)の考え方も
もっと表現はスマートだったり入り組んでいたりするけれど
仕組みとしては同じような解釈をしていて
地球を癒すために儀式をしたりしているみたいだ。
大いなるものに祈りを捧げるのはとてもいいことだけれど
でも一番大切なのは祈るときの自分のおなかや胸や頭の内側の
動機と状態とベクトルだと思う。
まず第一に
「神は決して裁かない」というのはとても大切な前提だ。
どうして神が人間をまるで人間がするように裁くというのだろう。
それは神を人化した考え方だと思う。
地球は生き物なので
エネルギーを蓄えたり放出したりする。
第一に自然の営みは人間の目には脅威に見えることも自然に行う。
第二に人間は莫大な想念のエネルギーを持つので
放出されるエネルギーが不調和で不穏で破壊的であれば(利己的であれば)
自然や大地にもその影響を与えてしまう。
低波動のエネルギーは地や気に蓄えられて
やがて放出される。
天変地異は神々のせいで起こっているのではなく
私たちが放ったものが跳ね返って戻ってきているだけだ。
だからもちろん大地に謝罪するのは間違いではないけれど
もっと重要なのは自分自身に謝罪することだ。
つまり、自分自身の内面にしっかり向き合って
自分自身の潜在意識を浄化することが重要なのだ。
そうやって原因を変化させれば
やがては地も気も浄化され
清浄なエネルギーが戻ってくるようになる。
すべては内面の反映だということを忘れてはいけない。
神があたかも外側にいるかのように世界を見ていると
私たちは神に支配されたりコントロールされたり
翻弄されるような錯覚を覚えるだろう。
まるで神が外敵みたいな。
神は外にはいないし
この世のヒエラルキーの頂点に鎮座しているような存在ではない。
それはいかにも時間と距離に支配された人間の思考が生み出しそうな神だが
それでは神は時間と距離を超越していないことになる。
自分の投影を神の仕業にしてはいけないのだと私は思う。
人間はただ、その責任を負わなくてはならない。
自分で出したものを自分で受け入れるだけだ。
今日もだまって自分の内面の想念を点検し
解体し浄化する。
内なる神に手助けを願えば神はすぐさま手伝ってくれる。
何も遠くへ行って大きな請願を立てる必要はない。
遠くへ出向いてお掃除するのも
たった今ここでお掃除するのも変わらないことだ。
いや、たった今ここのほうがだいぶ確実で効率がよく
また勘違いや錯覚も少なくて済むだろう。
錯覚によってエゴにえさを与えるような間違いも起こさずに済む。
神は私たちのすべての動機と意志と願いを
神としての知覚ですべて知っているのだから
私たちはただ今ここで祈ればいい。
あなたのその最も崇高な意思を私に悟らせてください、と。
誰にも認知されず、誰にも知らせる必要はない。
祈りはすべて届けられている。

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