ビレッシュさんに後押しされて

書きます。
私が普段考えていることについて
同じことを考えている人に出会うのはとても勇気が出ます。
昨日ご紹介させていただいたビレッシュさんの言葉
私が普段感じていることに心からの友達が応えてくれているような嬉しさを感じました。
私は長年スピリチュアルを学び
それによって生かされてきました。
その時どきでいろいろな概念、教えが助けてくれましたが
教師や集団が増えるにしたがって
出てきた疑問もたくさんあります。
「ありのままのあなたでいいのです」という言葉は
確かにある場面ある時には
とても人を助ける概念ですが
それをすべてに当てはめて(というか都合のいい時に当てはめて)乱用すると
おかしなことになります。
こういった癒しと解放のための言葉は
その瞬間のその人のために使われるべきもので
それが正しく使われているか、エゴの温存のために使われているかをわかるのは
私たちが心(ハート)を開いて選ぶしかないのだと思うのです。
エゴがもっとも恐れる変化というものを避けるためにその概念が使われても
結局のところそれは誰も幸せにしません。
その瞬間、この概念は口実になってしまいます。
私たちが本当に平和、愛、幸福というものを生きるのならば
本当の自分に目覚めるだけでよい。
そのためにしなければならないことなどない、というのは
ある面真実ですが
今いる場所から新たな選択をしなければならないというのは事実です。
それには勇気や決断や諦めないという根気や忍耐、
そしてそれを支えたり守ったり促したり導いてくれる存在が必要です。
「愛は相手を変えようとしない」という概念があります。
しかし一方では、気づきのための教え
或いはパートナーシップや魂の仲間同士でのリレーションシップには
目覚めのために互いに助け合うことは必須です。
でなければ私たちはこの世にいる必要がありません。
この2つの概念を関連付けて明確に説明している人はあまりいません。
実際私は夫婦という関係の中で
この両方を体現することの難しさをひしひしと感じます。
ある時は黙って見ている
ある時は言葉を尽くす
ある時はびっくりさせる
ある時は我慢する
ある時はできるだけやさしく
ある時は怒る
ある時は強くある
ある時は弱さをさらけ出す
どの時にも必要なのは愛ですが
愛さえあればなんでもいいというわけにはいきません。
そうしていつもエゴのつながりでなく
愛でつながる関係を築き育んでいくためには
相手に関心を持ち、何かしらの行動を起こすことが必要になります。
(これをビレッシュさんは「ソーシャルなプレッシャー」で必須だとおっしゃっていました)
けれどもそれが、自分のエゴの欲求から来ている(相手を変えようとする)ものなのか
愛から来ているものなのか
ましてやその表現方法がどうなのかを見極めるのは人間には至難の技で
正しい答えなどなかなかみつかりません。
それでも「愛する」のならば
自分の内面といつも対峙し
エゴを見張り解体し
「思いやり」を持って相手と向き合い続けるしかないのが
少なくても私の現状です。
多分そこで出てきた概念なのかと思いますが
「波長が合わなくなれば、別の相手に変えればいい」と教える人は多いのです。
実際チャネリングやリーディング、スピリチュアルカウンセリングの中で
「結婚相手はすぐに変えてもいい。
スピリチュアルをやっている人は簡単に変えますよ。
そこで痛みを感じるのはエゴです。」というようなことを言う人もいます。
でも、本当にそうでしょうか?
人生のテーマは人それぞれでも
ひとつの大いなるスピリットからやってきて
わざわざ分離し肉体を持ち
もっとも大きなテーマは愛すること以外にあるのでしょうか?
それを果たすための使命は目覚め以外にあるのでしょうか?
よく言われている「あなたの魂の使命は?」という命題は
その大きな使命を果たすための指針なのだと私は思っています。
その使命を果たすためには本当にいろいろな形のたくさんの助けや
アイディアや工夫がいります。
少なくともパートナーシップや家族、友情などの関係の中で
都合や気分や心地良い悪いなど自分の状態に左右されないほどに
愛し続けようとすることほど
地上での目的や使命やテーマを学べる機会はないのではないでしょうか。
これは、決まったゴールを目指さなくてはならないということとは違います。
私たちはどんな形態どんな状況の中にも
真の目的を見失わずに勇気や工夫や思いやりを持って進む中に
愛をみつけたり感じたりその関係性の中に育んだりすることができるのだと
私は思うのです。

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