ほどよいってことについて

最近ものすごいことを理解しました。
それは、ほどほど、っていったいどんな基準なんだ、ってことです。
私はわりと真面目というか、ある部分とっても潔癖な気質です。
両親とも潔癖、きょうだいも輪をかけて潔白(潔白、ですね)な人たち。
そこですごく難しかったのが、子供の時から、
「もっとうまいことやりなさい」
「もっと適当にやりなさい」
「もっと図々しくなりなさい」
「もっと甘えなさい」
母から注意されることってこんなことばかりで
それがとっても難しかった。
これはきょうだいみなへたくそです。今でも。
お釈迦様の教えの中に、
この世のことすべてと距離をおきなさい、というような言葉があります。
多分正確には随分違うと思うのですが、でも意味としてはこんなことです。
その教えは頭ではなんとなくわかっても、実践するのは難しい。
すべてにこころを開いて、愛をもって、関心を持ってなおかつ距離をおく。
感情についての訓練をしていない限りはこれを実践しようとすると
こころを閉じるとか無関心、冷めている、ような状態と大差ない状態にもなりかねない。
それで、最近どうしてこれが何のことだかわかったのかというと
また登場しますが、神の使者を理解したからなのです。
神の使者ではキリストが「この世はない」
「宇宙すらも神は創らなかった」
「この世は幻想である」と教えています。
私たちは幻想の夢から覚めること(目覚め)によってのみ
神の国へ帰ることができ、天国を生きることができる、と。
このことをこころから受け入れてみると、キリストやブッダのように
人間としてこの世に生まれながら、完全に悟り目覚めることのできた人の言葉の意味が
ぴたと奥深くに感じることができます。
地上が幻想で、ひたすらに赦しを行うことで目覚めるとするならば
もう幻想と同化することはなくなっていきます。
地上のすばらしいこととも残酷で卑劣なこととも
等しく距離をおけることになります。
幻想とは過ぎ去るもの。
幻想に対しては常にほどほどがいいのです。
私たちが真剣に見張っておかなくてはならないのは
真実に対してそこからずれていないかどうかだけなのだな、ということが
最近ようやく腑に落ちた次第です。

往復3時間

妹と母が服やバッグやなぜか巨大な浮き輪を送ってくれた。
その荷物のなかに「鶴瓶の家族に乾杯~糸満」のDVDが入っていた。
私たちが糸満に越して来た直後の撮影で、
多分リアルタイムだと知らないところばかりだったと思うが
今見ると知ってるところばかりだった。
ゲストは西岡徳馬せんぱい(玉川大学の演劇専攻の先輩です)だった。
演劇専攻はとても少人数(1学年30人弱)の特殊なクラスなので
先輩はもう家族という気がする。
(だけど、せんぱい、からみがへただったね~!
あのね、いつまでも台本の中だけで芝居してちゃダメですよ!)
先日日食を見た南城市玉城には宮本亜門せんぱいの家もあり。沖縄。
西岡徳馬さんは、伝統の演専ソフタイ(ソフトボール大会)で1年の時ご一緒した。
あの時は私だって18歳だったけど、西岡さんもまだ売れてきたぜ!って感じで
ものすごいやんちゃな香りのぼんぼんだった気がする。
(やんちゃでも所詮ぼんぼんじょうじょう学校なのだ)
どうやらお嬢さんも演専なんじゃないかな。そんな話しだった。
最初に出てくる公園は糸満市役所のある埋立地の潮崎のビーチだと思う。
今日用事があって行ってきた。
午後に少し雨が降って日が陰ったので歩いて行ってみたが
湿度におえっとなるほど蒸し暑く、滝のように汗が流れた。
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ついつい知らない道を通りたくなるので
往復で3時間くらいかかった。(潮崎シティのスーパーにちょっと寄ったけど)
真面目に歩けば多分片道30分くらいで着くと思うんだけど。
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それから帰り道に公設市場のある道から漁港の脇を歩いた。
何を隠そう沖縄に来て一番にアパートを探したのは糸満の公設市場そばだ。
歩くとすでに懐かしいふるさとのような気がする。
漁港の水がペンキのようなコバルトブルーだったのに感動した。
(なぜか今日は水が緑。報江川も緑だからかな)
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那覇からは微妙に遠くなるので通勤は大変だと思うけれど
独特の人々と文化があるので、
ここに住んでもそれなりに楽しかったんじゃないかなと思った。
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那覇の人からは「なんで糸満?!」と相変わらず言われる。
沖縄でも糸満はとにかく特殊な場所らしい。
先日は那覇の人からうちの前で「これ、サトウキビですよね?!」って言われた。
え?サトウキビ、珍しいんですか?うちなんちゅですよね??
「那覇ではサトウキビ、ないですからね~」
車で30分足らずだけど、沖縄はエリアで人種も文化もきっちり区切られてるみたい。
外国の中の外国みたいでおもしろい。

東風平展望台

東風平アグリハウスで果物と野菜を買ってから
先日南城へ行く途中で発見した展望台へ。
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南部の真ん中から350度くらい見渡せます。
とぎれとぎれにぐるっと、海に囲まれていて
島に住んでるんだな~と改めて実感。
なにもしない休日を満喫しました。

やさしいひとといること

先日、東京からお友達家族が沖縄に遊びに来てくれて一緒に遊びました。
もりおさんとゆめこさんとうみおちゃん2歳(仮名)の親子3人です。
もとはもりおさんが私のだんなさんとバイト先での友達で
まだお互い独身だったころゆめこさんと4人でごはんを食べ、
そこで婚約発表してくれて
それで二人の結婚式に独身だった私たちが出席しました。
だんなさんの友達はおもろい人が多いのですが、
もりおさんは群を抜いてへんたいっぽい人です。
(へんたいっていうのは私の中では最上級に近い褒め言葉です。)
それで、お食事した時も、
だんなさんともりおさんでへんたいくらべっこみたいなのをしていました。
例えば、彼女(私やゆめこさん)をどのくらいかわいくてしょうがないか、くらべ、とかね。
そんなへんたいなもりおさんの奥さんであるゆめこさんはというと
とーぉってもおっとりしていて、ずーっと笑顔で、それでいて
へんたいなもりおさんのことがやはり大好きでしょうがない人です。
結婚式はとても盛大で、ちゃんとプロの司会の人がいましたが
花嫁のエピソードのところで司会の人が
「花嫁から、これは私の人生で一番がんばったことなので、
絶対に言ってくださいと言われたエピソードです。
バイト先でご主人と知り合った花嫁は、絶対にこの人と結ばれたいと思い
本当に努力をしたとのことです」
というところがものすごく印象的で、ずっと忘れられません。
ガツガツした人が、結婚でトクしたいわ、とかこの男をゲットしたいわ、
みたいな風に語られたら本当に下品に聞こえただろうと思うのですが
ゆめこさんの清らかでキラキラした人柄から聞こえたエピソードは
本当に美しく、感動的でした。
私たちが最後に会ったのはうみおちゃんがまだこの世に来る前だったので
再会はけっこうと久しぶりでした。
それで、到着した日の晩に那覇で一緒にごはんを食べました。
2歳のうみおちゃんが絶好調なので、ほとんど大人の会話はできませんでした。
だけど、家に帰ってからも、心の中に「たのしかった~」という感覚が残りました。
なんだろう、この感じは…という感じでした。
引っかかるものがなにもなくてとてもすっきりとしあわせです。
それから、だんなさんがお休みの日には
私たちが一週間で一番早く起きる時間よりも少し早いくらいに電話があり
今那覇のホテルを出ましたと言われました。
大急ぎで出かける支度をして、ようやくなんとかなったころ
3人は到着しました。
二人とうみおちゃんがどんなところが楽しいのか、今ひとつつかめなかったので
まずはうちの周りでもさんぽしてみようか、ということになりました。
うみおちゃん、カメさんとお魚見る?と聞くと(うちの前のどぶ川で、ですが)
「お魚?サメもいるかな」とウキウキしています。
2日前に行ったちゅらうみ水族館みたいなのを想像しちゃったみたいでした。
その日はいつにも増してものすごい日差しで、
朝でしたがUVカットのパーカーを着ていても肌が焼けて痛いくらいです。
うちの前の橋の上まで来ると、干潮で水がほとんど浅い水溜りのようなところに
これでもかというくらいのおびただしい数の魚が群れをなしています。
私はいつもどうしてもこれを見るのがおもしろくて、橋の上で止まって見てしまいます。
すると、ゆめこさんが炎天下で帽子もないままの姿で
橋から下をじーーーーっと見て「すごーい。おもしろくてあきない~。」…
だんなさんともりおさんとうみおちゃんはゆっくりと先に行っていましたが
私とゆめこさんは橋の上から言葉もなくずーっと魚をみていました。
しばらくすると、だんなさんともりおさんが「来て来て!カワセミがいた!」と叫びました。
行ってみるとコバルトブルーのカワセミが2羽、連れ立って飛んでいます。
カワセミは何度か姿を見ていますが、2羽一度には初めてです。
それから今度はおじいちゃんと孫二人で蝉取りをしているところに出会いました。
お姉ちゃんは5歳、弟は2~3歳くらいかな。真っ黒に日焼けして、
野生っぽいとてもかわいい顔立ちです。
ここらへんの子供はみんなそうですが、大人がいるとすぐに話しかけてきます。
この子たちもすぐに私たちの仲間に入ってきました。
お姉ちゃんは「カメね、わたしが呼ぶと来るよ!(気合いを入れて)カメこーーーーい!」
ぴんと透き通った声で精一杯叫びました。
カメは知ってか知らずか、なんとなくこちらのほうに泳いできます。
「ほらね、呼んだら来たよ。(気合を入れて)カメ、こーーーーーーーい!」
この間おじいちゃんは私たちには目もくれずにセミを追いかけていました。
おじいちゃん、孫の世話じゃなくて、自分がセミとりたい一心なのね。
私たちが来た道を戻ろうとすると、
きょうだいは手を振って「バイバーイ!」と見送ってくれました。
20分にも満たないようなお散歩ですが、とてもほかほか楽しかった。
それから南部のお気に入りスポットを廻り、最後は大きなお風呂に行って
あっという間に日は暮れました。
うみおちゃんは車で眠ってしまい、二人と車のそとでお別れを言っていると
ゆめこさんは笑顔のまま「なんかさびしくなっちゃったー…」といったかと思うと
大きな目からぽろぽろ涙をこぼしました。
私とゆめこさんは抱き合って、また会う約束をしました。
それから数日間、私の胸のあたりには、
まだゆめこさんのやさしい気持ちがくっついています。
ゆめこさんとは多分全部で3回くらいしか会っていなくて
まともに込み入った話しすらしていないのに
どうしてこんなに安心なんだろう、と何度も考えました。
お昼を食べていた時にだんなさんともりおさんがお店のお庭でうみおちゃんと遊んでいたとき
二人で少しお話しをしました。
その時ゆめこさんは「ひげおさん(うちのだんなさんの仮名)もやさしい。
やっぱり、やさしさって大事なポイントですよね。
私やさしくない人とだと、うまく一緒にいられないんです。…悲しくなっちゃって。
それで、あとからずっと、考えちゃったりして。
あずこさん(私のこと)と橋の上で魚ずっと見ていられたとき、すごく嬉しかった^^」
ゆめこさんはとても落ち着いていて嫌な顔ひとつしない人なので
どんな場面でもどんな人とでも大丈夫なのかと思いましたが
そんなことはなかったんだな。
ゆめこさんのおかげで、やさしい人と過ごすことの幸せを改めて感じることができて
それがどんなに私にとってすてきで大事なことなのか、よくわかりました。

チャミエルはサミエルだよ

昨夜の睡眠中のお話なのですが
夢とは別に、ずーっと頭の中というか意識の中で声がしていて
その声が「チャミエルはサミエルだよ」と何度も何度も何度もしつこく聞こえていました。
あんまりしつこいので、きっとこれは覚えておかなくちゃいけないんだろうな、とか
夢とは別に思ったりしていました。
夢は夢ではっきり覚えていますが、内容と言葉は全く関連がないようです。
チャミエルは天使の名前です。
私はカラーオブエンジェルズというアチューメントをしてもらっていて
この天使は愛を司るとのことでしたが
今ひとつこの存在を身近に感じていましせんでした。
ですが、毎朝主人を見送る時には
必ずチャミエルを含む7人の天使を呼んで、守ってくれるようにお願いしていました。
ベッドから出るとパソコンのスイッチを入れ、サミエルを検索しました。
サミエル、という名前は一度も呼んだことがないし読んだ記憶もないのですが
オーラソーマの102番にサミエルがありました。
ボトルの意味は「恐れを超えて、ハートを開く」でした。
この言葉は私が日々取り組んでいるテーマそのものでした。
チャミエルとサミエルは違う天使でしょうか?
調べようとしたのですがよくわかりません。
ただ、サミエルとチャミエルが
並列に同じ所に並んで書かれているサイトはみつかりませんでした。
天使は同じ存在がに似たような名前で呼ばれていることはよくあります。
どっちでもいいんんだけどもしチャミエルとサミエルが同じ天使のことなら、
毎日私に呼び出されていたチャミエルが、
もっと私をちゃんと感じるように、と教えてくれた声だったのかもね。

見ました!肉眼で。

またしてもお導き。
それほど気にかけていなかった皆既日食でしたが、
(5年前に屋久島の、主人のお友達夫妻のお家にお世話になり
5年後来たいねなんて言ってましたがまだ付き合って一年弱だったあのころは
5年後どうなるかなんて想像もできませんでした。まさか沖縄に暮らしてるなんてね。)
今日の午前中は主人が初めてのお宅に往診の依頼をいただき
それが南城市玉城(宮本亜門せんぱいのお宅のほう)だったので
だんなさんが「一緒に行って、むこうで見るよ」と言ってくれて一緒に出かけました。
診療中近くに私が待っていられそうな場所が市役所くらいしかなさそうだったので
(実際は小さな陶芸&カフェとか、ものすごく小さな駄菓子屋さんとかありましたが)
南城市役所で過ごしました。
南城市は実は糸満市に着地する前、とても惹かれて、住みたいと思った場所です。
実際はものすごく山の中で
ネットが危ういのと物件があまりないのとスーパーなど全くないので
無免許の私には暮らせないし2人とも仕事を可動できないだろうと判断して断念しました。
車を降りて歩き出すといきなり歩いていた若いおじいが笑顔で「こんにちは」と
あいさつしてくれました。
それから市役所のロビーではおばあが「こんにちは、婦人会に来た方ですか?」
そして日食が始まると代わる代わるエントランス前で太陽レンズで太陽を眺める人が
みんなこっちを見てレンズを差し出してくれます。
何度も何度もいろんな人入れ替わり立ち代りで差し出してくれるので
見事に太陽の満ち欠けを眺めることができました。
糸満の人も那覇の人も優しいけれど南城ほど子供のように屈託のない方々は初めてです。
クライマックスが近づくと、あたりはどんどん暗くなってきました。
どんなお天気とも違う感じです。
妹がメールで全国の様子を実況してくれたのですが、
どうやらテレビでは那覇で太陽が一番良く見えたんですってね。
だけど多分、南城はさらに最高だったと思います。
妹が「亜門さん、NHKのスタジオにいますよ、もったいにゃい」って。
ほんと。今日は玉城(たまぐすく)にいなきゃ。
大人たちは「もう次は見られないかも」なんて言いながら一生懸命撮影なんかしてましたが
子供たちは薄暗くなろうが、どこ吹く風で、普通に元気に遊んでいます。
私は、そうだ、お祈りだ、と思い、日向に腰掛けて(ものすごく涼しかったです)
ゆるしの祈りを唱えました。
「すべてのこころから不安が消え去りますように。
私を傷つけたすべての存在をすべて完全に完璧に赦すことができますように。
私に傷つけられたすべての存在に完全に完璧な形で赦していただけますようにお願いします。
…」
すると近くで見ていた女性が小さく「あ」と言いました。
思わず空を見上げると、雲を通して太陽が三日月の形にくっきりと浮かんでいます。
太陽のふちは赤く、燃えているようです。
その周りには大きな虹色の輪が取り囲んでいて、空の色はグレーでした。
とても眩しいし、普通の視覚とはなんだか違っていました。
どうしてこんなにはっきりと見えるのかわかりませんでしたが
その時はなんだか心打たれ、祈りが通じた感じとともに
今日ここで祈っていることこそが目的であり結果だったという気がしました。
その直後に主人が往診を終えてこちらに向っていると電話がありました。
主人は決定的瞬間を見逃したことを少し残念そうにしていましたが
すぐに、いや、この時間に治療ができてよかった、と言いました。
そして今日の施術が、
今までにないほど心が静かに落ち着いてできたことを話してくれました。
施術の時にいつもする祈りの言葉が
その言葉どおりにすーっと自分に入ってきたそうです。
それからさらにおどろいたことに、
主人の勤め先の「大きな手」で経理などしてくれている女性からメールが来て
そのお友達からのメールの転送だったのですが
内容は「すべてを許してください。皆既日食で太陽と月が離れるときまでに
これまで手放せなかったことをすべて許してください。なぜなら…」というものでした。
まさにこの数ヶ月、それに取り組んできてたった今も赦しの祈りをしていた私は
なんだ、そういうことだったの~と思い、主人はひたすら鳥肌をたてていました。
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さて地球の兄弟姉妹のみなさん、今日もすばらしい日でありますように。

ふるさと-JAPAN

YAHOOの動画でアニメ映画を見ました。
テレビがないので、時々Gyaoとかyou tubeとかYAHOOとかで動画を見たりします。
ニュースはいつもこのどれかで見ています。
それで、「あしたのジョー2」なんかもちらっと見たりしてしまいました。
父が力石徹の声をやっていて、1で死んでしまったのですが2でも空に浮かんで出てきます。
それでびっくりしたのですが、ジョーは力石のテンプルへの一撃で彼を死なせてしまい
2では彼の死を時間をかけて癒し吹っ切ったつもりで試合に臨みますが
彼は相手の顔にパンチを打つことができない。ボディだけで戦います。
そしてそれには途中までまったく気づかないのです。
そしてチャンピオンとの試合で彼はその事実を突きつけられる。
それを告げる丹下段平のおっちゃんはなんと、
「力石くんを死に追いやったテンプルへのパンチが『トラウマ』となって…
頭では乗り越えたつもりでもからだはトラウマを覚えていて
無意識の反応をしてしまうんじゃ!」
と言ってます。
すごい。
潜在意識の仕組みを見事に説明している。
1のときから確かにそうだったけど
(幼少での孤独と欠乏から戦いに駆り立てられるというような)
2ではトラウマとの闘いがテーマになってる。…
話を戻しますが…
ふるさと-JAPANというアニメ映画をやっていました。
(今もやってます。)
何気なく見始めてしまったのですが結構すごい映画でした。
昭和31年の小学校が舞台で、何気ない普通のお話ですが
描かれていたのは心、でした。
それで、心について見事に描かれていたので
ついつい何度も号泣してしまいました。
とても印象的だったのが、少年を叱るお父さんとお母さんのやり方でした。
まったく怒っていないけれど、お父さんお母さんが、彼をどんな風に愛しているか
彼らが人生にどのように向き合っているかが
ほんの数行の台詞から伝わりました。
それから、子供たちが悪さをしたことに対する罰則の意味(連帯責任)について
私は生まれて初めてものすごく納得のいく解説を聞きました。
私は中学校の時に世間は不良、スケバン、暴走族が横行していて
とても厳しい罰則だらけの学生生活を送りました。
厳しいのはかまわないのですが、規則と罰則が一人歩きをし、
先生方が生徒を恐れ、暴力によって制圧しようとしていました。
人を人として豊かに育てたいという思いなどはどこかに追いやられ
恐れが不信を生み、不信が暴力を作り、悲しいことがたくさん起こりました。
いつでも時代は反動の反動でいろんなことが起こります。
昭和31年はすでに心を置いてきぼりにする時代が始まっていたように描かれていますが
時代のせいではなく
いつでも、私たちは心を失い、また取り戻してみたりを繰り返してきたのでしょう。
時代のせいではなく
心を取り戻すことは今この瞬間に始めることができます。