目覚める

私が心の痛みをもろに反映して、実生活でもろくなことが起こらなかった頃
何が辛いって感謝したいのにできない、愛したいのに愛せない心の状態だったと思います。
何が起こっても何をされても赦すこと、感謝するとそれが自分に還ってきます、と
わかっていてもできない自分。
勉強すればするほど追い詰められることすらありました。
「傷つくならばそれは愛ではない」という本があります。
この言葉はある意味事実ですが、これほどきつい言葉もなかったものです。
つまり自分は愛ではないと、愛からはぐれたものだと認めないとならないことになります。
なぜならその時自分は明らかに傷ついていると感じていたからでした。
できることと言えば、いつしかすべてが過去になり、傷つかない自分に成長することを
うっすらとあるかないかわからない未来に望むことぐらいでした。
もしあの時に「神の使者」が書かれていたなら(奇跡のコースと出会っていたら)
それは真実ではないということがわかったはずです。
様々なスピリチュアルの教えはどれも役に立つツールではありえますが
究極のところ、私たちはなんであり、なぜ今ここにこうしているのか
そしてどうすれば真実の幸福、平和、愛に還ることができるのかという問いには
答えてくれていません。
ツールを使ってその問いを追求すれば必ず矛盾と欺瞞に陥ります。
なぜならすべてのツールは「より良くなるため」にあるからです。
より良く、というのはつまりは比較、2元性の世界であり
ここを現実として生きる限りは私たちは究極満たされることはなく
昨日より今日、今日より明日という幻想から逃れることはできません。
いくら今にいることを心がけても
その今がなんなのかという問いの答えにはならないのです。
より良くなって(少しはましな状態になって)なんとか赦す気になる、
そういう大変なことをやってみる気になるための準備としては
より良くなることはとても有効だったと思います。
宇宙の法則や癒しを学ぶことは、そういう意味では有用だったと思っていますし
必要とする人はいるはずだと思います。
それくらいに、すべてを赦すということ、それに取り組むことは
根深い困難さを内包しているということです。
それがいわば宇宙のようなものだということなのです。

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